山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

香りの功罪

2006-07-31 00:05:40 | 川飯.B級グルメ
先々週のことである。
木曽川のほとりの蕎麦屋に入った。手打ち蕎麦を食べさせる店である。
座敷に座って、いつものようにざるそばの大盛りを注文してそば茶を口に運んだ時である。

むっ!とするキツイ臭い。『なんだこりゃ』と座敷を見渡すと、ありましたよ。
大きな花瓶に10本ほどの百合の花があるではあ-りませんか?
きつい臭いの正体は百合の花であった。臭いがきつすぎて次第に気分が悪くなってくる。

せっかくの手打ち蕎麦の味も香りも、百合の花の臭いで台無しである。
この店の主の蕎麦に対する想いや愛情は微塵も感じられない。
おいしい蕎麦を食べて頂きたいというお客に対する想いも感じられる訳がない。

出された蕎麦は、座敷から離れてテ-ブル席で食べた。
久方ぶりに不愉快な空間に身を置いて痛感した。
香りは使い方次第で食べ物をおいしくもすれば台無しにもする。
香りの功罪、きちんと理解したいものである。
食事の際の自分の香りと臭いにも充分注意したい。

同じことは医療の世界にも言える。
歯科医院では花を飾ったりアロマオイルを焚いて癒しの効果を高めている。
一般医はどうであろうか? 体調の芳しくない来院者が多い一般医の医院は強い臭いは好ましくない。是非ご留意を!



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好き勝手に生きましょうや!

2006-07-29 16:51:20 | 独り言
横浜、市が尾のとあるコ-ヒ-ショップ。
隣の席に30代後半とおぼしき女性の3人組が。

『うちなんてさあ、ダンナが水、木が休みなのよ-。だから最近、水、木だけパ-トすることにしちゃったよ-。ダンナの顔みなくていいし-、ごはんつくらなくていいし-、仕事場はク-ラ-きいてて涼しいし-、疲れて良くねむれるし-、
おまけにお金になるし-、最高だよね-』

『うちなんて朝からトレ-ナ-着ちゃってさ-、テレビつけっぱなしでダラ-っとしてるし-、新聞広げてもボケ-っとしてるし-。大体なんで一日中いるわけ-、うっとうしいったらありゃしないよ-』。と、話は延々と続く。

おいおい、そこの奥様たち、ちょっと違うんじゃない?あなたのダンナは毎日一所懸命働いているんだよ。たまの休みだもの、ダラ-でもボケ-でも良いじゃない。そんなに邪険にしないでやさしくしてあげましょうよ。だって、あなた達はこれから二子玉で食事してお買い物でしょ、それもダンナのおかげじゃないの?

家に帰ってかみさんに話してみた。『気の置けない友達とお茶しながらダンナの悪口言うのは生活の知恵なのよ。これでストレス発散してるから家庭もそれなりにうまくいってるんじゃないの』。そんなもんかねえ。

我が家は午後6時になるとかみさんが小料理屋の女将に変身する。かみさんが作る料理を肴に酒が進み、話が尽きない。盛り上がりすぎて大げんかになることもしばしばである。うちのかみさんのストレスはこれで発散出来ているのだろうか?

世のダンナさんたちよ、かみさん達に何言われてるか分かりませんぞ。
家で所在なく過ごすのもいい加減にして、短い人生だもの、好き勝手にやりましょうや。ナニ、やることがない?それは深刻ですな、熟年離婚が待ってますぞ。












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絶対に変わってはならないものパ-トⅡ

2006-07-25 23:04:56 | 独り言
企業や組織にとって、無くてはならないものがある。
皆が同じ方向を目指して進んで行くために絶対に必要なものがある。
ミッション、ビジョン、バリュ-、ゴ-ル、ストラテジ-である。

ミッションは組織が負う使命。ビジョンは未来構想。バリュ-は組織全員が共有すべき共通の価値観。ゴ-ルはビジョンを実現する過程での短期目標。ストラテジ-はビジョンを実現するための戦略を言う。

