● prologue
私の両親は青森出身ですが、転勤族のため、私は住んだことがありません。
完全な核家族として育ったので、ルーツに疎いところがあります。
実は、我が家の家紋は、先祖代々受け継がれてきたものではありません。
曽祖父か祖父の代の時に、戦時中のゴタゴタで、気づいたら墓石に刻まれた家紋が判読できなくなっていたのだそう。
大叔父がお墓を建て替える時に困っていたら、隣人のキムラさんに「わからないのなら、うちのと一緒にしたら?」と言われて、そうしたそうです。
うわ~、適当&無頓着~。わが家系らしい~。
まあ当時は、どうしようもなかったんだろうと思いますが、嫁入りしてその話を知った母は、そのテキトーさにいたく衝撃を受けたそうです。
その後、父の曽祖父が岩手から青森に移住したらしいと知った母。
青森の父方の家紋はもはや不明ですが、曽祖父の出身地の岩手の方には、失われた本当の家紋が残っているかもしれません。
そんなわけで、母は私に「いつか、家紋を探してきてちょうだい」と言っていました。
ただ、話を聞くだけでも相当面倒そうなので、なかなか実行に移せずにいました。
そうこうしているうちに父が他界し、悲しみの中で改めて自分のルーツについて考える機会が増えました。
そうして、エイヤと重い腰を上げてようやく実行に移すことにした、失われた家紋を探す旅。
うまいこと見つけられるのか、自信はありません。
でも、とにかくやってみなくては。
それを決心したのは、父の四十九日を終え、様々な法事が一段落してからのことでした。
気がついたら、季節は夏。
長い休みが取れるお盆に行こうと思い立った時には、飛行機も新幹線ももう予約でいっぱい。
青森行きの夜行バスも取れず、下北行きのJRバスの最後のひと席を滑り込みでおさえました。
せっかくお盆に行くのならば、父とのお別れをしに、恐山にも行きたいと思いました。
こうして二つの目的ができた、青森行き。
休みに入る前は慌ただしく、あまり予定も立てられないまま、旅立つ日がやってきました。
● お盆渋滞
青森行きの深夜バスは早めに出発します。距離があるからでしょう。
今回は新宿を19時45分に出発する便。
仕事後に急いで帰宅し、シャワーを浴び、旅行鞄を抱えて出発。
この時間は帰宅ラッシュと重なり、ギュウギュウの山手線に揺られて新宿に着きました。
初めてのバスタは南口改札を出たらすぐ。明るく整然としていて、とても便利に使いやすくなりました。
私がとった最後のひと席は最前列でしたが、途中休憩なしの3列席だったので、乗客の出入りはなく、カーテン付きだったので、人目も気にせずにいられました。
その代わり、自分の視界も狭くなって、もう寝るしかない状況でしたが。
バスに乗るとすぐにウトウト。浅い眠りの中、何度も停まっているように感じていたら、完全消灯時に「お盆渋滞で30分遅れています」とのアナウンスが入りました。
普段、お盆に旅をすることはほとんどないので、道路だと渋滞にはまることをすっかり忘れていました。
まあ、急ぐ旅ではないので、さほど気にせずに寝直します。
● 三沢はこけしとミス・ビードル号
朝になり、三沢駅で降りた時には、定刻から15分遅れでした。
夜の間にけっこう挽回したようです。
今回の下北行きのバスは、青森駅には寄らないため、初めての三沢駅で下車してみました。
ポストと並んで立っている大きな2体のこけしは、姉妹だそう。
三沢といえば米軍基地がある場所。飛行機のオブジェがあります。
ポストの上にも、浮かぶ飛行機。
その隣には巨大なこけし。こけしと飛行機は、この町でしかきっとタッグを組まないでしょうね。
駅への階段にも大きく飛行機が描かれていました。
Miss Veedolと読めます。
日本からアメリカ本土までの最初の太平洋無着陸飛行に成功した飛行機、ミス・ビードル号でした。
