ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー『ブンデスリーガ』

2014年05月01日 | スポーツ
 ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー『ブンデスリーガ』を読む。

 もうすぐワールドカップ開幕ということで、気分を盛り上げるために、今回からちょくちょく、サッカーの本を紹介していきたい。これはタイトル通り、ドイツのサッカーの歴史をあつかった本。

 1954年ワールドカップ・スイス大会における「ベルンの奇跡」や、イングランド大会の「疑惑のゴール」といったナショナルチームの歴史はもちろんのこと、ブンデスリーガのできた経緯、戦前のドイツサッカー黎明期など、なかなか知る機会のないトピックもあつかってくれるというのが本書の読みどころ。

 歴史のあだ花ともいえるザールラント代表チームの話など、「へー、そんなこともあったんやー」な驚きの連続で、私のようなドイツ推しにはたまらない本である。

 思えば、ドイツも人気実力ともに、ずいぶんと盛り返したものだ。

 私が少年サッカーをやっていたころは、まだ西ドイツだったが、当時から強かったわりには「地味」「退屈」「もう見飽きた」などと言われ続けて幾星霜。

 それでも、そんときはまだ勝ってたからいいものの、その後世代交代に失敗し、華やかさには欠けるまま、実力だけは落ちていくという悲しい流れに。

 一時期は地元メディアにすら「まともなのはシュヴァインシュタイガーだけ」と酷評される季節もあったが、この冬の時代も「税金」と忍んで応援していたら、その甲斐もあってか最近はまたもや「強いドイツ」が返ってきた。

 とはいっても、スペインやイタリアあたりに痛いところでやられてるんだけど、タレントもそろってるし、そろそろビッグタイトルが欲しいよなー。ということで、ブラジル大会もまた性懲りもなくドイツを応援するんですが、果たしてどうなることか。久しぶりに優勝してほしいです、はい。

 そんな、ドイツ後押し本として最適な本書で、妙に印象に残ったのが冒頭の章。

 開口一番にあつかっているのは、そんなサッカーの古豪であるドイツに、いかにしてサッカーというスポーツが伝わってきたのかについてのお話。

 ドイツの場合も、アフリカや南米など多くの国のご多分に漏れず、本場イギリスから海路を経て、まずは主に港町に伝わった。

 ハンブルクやハノーファーなど海に近いところで急速に広まったサッカー(ドイツ語では「フットボール」を直訳して「フースバール」)だが、意外なことに最初の評判は芳しくなかったらしい。

 いやそれどころか、ほとんど迫害されていたといっていいくらいのあつかいであった。

 当時のドイツで幅を利かしていたのが「トゥルネン」という体操競技であり、各地で作られた体操クラブで、陸上や水泳など総合的に心身を鍛えることが奨励されていた。

 そこにあらわれた新参者のサッカーはといえば、これが無茶苦茶にあつかいが悪かったのである。

 なんたって、当初は「なんでサッカーなんかに」と、ロクに競技場も貸してもらえなかったそうだ。

 それどころか、ドイツ伝統の体操をないがしろにして野蛮な球蹴りとは、「外国かぶれ」とか「非国民」なんて呼ばれて白眼視される。戦時中の日本かいな。

 あまつさえ、

 「サッカーをやっているようなヤツは、不穏な反体制の破壊分子にちがいない」

 と決めつけられる始末。破壊分子って、楽しくサッカーをやっていただけなのに、ほとんどテロリストあつかいである。

 実際、「おまえ、放課後ちょっと来い」と呼び出されボコられたり、因縁をつけられて理不尽にクラブを追い出されたりもしたそうな。

 こりゃ、ホンマもんの非国民である。2006年ワールドカップの時には、

 「Willkommen zu Fussballland」(サッカーの国にようこそ)

 なんて看板を見せびらかしていたドイツであるが、昔は全然ちがっていたんですね。人に歴史あり。


 (続く→【こちら】)





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