これらのすべてが備わっていなければ、その組織は羅針盤を持たずに航海する船と同じで、どこへ進むのか、どこへ進んでいるのか、現在地すらも解らなくなる。

これらの内で、絶対に変わってはならないものがある。『バリュ-』である。
ミッション、ビジョン、ゴ-ル、ストラテジ-は世の中の変化と共に当然に変わっていくものである。しかし、バリュ-は基本的には変わるべきではない。

『バリュ-』は『クレド』とも言われる。『信条』という意味である。
リッツカ-ルトン(ホテル)の『クレド』は素晴らしく多くの組織が取り入れている。組織の一員であるすべてのものが、仕事を遂行していくうえで最も大切にすべき行動規範、共通の価値観は世が移ろっても変わってはならない。

ある会計事務所の『バリュ-』をご紹介したい。

1.お客様にとって一番の理解者でありなさい。
充分な時間を割いて、お客様の話に耳を傾け、お客様が何を実現したいのか、何を望んでいるのかを理解し、その実現のためにベストを尽しなさい。

2.お客様のことをいつも気にかけていなさい。
お客様に忙しい素振りを見せたり、回答を先延ばしにしてはならない。そして、あなたがお客様のことをいつも気にかけていることをお客様にアピ-ルしなさい。

3.常に旺盛な好奇心と探求心を持ちなさい。
お客様に最高のサ-ビスを提供するために、旺盛な好奇心と探求心を持ちなさい。
そして、柔軟な発想で研究、改善、創意工夫のためにチャレンジしなさい。

4.常に自分を成長させ続けなさい。
常に志を高く持ち、今の自分に満足することなく、今日よりも明日と、常に自分を
成長させ続けなさい。そのために果敢に成長目標を定めてチャレンジしなさい。

5.誠実でありなさい。
お客様と約束したこと、パ-トナ-と約束したことは絶対に守りなさい。出来ない約束はやめなさい。誠実であることが信頼関係を築くための基本であることを知りなさい。

(以下省略)

これは、皆が心をひとつにするバイブル。

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絶対に変わってはならないもの

2006-07-24 22:47:00 | 書籍
4年前、広瀬元義塾長の会計事務所経営塾に25人の塾生が集った。
『10年後に売上10億円の会計事務所を作る』というスロ-ガンであった。
私もそのメンバ-のひとりであった。

他の塾生の殆どは本気で10億円の会計事務所作りを目指していたようである。
私はというと『小さいことは良いことだ』という強いポリシ-を持っていたので、
最初から10億円など意識したこともなかった。

では何故この経営塾に参加したのか?
ひとつは、10億円を目指そうとする事務所の所長やスタッフのレベルをこの目で確かめたかったこと。
もうひとつは、10億円事務所を達成するためには、どんな手法を使うのかをこの目で確かめたかったこと。

そして解ったこと、それは、大型事務所のレベルも、10億円事務所を作るための手法も、、、??? そして私ひとりだけが1年で経営塾を辞めた。

しかし、学んだことはたくさんある。特にこの4点は、わずか4年前のことなのに今の私の考え方の原点にもなっている。
ひとつは『変化の波を読み、変化を楽しみ、変化の波に乗る』ことの大切さ。
ひとつは『プロダクトアウトからマ-ケットインへ』の発想を持つことの大切さ。
ひとつは『ベンチマ-キング(見学)』の大切さ。
ひとつは『ミッション、ビジョン、バリュ-』をスタッフと共有する事の大切さ。

変化の波は、最初は静かにゆっくりと進み、そしてついには加速度的に一気に大きな波が押し寄せる。大局観を持たなければ小さな変化も感じ取ることができずに飲み込まれてしまう。このころから私はレポ-ト『明日への提言』で医療界の大きな変化の波について提言し続けることができた。経営塾のお陰である。

ベンチマ-キングの体験も大きい。あれから3年間、先端を走る日本中の歯科医院
を見学させて頂き、学ぶべきところや真似るべき点を沢山伝えることが出来た。

変化の波はあらゆる世界で大きくうねり始めた。この変化を避けるのではなく、自らの発想を転換して積極的に変化の波に乗らなければ未来はない。

しかし、どんな時代になろうとも絶対に変わってはならないものもある。
お客様一人ひとりを、自分にとって特別なひとりとして接する心。
仕事に対する愛情と熱い想い。お客様やパ-トナ-との信頼関係を大切にする心。
当たり前のことであるが、しかし絶対に変わってはならないものである。

広瀬塾長がまた本を執筆された。経営塾は2年前に解散したようであるが私にとって広瀬塾長は今でも師のお一人である。

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パロマよ お前もか!!

