『日の出、日没Ⅳ』
海岸線、そして山また山、そして谷、樹林があり、穴(空間)があるという景。
これらは日の出から日没に至る時間のうちに見える、視覚に内包される所有空間である。明らかに存在するものに対峙しうる極端な集約でもある。
日の出、日没における感動的な眩さというより、目の前に現出する景色(存在)に対する触覚にも似た感覚である。
大いなる山や海を一望に納める景色ではあるが、記憶された視覚の再生であり、俯瞰の景色である所以である。
日の出、日没という線条を考慮し、内在の空間に収めるには海・山・谷などの地平は極端にミニマルな景とする必要があったのかもしれない。
日の出、日没の光彩無くして存在の空間は図りえず、基本の扉をこじ開けた困難な仕事の形象化であったと思う。
(写真は神奈川県立近代美術館〔若林奮『飛葉と振動』展・図録より
陽ざしとかれくさ
どこからかチーゼルが刺し
光パラフヰンの 蒼いもや
わをかく わを描く からす
烏の軋り……からす器械……
(これはかはりますか)
(かはります)
(これはかはりますか)
(かはります)
(これはかわりますか)
(かはりません)
(そんなら おい ここに
雲の棘をもつて来い はやく)
(いゝえ かはります かはります)
…………………………刺し
光パラフヰンの蒼いもや
わをかく わを描く からす
からすの軋り……からす機関
☆ 秘(奥深くてはかり知れない)
死の講(話)の総てに平(平等)がある
熱い鬼(死者)の界(世界)を運(めぐらせている)
極みは雷(神なり)の姿である
講(話)は総て平(平等)の極みであり、記は換(入れ替わる)
Kは、そう言うなり、イェレミーアスのあとを追いかけ、彼をつかまえると、その腕にぶらさがった。
「突然フリーダに会いたくてたまらなくなったのかね。それだったら、おれもおなじことだ。さあ、歩調をそろえて歩こうぜ」
☆イェレミーアスの後を追いかけ、彼をつかまえ、(正義の)力にしがみついた。
フリーダ(平和)を見出し、つかまえようとした。わたしも少なからず同じ思いである、そして文字は似ている。