差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

稗飯

2009年08月20日 | 田舎の思い出

 戦後農家でも貧しい食事をするようになった。特に稗飯が出たときは母に嫌味を言ったものである。兎に角不味かった。(今でこそ5穀飯などと言って健康食として頂くことがあるが)

 《農家でどうして稗飯を、、》と思う方もいるだろうが、当時は強制的に米の割り当て供出制度があり、国が買い上げたのである。ヤミ米に売れば何倍もの値段で売れたが法律で厳しく取り締まった。正直者の父は、自家用の米(保有米といったように思う)を少なくしても国に協力したのである。一反あたり5~6俵位しか穫れない当時、52俵も供出した事があった。そんな訳で麦飯、稗飯、大根飯、芋飯(これは美味しかった)と食べることとなったのである。時には、ご飯の代用食として、水団汁で済ませたこともあった。


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