2006-07-22 22:38:18 | 独り言
パロマのガス湯沸かし器によって21人の尊い命が奪われた。パロマは21人の将来と、そして21人の誰もが抱いていたであろう『夢』を奪ったのである。
パロマのトップや社員たちに、殺人マシンを作ってしまった罪の意識はあるのだろうか?社会に貢献するという『使命感』はあるのだろうか?

罪の意識も使命感もあるわけがない。あれば隠蔽や責任回避などしない筈である。
三菱自動車しかり、雪印乳業しかりである。

例えば雪印乳業は、『北海道の酪農家の自立と救済のために雪印乳業を設立する』という壮大なミッションのもとに設立された。
酪農家への指導、生産品の買い取り保証、乳製品の商品開発などの地道な活動を続けて国内トップの評価を受けるまでになった。

それが『隠蔽』というたった一度の裏切り行為によって雪印は消費者からそっぽを向かれ消滅を余儀なくされたのである。

これに対して石油ファンヒ-タ-で死亡事故を起こした松下電器はどうだったか?
最初こそつまづきを見せたが、その後の対応は見事であった。
商品のCMを一切打ち切り、すべてをファンヒ-タ-のリコ-ル広告に切り替えた。社員総出で地域の戸別訪問を続け、担当部署のスタッフは全国の特約店にあたってすべてのユ-ザ-の戸別訪問を続けた。莫大な資金を投入したのは当然のことである。

松下と、パロマや雪印との違いはなんだろうか?決定的な違いが一つある。
トップと社員の目がユ-ザ-に向いているか、会社に向いているかの違いである。
何か事が起きたとき、最優先すべきはユ-ザ-である。ユ-ザ-を守ることを最優先にすべきである。パロマや雪印は会社を守ることを最優先してしまった。

会社を守ることを最優先したために隠蔽や責任回避に走り、結果として信用失墜という取り返しのつかないシッペ返しを食らったのである。当然である。
一言で言えば企業文化、企業風土の違いであり、これは致命的である。

医療の世界にも一部にまだ『非を認めるな』という風潮がある。医療は誰のためのものだろうか?これが理解できれば自ずと答えは出る。患者側が高学歴になり十分な情報を持ち権利意識が高くなった今、医療人の特権化はとうに崩れ去っている。

パロマや雪印の対応を見るにつけ、クレ-ム処理についての対応を十分検討し準備しておく必要がある。例えば、某事務所では以下の如くである。

1.クレ-ム処理はすべての業務に最優先する。
2.クレ-ムは大小に拘わらず、その場から直ちに所長に報告する。
3.クレ-ムについての責任は一切問わない。但し、報告連絡を怠った者は責任を追及し処罰する。
4.クレ-ムには言い訳せず心から『申し訳ありませんでした』とお詫びする。
5.クレ-ム処理に必要な金銭的、時間的損失は一切無視する。
6.クレ-ムが発生したら、直ちに所長と担当者が訪問し、お詫びと事実確認をする。
7.お客様が納得するまで徹底的に問題解決に努力する。
8.クレ-ムの内容、発生原因、対処内容、結果をまとめたクレ-ム報告書を必ず所長に提出する。
9.所長はクレ-ム報告書を全員に回覧して情報を共有し、その後の業務に生かすこと。

準備は早すぎることはありません。まだでしたら是非是非!!
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K-house完成!

