この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

『アンノウン』、プロットに無理があるが、一番の問題は…。

2011-05-10 21:52:04 | 新作映画
 ジャウム・コレット=セラ監督、リーアム・ニーソン主演、『アンノウン』、5/8、ワーナー・マイカル・シネマズ筑紫野にて鑑賞。2011年15本目。

 学会に出席するためにベルリンを訪れた植物学者マーティン・ハリスは、忘れ物を取りに行くためにホテルから空港に向かう途中交通事故に合う。四日後、昏睡状態から目覚めた彼は妻ジーナに会いに行くのだが、彼女からは「夫ではない」と否定されてしまう。どうにか自らの存在を証明しようとする彼の元に謎の暗殺者集団が襲いかかるのだった…。

 えー、プロットにかなりの無理があると思われます。
 記憶を無くした(正確には記憶障害を起こした)マーティンは自分のことを学会に呼んでくれたブレスラー教授の元を訪ねるんですが、そこには既に偽のマーティンがいて、彼は自分が本物のマーティン・ハリスであることを証明できないんですよね。
 でもこれはおかしい。
 半年に渡ってメールのやり取りをしていて、電話でも親しく話し、かなりプライヴェートなことまで打ち明けていたというのに、ブレスラーとマーティンがお互い顔写真を交換していないなんて。
 出会い系サイトで知り合った女が、どんな顔なのかは会う時までのお楽しみってことにしておきましょう、うふふ、って勿体ぶってるんじゃないんだから(いや、出会い系サイトは利用したことないけどさ)。

 終盤になって明かされる、<マーティン自身凄腕の暗殺者だった>という真相は確かに意外ではあるんだけど、だからといって、うわっ、してやられた!!感はなく、どちらかというと、コイツ、<凄腕の暗殺者>のくせに空港に忘れ物をしやがったのかよ!!とか、<凄腕の暗殺者>のくせに交通事故であっさり気を失って女に助けられてんのかよ!とか、ツッコミたくなること必至です。

 ただ、プロットに無理があったとしてもアクション映画であればそれは決して致命的な欠点とは成り得ない、とは思うんですよ。
 例えば、ジェームズ・マカヴォイが主演した『ウォンテッド』も相当プロットに無理がありましたが(マカヴォイ扮するウェスリーと彼の命を付け狙うクロスが実は親子だったって言われても絶対に見えんっつーの、ウェスリーはいったいクロスのいくつの時の子供なんだよ!!)、独自のアクションで魅せつけて、個人的に非常に好きな映画の一本です。

 それがこの『アンノウン』では、カーチェイスシーンもあるし、格闘シーンもある、ガンアクションも、爆破シーンも、ともかくアクション映画として必要な要素はおよそすべてあるというのに、どれもパッとしなくて、正直印象に残らないんです。
 これはプロットに無理があることよりも問題だと思いました。

 リーアム・ニーソンは『96時間』が面白かったし、ジャウム・コレット=セラは『エスター』が秀逸でしたが、両者がタッグを組んだ本作はアクション映画としては凡作と言わざるを得ず(サスペンス映画としては凡作以下)、それなりに期待するものがあったので非常に残念でした。

 お気に入り度は★★☆、お薦め度は★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。 
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