続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

Ⅱ-1-5「所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」のための模型No.4

2019-11-22 07:12:35 | 美術ノート

  Ⅱ-1-5「所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」のために模型No.4

 平地(草原)の中央に小高い山(岩)がある。
 平地には直線が敷かれている、即ち人の手(英知、歴史)が入っている領域ということである。
 一方、小高い山(岩)を凝視すると、えぐられていたり鋭角の勾配であったりする。つまり、人が登れない山(岩)である。もちろんこの形態を長い時間保持することはできず、やがては崩壊を余儀なくされる形ではある。
 これをどう考えるか・・・神の領域であり、人力の及ぶ範囲ではない。

 祀るべき領域、畏敬せざるを得ない人知の届かぬ領域としてのシンボルである。
 可視の存在でありながら、山頂に立つことは不可抗力と思える頂上の先鋭である。

 森のはずれー精神の震え立つ祈るしかないエリアへの信奉・・・ただ存在するだけで神を実感する所有・雰囲気・振動・・・これらの想像を形にしたものである。


 写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館


『忘れえぬ人々』39.

2019-11-22 06:52:02 | 国木田独歩

名)刺の交換が済むや、酒を命じ、談話に実が入って来るや、何時しか丁寧な言葉とぞんざいな言葉とを半混に使うように成ったものに違いない。


☆死の講(話)の肝(重要なところ)は済(救い)であり、主に迷いを断ち切ることであるr。
 和(調合する)実(内容)は、新しい記であり、化(教え導くこと)である。
 字を訂(ただす)と現れる様(ありさま)は幻(まぼろし)の様(ありさま)である。
 半(二つに分けた一方)の根(物事のもと)は、死の状(すがた)の意(考え)である。


『城』3308。

2019-11-22 06:43:06 | カフカ覚書

というのは、従僕は、平然として先へすすんでいき、ふりむきもしないで、損をした役人がわめきたてる騒音を受けながしていたからである。ただ、ときおり眼をかなり長いあいだつぶって、この騒がしさに苦しめられているんだということをしめした。

 

☆彼はじっと冷静なまま、振り回されることなく、その騒音の中にいた。ただときおり、長いあいだ眼を閉じ騒音に耐えているのだということを仄めかした。