続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

眼科医院 ③

2014-07-24 07:04:29 | 日常
 暑い盛り、出かけるのは億劫だったけど、御身大切とバスに乗り菱眼科へ。

「ハイ、傷も治りましたね。視力のほうもまあまあですから、これで終了です。出来れば一年に一度くらいは・・・」「ええっ?(無理かもしれません)」
「そうですね、また何かあったら来てください」

 というわけで、眼の充血は完治。
 目薬を点けるだけでも良かったかもしれない。でも、眼を酷使してきた経由もあり、一度はきちんと診てもらいたいと思っていたので、いい機会だった と思っている。幸い「緑内障、白内障ではありません」との言葉を聞き一安心。


 それにしても疲労はすぐ眼に出る。昨今は、眼精疲労・肩凝り・付けて加えて膝痛と老人の態を(立派に?)成している。


 先日孫を連れて公園に行ったけど、前の通りを闊歩していったN夫人、すでに90才は越えているというのにシャンシャンしていた。90才過ぎのKさんも、家の前を両手の荷物をものともせず闊歩。
 それに比してわたしの摺り足、躓くのも当たり前の態。


 少しばかりの眼の充血にも大騒ぎで医院に駆けつけることがいいのか、《何でもないわ》とばかり笑い飛ばしている内に時が自然に治してくれるという考え方がいいのか・・・。NさんやKさんにこれからの処方を伺いたい。

 元気の秘訣・・・「一日にして為るものではない」と一蹴されるかもしれない。ああ、何をやっても手遅れ・・・。(「頑張れ、頑張れ」って、だれか応援して!)他力本願のわたし。

『ポラーノの広場』405。

2014-07-24 06:56:11 | 宮沢賢治
それに就いては署長に充分諒解を得てあります。警察ではわたくしに何の嫌疑もかけてゐない筈です。」


☆集めた諸(もろもろ)の帖(書きつけ)は、自由に部(区分けして)、両(二つ)を解(部分部分に分ける)。
 匿(隠して)継(つなぐ)冊(書き付け)は、化(教え導くこと)を兼ね、義(人として行うべき道)を括(ひとつにまとめる)。

『城』1691。

2014-07-24 06:39:07 | カフカ覚書
 すると、女教師の足もとを懸命になって拭いていたフリーダが、床から身を起し、まるで力づけてもらおうとするかのようにKのほうをちらりと見やった。それから、以前からの優越感を眼つきと態度にちらつかせながら、

 優越感/Uberlegeheit→Uberliegezeit/超過停泊機関。


☆教示に基づくことを拭っていたフリーダ(平和)は、心の底から高揚し、まるでエネルギーを吸収したようにKのほうを見た。昔からの超過停泊機関の光景にも冷静だった。