2006-07-17 23:11:12 | 独り言
新宿駅近くにK-houseが完成した。6階建ての瀟洒なビルである。
5~6FがK先生ご一家の住まい、4F以下がテナントビルである。
このビルの竣工は皮膚科医院の院長K先生の10年来の夢であった。

親友のOちゃんが設計監理を担当し、資金計画と銀行交渉のすべてを私が担当した。だからK-houseの竣工は嬉しさもひとしおである。
賃貸部分もすべて埋まり金繰りも万全である。

今日はK先生と奥様からのお誘いを受けてOちゃんと共に伺い、感謝の言葉と共に心のこもったおもてなしを頂いた。いつも思う。お客様からの感謝の言葉が私たちにとっての何よりの報酬であると。感謝される喜びを感じながら仕事が出来ることに心から感謝したいと思う。こうして形として残ることは何よりも嬉しいことである。

私は常々おすすめしています。賃貸用不動産を持ちましょうと。そして60才になるまでに頑張ってロ-ンを完済して、悠々自適の人生を実現させましょう。
決して不可能ではありません。多くの方々が実現しているのですから。
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未知のトライアングル地帯 奈川村を初めて訪ねた

2006-07-16 22:32:17 | フライフィッシング
登山と渓流釣りにのめり込んでいる私は、毎年何度となく信州に通い詰めている。でも未知の土地はまだまだあるもの。

7月15日、奈川村を初めて訪ねた。私にとっては未知のトライアングル地帯である。松本から北アルプスや飛騨地方へ向かう途中に奈川村はある。
木曽から開田高原や岐阜の朝日村へ向かう道の隣にも奈川村はあった。

これらの道を何度も何度も通っていたのに奈川は気にも留めない村であった。
今回、この村を訪ねたのは釣友がこの村で釣るということを聞いていたからである。初めての土地はいつもワクワクする。その土地の郷土料理や花々や渓流魚、そこに根を下ろした人々との出逢いがたまらないのである。

初めての土地に入ると真っ先に釣り券を買う。観光地図をもらって商店のおばちゃんから土地の情報を教えてもらう。そして、観光地図を片手に村内を隈無く探検してまわる。どんなものがあるのか?ワクワク感がたまらないのである。

釣りは午前中で切り上げ、温泉で汗を流したあと蕎麦の食べ歩きを。夕方、福伝という蕎麦屋で山菜のおひたしと地物の野菜の漬け物をつまみにビ-ルを飲んでくつろいでいると軽トラックが2台。山着姿のおやじさん2人が入ってきた。蕎麦屋の店主は黙って生ビ-ルと枝豆を差し出した。常連である。

しばらくテレビで大相撲を見ながら雑談の後、おもむろに釣りの話に振ってみた。
やはり地元の釣り師であった。釣り好きは臭いでわかる。2人はあまり地元では竿を出さないと言う。鮎もアマゴも釣りは木曽や天竜、飛騨に出かけるという。決して奈川が悪い川だからではないともいう。

何故か?釣りにも旅心がねえとおもしろくねえと言う。別の土地へ行って温泉に浸かって旨いもの食って旨い酒飲んで、ちがう気分になれるからいいんだと。
やっぱりね、そのとおりだよね。釣り人にとって渓流に立つことは非日常の世界だものね。毎日四六時中眺めている生活の一部のような川で竿を出しても感動もわくわく感もないんだろうな。

将来リタイアしたら溪のそばにツリ-ハウスでも作って日がな一日竿を出していられたらなんて考えていたが、きっと飽きちゃうかもね?
釣りは旅と共にあるからおもしろいんだろうな。非日常の世界だからワクワクするんだよね。

彼の地の渓流を訪ねたいと毎日毎日想いを募らせながら仕事に励み、やっと取れた休みにわくわくしながら溪に立つ。これなんだよね!
地元のおやじさんの含蓄ある言葉が身にしみました。おやじさんありがとう。

野麦峠への道を進むこの中年サイクリストもまた、背中のザックに期待と不安を詰め込んで非日常の旅に発ったんだろうな。
コメント (2)
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夢のチカラ

2006-07-08 13:33:11 | フライフィッシング
Yという男がいる。30代前半のこの男はカウボ-イになる夢を持っていた。
国立農工大学の大学院生であったこの男は、私の家の近くに下宿していた。
ひょんなことから知り合いになり、よく一緒に釣りに行ったものである。

