続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

個人の見解。

2017-03-09 06:24:42 | 日常

 久しぶりに会った友人、バスと電車を乗り継いで行く先を問うと、
「川崎まで…体操に行っているの」という。
「『きくち体操』って知ってる?」
「『いきいき』って本に出ているアレ?」
「そう、それに行っているの」
 遠方まで、時間とお金をかけて出かけてまでする体操って! すでに一年半も続けているという。

 そういえば、Uさんも市外(葉山)まで出かけて体操をしていると聞く。
 みんな身体のメンテナンスに力を入れていることが分かる。少しでも今の状態を保ちたい。否、今以上をすら期待しているのかもしれない。

 それにしても遠すぎない?
(わたしなんか徒歩三分のラジオ体操だけど、あなたのお家からだって同じ距離じゃないかしら)とは言いかねた。

 みんな何かに突き動かされて生活している。東京まで(水)を買いに出かけていた人もいた。
 キーワードは「信じること」である。
《気》が、心身の衰退を食い止め活性化させるのかもしれない。

 かく言うわたしも、昨日は横浜まで出かけ、バーゲンで5キロ近くの布地を買い込んだ。それを見てニンマリ笑っているわたしも彼女とほぼ同じグループに属している。
 (ついこの間まで段ボールに詰めるほど大島だの古布を集めていたのに、新しい明るい色の生地に心変わり(?)し、いつもは友人と行くバーゲンを初めて一人で出かけた)

 生地を見てるだけでいいの…生地売り場にはご同輩が縦列、旧知のような会話。ホント楽しい。


マグリット『ある聖人の回想』

2017-03-09 05:50:26 | 美術ノート

 『ある聖人の回想』

 円形に仕切られたカーテンの内側には海と空があり、その外部は漆黒の闇、地上は連続している。

 (ある聖人は、こんな風に回想するのではないか)とのマグリットの想いである。

 はじめに神は天と地を創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。(創世記・第一章より)


 闇(夜)と光(昼)に分けたのは、わたしだったろうか。存在の起源を創造する神意というものがあったに違いないが、物理的現象が精神的指令を迎合するだろうか。
 聖人は、時を超えて回想しているかもしれない。 


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)