『呪い』
青空に雲の散在…なんということもない光景である。
ここにあるのは空と雲だけ、これがなぜ『呪い』なのか。ひどく漠然としたテーマであり、鑑賞者は首を傾げざるを得ない。
雲、水の異なる現象の一つであり、雨風、暴風雨、雪に変化する要因を持っている。
そもそも「呪い」とは悪現象であり、地域社会に災厄や不幸をもたらすものであるが、呪いは人の行う行為である。
だから、雲の変化のような物理的現象が呪いの主体になることはない。人の精神が元凶となり霊的な手段(呪詛)をもって為す、いわば空論である。
『呪い』とは確かに在るように感じる結果論に近いものであり、実際にその存在を確認し、証明することは出来ない。留めて検証をすることは困難であり不可能である。
『呪い』とは、見上げて見たときの《雲》に酷似している。形を留めず、有るかと思えば無く、無いかと思えば在る、疑惑を持たざるを得ないような正体への追及は、雲の存在に近似している。
あの青空に素知らぬ顔で漂う雲こそ『呪い』の正体かも知れない。(=で結べないが≒であるという精神論は通用するのではないか)
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
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