その彼が数年前、突然アメリカに渡った。アメリカの大学院で学ぶためである。
大学院の試験は受けていない。インタ-ネットで大学院を探し手当たり次第に教授にメ-ルを打ち『是非あなたに付いて酪農を学びたい。そしてアメリカでカウボ-イになりたい』という意志と熱意をメッセ-ジにした。

『私で良かったら是非私の大学にいらっしゃい』。ひとりの教授からメ-ルをもらった彼は小躍りして私の家に来てアメリカでの夢を熱く語ってくれた。
このとき初めて、彼が夢に本気だったことに気づき感動したものである。
牧場に住み込みながら大学院を修了した彼は今、アメリカ人の嫁さんと二人で夢の実現に賭けている。いずれモンタナで、イエロ-スト-ンで一緒にロッドを振りたいものである。

Eという男がいる。40代前半のこの男は、蕎麦とフライフィッシングをこよなく愛していた。事務機器の営業に来ると決まって、蕎麦とフライフィッシングの話で盛り上がった。蕎麦とフライフィッシングの話ししかしないのにコピ-を3台も買い換えさせられた。一緒に釣りにも行った。

その男が数年前、突然会社を辞めた。
どうしても蕎麦打ちになりたいという。私は彼の夢に賛美を贈った。
いま彼は蕎麦打ちの修行を終え、開店資金を稼ぐために宅急便のセ-ルスドライバ-の仕事に励んでいる。2才の子供を抱えた嫁さんは、さぞかし大変だと思う。

でも、この夢は二人の夢でもある。だから安定した会社を辞めても苦しくても耐えられる。

夢があるから頑張れる。
夢があるからへこたれない。
夢があるから乗り越えられる。
夢があるから前進できる。
夢があるから毎日がわくわく出来る。

これが夢のチカラなんですね。
彼の夢も実現に近づいている。熱い想いのこもった蕎麦を早く味わいたい。
できれば店は渓流沿いがいいな。一緒に渓流に立って、昼には一杯やりながら蕎麦を食らう。最高だね。でも商売にならないか?

私も3年後の夢と5年後の夢を是非実現したい。
そろそろ行動に変える時期である。
Eさんから頂いたアマゴの焼きものを眺めていると勇気が湧いてきた。
頑張ろう!
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友からの贈り物

2006-07-06 01:21:19 | 川飯.B級グルメ
山形に住む親友からさくらんぼが届いた。
冬になると決まっておいしいリンゴが届けられる。
学生時代、彼の親戚のさくらんぼやリンゴの果樹園を訪ねたことがある。
あの風景を浮かべながら、季節の香りと一緒にさくらんぼを味わった。

彼の実家は酒屋なのに、私が贈るのはいつも決まってビ-ルである。
ビ-ルの印象しかないのである。金がないのに良く飲んだものである。

彼は優秀でしかも正義感がすこぶる強かった。
哲学研究会と学生運動にかまけて、まともに授業に出ない私は彼からのカンニングで試験を切り抜け卒業できた。試験になると決まって彼の周囲を悪友達が取り囲み、彼が問題を解きながらヒソヒソと答えを言ってくれるのを待っている。

何度も何度も試験官にバレたが、幸いにも彼のゼミの先輩が試験官であったためおとがめなく優をもらえたものである。彼のおかげで大卒の肩書きをもらい世に出た者は一人や二人ではない。改めて敬次に感謝したい。

大学院を終えた彼はいま山形県の行政職として頑張っている。正義感の強い彼のことだから県民にまっすぐ目を向けた言動を続けていることだろう。
彼もあと6年で定年になる。俺たちもあと6年で60才なんだな。
でも全然そんな気がしない。気分はまだ30代だもんな。

最上川をカヌ-で下ろう、寒河江川で釣りしようなどと言っているが一度も実現していない。年と共に気力体力が衰えるのと反比例して仕事だけが増えて忙しい。
この辺で少し生き方を変えて、最上川カヌ-ツ-リングや寒河江川の釣りを実現しようかな。
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さよなら 中田ヒデ選手

