続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

横須賀建築探訪。

2014-03-15 06:42:26 | 日常
 京急田浦駅集合、12時に家を出て12時50分到着。

『ヨコスカ近代建築探訪』の講座、横須賀生まれだけれど横須賀を知らないわたし。菊池先生は東北(福島)のご出身らしいのに横須賀を熟知。少し歩いては建物を指し、懐古を忍ぶという風。昭和初期の地図などを参照し(ここは変わってしまったけど、あちらは変わっていないなどと、当時の一般的な(流行)手法を確認したりして眺めつくしている)

「町並みには発展の歴史が垣間見られ、残存する建築物からは当時の先端の技術を確認することが出来ます」といい、田浦駅近辺を散策。
「このあたりは旧海軍工廠の従業員たちが仕事帰りに立ち寄ったカフェ、ミルクホール、飲食店などが立ち並んでいたエリアです。この建物なんかは当時のままの窓が残されていますね」

「少し小高い所に建つあの建物は旧田浦町役場です。昔は小高い所に建てようという希望があったようです。(車社会ではありませんから)ですから、あの洒落たデザインの家などもそういうことです。○○という人の構想によるものとされています」

「この梅田隧道は地元の有志によって明治20年に掘られたもので、往来絶え間ない通路として海陸への道を開いたとされ、当時の賑わいを想像することが出来ます。」

「榎戸港は東京横浜方面と浦賀や中央とを結ぶ港として大いに栄え、活動写真館などを初めとする娯楽施設も多々ありましたが、今は静かな町として息づいています。ちなみに、横須賀市の人口は減少傾向にありますが、ここらあたりはむしろ増加しているとも聞いています。」

「この浦郷地区には旧海軍航空廠の建物があります。建物を見る限り近代的なので、古いという認識が希薄だったのですが、近年、大正3年の建物だということが改めて確認され、最先端の様式に感服しているような次第です。そして何よりここからは多くの技術者や研究者が輩出されたことも明記されるべき条項です。」

「旧海軍工廠造幣部庁舎/製図工場(大正2年、鉄筋コンクリート造り、セセッション様式)が在った船越は、銭湯が7軒もあったほどの人口密集地でした。工廠造幣部前の通り、仲通りなどは夜11時過ぎまで夜店が並び人の足が途絶えることのない地域だったということです。」

 ぐるっと、さらっと周った田浦地区。あちらことらに漂う少し前の時代の香り、その痕跡を訪ねた講座は面白くも懐かしさを巡る時間となりました。菊池先生、ありがとうございました。


 祖父は静岡県戸田村から緒明さんに連れられて横須賀に来たと聞いている。その息子である叔父たち三人も当たり前のように工廠勤めであったし、工廠へは現在わたしの住んでいる地区からも多くの人たちが通ったらしい。叔父が我家を訪れた際、「A(同僚)はこんな所から通勤していたのか」と近所の表札を見て驚いていたことがある。また、バス停で出会った夫人は「わたしの夫は工廠に勤めておりましたが、木炭バスが平坂までしか行きませんので、ここから徒歩で通っていました(推定6km)」と語った。
 田畑を広く有したSAさんは、「工廠勤めの夫の給料をはたいて近隣の女手を借り、田畑を守りました」と言った。
 横須賀にとって海軍工廠は地域のルーツ、要であったことが偲ばれる。

『ポラーノの広場』268。

2014-03-15 06:00:24 | 宮沢賢治
「きっと遠くでございますわ。もし生きてゐれば。」
「わたくしがいけなかったんです。けれどもきっとさがしますから。」
「えゝ、」
「デステゥパーゴはゐないんですか。」
「ゐないんです」
「馬車別当は?」
「見ませんでした。」
「あなたのご主人は知ってゐないんですか。」
「えゝ。」
「捜索願をわざと出したのせう。」
「いゝえ。警察からも人が来てしらべたのです。」
「あなたはこれから主人のところへお帰りになるんですか。」
「えゝ、」
「そこまでご一所いたしませう。」


☆双(二つ)の作が含まれていることを推しはかる。
 継(つなぐ)冊(書きつけ)を図り、鬼(死者)の趣(考え)を尽(すべて)記(書きとどめる)を逸(かくして)書いている。

『城』1564。

2014-03-15 05:40:41 | カフカ覚書
午後の疲れが、またよみがえってきて、学校まで帰る道のりが、まだまだ遠いような気がしてきた。見ると、バルナバスのうしろには、彼の全家族が勢ぞろいしている。助手たちは、あいかわらず身をKに押しつけてくるので、肱で突きとばさなくてはならなかった。

 学校/Schule→Schuld/罪過。
 肱/Elbogen→erbosen/怒る。
 押しつける/wegstiess(wegstossen)→wegsterben/(大量に)人が死ぬ。

☆小舟の手段の疲れがよみがえってきて罪過の一族までの道のりはまだ遠いような気がした。バルナバス(北極星)のうしろには頭脳(思考)が常に苦しんでいて、大量に人が死ぬ怒りを感じていた。