差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

石灯籠

2014年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム

1 我が家の庭の一隅に鎮座して40年、御影石の石灯籠はどんな想いで庭を眺めているのかな。相変わらず雑然としているなあと思っているかもしれない。  

 と思い昨日は暑い中、枝垂れ桜の枝の間引き作業に熱中する。流れる汗に目が沁みる体験を久しぶりに味わう。父と山で造林したところの下草刈りをした時のことを想い出した。あの日も全身びっしょりになりながら黙々と、、、。


可愛がって40有余年

2014年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム

1 30代半ばで求めたクロマツ室内に取り込んで針金がけをする。これまでどう樹形を創っていくか定まらず、その時々の思いつきで針金をまいてきた。今日は、右下の枝が元気がいいので懸崖作りにしてみようと思って思い切って下げてみた。さてさてどうなることやら、、、。

 それにしても、これまで文句も言わずなされるがままに生きてきた可愛い奴である。末永く付き合ってくれ!


早朝散歩

2014年08月19日 | インポート

1 午後の4㎞のウォーキング、この暑さに耐えかねて早朝にすることにして1週間になる。涼しい朝のひと時、なんと歩いている人の多いことか。歩いてみて、なぜもっと早く気が付かなかったかと反省しきりである。交わす挨拶も清々しい。

 今朝は、久しぶりに遠く霞にけぶる霊峰富士も顔を出してくれていた。何かいいことありそうだなどと、、、、。


吊るしもの

2014年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

1  株分けしたセッコクラン、成績のいいものもあればそうでもないのもある。写真のそれは良好な株の一つ、来年は、香りのよい白い花をたくさんつけてくれるだろう。 ミズゴケ玉の下部には、シノブを植え付けてみたところ見事活着し、玉の乾き具合を知らせてくれるので重宝している。

 さて、お盆も終わり我が家のご先祖様は、いかなるご感想を持って彼岸に帰っただろうか気になる。お彼岸のころ帰省して墓参しようと思う。


ドライブレコーダー

2014年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム

1  だんだん遠くなっていく故郷、あの道この道の記録を撮っておきたいと息子に話したところ、ドライブレコーダーを買ってきて取り付けてくれた。配線をどこをどう通したのかわからないが、だいぶ時間をかけて やってくれたようだ。

 早速町内を半周して、その記録をパソコンに入力し見てみる。ぶれもなく鮮明にワイド映像で撮っているのでびっくり!

 これなら田舎の通学への道、4㎞の駅までの道、母の実家への道など、いずれいけなくなる故郷の風景の記録として残せそうだ。秋には帰省して撮ろうかな。


語り合うことの大切さ

2014年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

1 昨日は、集いの方々14名で詔勅を聞きながら遠い終戦の日を想い出し、当時の苦しかった生活を語り合った。今日では、想像もつかない苦難の連続だったあの時代、それぞれの知恵を生かし生き抜いてきたことを伺えた。戦後七十年を迎える来年には、こうした語り合いで生まれる共有財産を、一冊の本にまとめられればと、、。頑張ろう!


天皇の詔勅

2014年08月15日 | インポート

1jpgkkkk 私どもの世代にとっては、今日は忘れることのできない日である。69年前のあの日のことを今でも鮮明に想い出す。

今日は、集い(老人会)でも天皇の詔勅全文を聞きながら当時を想い出し語り合うことにしている。

昨日は、そのリハーサル(?)をしてみた。耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び、、ぐらいしか記憶にないが、全文を聞き改めて当時の世相も含めて認識を新たにした。

 さてさて、みんなはどんな想いで聴いてくれるかな。機器を持って準備をしよう。

 


墓参

2014年08月14日 | 日記・エッセイ・コラム

1  庭の鬼灯も大分赤くなってきた。田舎ではお盆を迎えて仏壇を草花で飾り付けているだろう。その一つに色づいた鬼灯も仲間入りしていたように思う。

さて、お盆というとお墓詣りだが、このところとんと無沙汰している。あの渋滞情報を聞くにつけ、帰省することも少なくなったのでやむを居ない。 今年も、ご先祖様をミニ仏壇にお迎えをすることにして供物をお供えして敬うこととする。供養する心は変わらないので慈悲深い仏様も許してくれるだろう。


父のプレゼント

2014年08月13日 | 日記・エッセイ・コラム

1  亡き父は、自分から見ても働き者であったように思う。そうした中にも植木いじりが好きで松や伽羅木の樹形作りを愉しみ大切にしていた。晩年は帰省すると「あれもってけ、これ持って行け」と惜しげもなく言ってはいたが、、、。

 貰ったうちの一本、樹齢30年はあろうかという赤松を 移植して40年,それなりにかわいがってみたものの平凡な木にしてしまった。赤松の樹形作りは本当に難しい。

 今日は盆の入りか、亡き父を偲んで赤松を眺めるのである、、、、。


お盆花

2014年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム

1 昨日のことである。今はそうでもないかもしれないが、子供の頃は、お盆花は野山で調達したものである。 女郎花、桔梗、溝萩など友と採ったあの日が懐かしい。

 明日からお盆が始まる。兄に持っていく義姉のための盆花を買いそんなこと想い出しながら帰宅する。

 すると留守中息子が訪ね、汗まみれになって家中の掃除、ワックスがけをしているではないか。恐縮しつつただただ感謝するのみである。老親を想う気持ちがありがたい。親バカか、、、?