2006-07-04 01:11:08 | 書籍
中田ヒデがHPで現役引退を告げた。
『プロサッカ-という旅を卒業して、新たな自分探しの旅に出たい』と。

プロ選手として10年、彼はプロとして勝利への責任を負い続けてきた。そして今、子供の頃に持っていたボ-ルに対する瑞々しい感情が失われてしまったという。最後に私たちへの感謝の言葉で締めくくられている。

『ヒデ、お疲れ様。今まで本当にありがとう』。
ねぎらいと感謝の言葉を伝えたい。代表チ-ムの中で本物のプロ選手はヒデひとりしかいないと思っていたから、なおさら残念でならない。

日本のサッカ-を変えたのは、間違いなく三浦カズであり、川淵であり、ヒデである。中でもヒデは将来の日本サッカ-の中心的リ-ダ-の一人になると信じている。なぜならば、サッカ-に対する想いや哲学、戦略やテクニックについて明確に論理的に言葉で伝える能力がヒデには備わっているからである。
残念ながら、日本のあまたのリ-ダ-には一番大切なコレが欠けている。

自分探しの旅を終えたヒデは、いずれ日本サッカ-を変える存在になる。

三浦カズが本を出した。『おはぎ(講談社)』という本である。
書名のとおりカズはおはぎが大好きだという。この本に紹介されている『甘味処おかめ』の味は絶品である。私はいつも『ぜんざい』をごちそうになる。

60年の歴史を持つ老舗のこのお店は、なにより素材にこだわり一切の妥協をしない。いわゆる職人さんが紡ぎ上げる和の味を、和の趣を醸し出すお店で頂く。
ここまで来たら『和の文化』そのものであり、和の文化を頑なに守り続けている。

カズが訪れた麹町店も良いが、交通会館店もおもしろい。
和風らあめん『ひょっとこ』のらあめんは歯医者さんがレシピをつくった。
中でも『ゆずらあめん』が絶品で、後を引く味にリピ-タ-も多い。
私はここで『ゆずらあめん』を食べてから、同じフロアの『おかめ』でぜんざいを
食べながらタバコをくゆらす。なかなかオツなものである。

和の文化を守り続けるこんなお店、もっとずっと続いていって欲しいと心から願う。
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哀愁のホタル

2006-07-03 12:16:14 | 山歩き.散歩
ホタルの飛び交う季節になりましたね。
皆さんはもうホタルに会いましたか?

私の少年時代、もうかれこれ40年も前のこと。
あのころは、近くの沢や田んぼから飛び立ったホタルたちが家の前の庭でも乱舞したものでした。

子供の私達でも、すぐ近くを飛び交うホタルを捕まえるのはたやすいことでした。
菜種を採ったあとの菜の花の枯れ枝を箒状に束ねて、ホタルを採ったものですよね。ツユクサを入れた虫かごにホタルを放つと、ツユクサの上で夜通し黄緑色の蛍光色を放っていたものでした。ホタルの独特のにおいも好きでした。

懐かしくて6月30日、秋山川での釣りの帰りにホタルに会いに行きました。
『あじさいとホタルの里、綱子』という集落で、私の生まれ育った伏馬田という集落の隣の隣の小さな集落です。寂しいことですが私の生まれた集落ではホタルの姿は消えてしまいました。

午後7時過ぎ、綱子川の小さな沢からそれは始まりました。
ホタルはひとつふたつと飛び始め、やがて数十個のまばゆい光は点滅しながら私たちの頭上を飛び交い、あじさいやツユクサの葉に羽を休めて光り続けます。

夕涼みに来ていたおばあちゃんやおじいちゃんと光のショ-を眺めながら、しばし昔話しです。同級生だった正吉くんやはまこちゃん、岸男くんのことも覚えていてくれました。

ツユクサにとまったホタルを手にとって顔に近づけると、あの独特のにおいはあの頃のままでした。むかしのままの風景の中で、昔を知るおじいちゃんやおばあちゃんと話し、子供の頃にタイムスリップできた時間です。

里山にホタルやヤマメが昔のように戻ってくればいいのに。

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