1931年(昭和6年)に、三沢からワシントン州まで41時間かけて横断したそう。
ほかの赤い飛行機のオブジェも、ミス・ビードル号でした。
絵になるかわいさ・かっこよさです。三沢航空科学館にはレプリカがあるとのこと。
ちょっとポルコ・ロッソ(紅の豚)の赤い飛行艇に似ていますね。
● 青い森鉄道一日パス
東北新幹線が青森まで開通した時、それまでの従来線は青い森鉄道になりました。
旅行初日は、青い森鉄道の一日パスを購入しました。
青い森鉄道に乗るのは初めてです。日本一長い、第三セクター鉄道だそうです。
丸囲みしているのは、この日降りた駅。
窓口でパスを買い、後ろのカップルに場所を譲ってお財布をしまっていたら、女性が「青森まで2枚、片道切符で」と言いました。
(おお、恋の片道切符!2人の旅立ち?)とちょっとドキドキしたら、駅員さんが
「もう帰ってこないの?」と聞いたので、さらに(おおぉ~)とドキドキ。
すると女性は「あさって戻るんだけど、ダメですよね?」
駅員さん「ダメだな~」
ああ、片道じゃなかった~。
当日中に戻るなら、一日パスの方がお得だよ、と言いたかったのでしょう。なーんだ。
いろいろロマンチックな妄想をしかけちゃいましたよ。
始発の6時を待って乗り込みます。
私と先ほどのカップルを含め、6、7人の乗客が三沢駅から乗りました。
みんな早起きね~。
青い森鉄道は、キャラクターのモーリーが書かれている可愛いデザイン。
モリゾーとキッコロを思い出し…いえなんでもありません(笑)。
始発にも、それなりにちらほら人が乗っています。
みんな寝ている静かな車両内ですが、ひとりワクワクしている私は外をキョロキョロ。
● 日本最古の鉄道防雪林
「野辺地駅で9分ほど停車します」とアナウンスが入りました。
9分も?
都内の秒刻みの交通網に馴れた身としてはびっくり。
耳を疑いましたが、おそらくJRとの接続のためでしょう。
時間があるので、ホームに降りてみたら、日本最古の鉄道防雪林がありました。
日本最北ではなく、最古なんですね。
そもそも防雪林というのがどんなものなのか、よくわかっていませんが、豪雪で線路が埋まって電車が通れなくならないように、林で雪を防いでいるんだそう。
防風林だけじゃないんですね。
日本初の防雪林として、鉄道記念物に指定されているとのこと。
鉄道記念物!初めて聞いた言葉です。まだまだ鉄子には程遠いわ。
● 浅虫温泉の朝風呂
快速に1時間ほど乗って、浅虫温泉に到着。
ちょうど7時から、朝風呂が始まったところです。
朝風呂につかりに来た人は結構いました。
目の前に広がる海を眺めながら、サッと夜行バスの疲れを流して、頭もシャッキリ。
駅前のコインロッカーに荷物を預けて、身軽になりました。
さあ、これでどこへでも動けるわ。
駅前の足湯につかりながら、電車の到着を待ちました。
「上り電車が参ります」というアナウンスが入りました。
「八戸行きが上りですか?」と駅員さんに聞いたらそうだとのこと。
青森行きが上りだと思ったのに、なぜかしら~。
● 大きな八戸駅
先ほどのルートを逆戻りします。
せっかくなので、青い森鉄道の駅を全部乗ろうと思い、一番岩手寄りの目時駅(めときえき)まで行こうと思いましたが、青森駅からやって来る電車はどれも八戸行きばかり。
なのでとりあえず終点の八戸駅まで行き、そこで降りました。
八戸駅に降りるのは初めて。大きく立派な駅舎にびっくりしました。他の青い森鉄道の駅とは比べ物になりません。
そうか、新幹線が停まる駅だから、ほかとは違うのね。
● 小さな目時駅
八戸からなら、青い森鉄道の端にある目時駅行きがあるのではないかと電光板を見てみましたが、見当たりません。
駅員さんに「駅に観光案内所はありますか」と聞くと「あるけれど、開くのは9時からですよ」とのこと。
あと30分くらいあります。
「目時駅行きはないんですか」と聞いたら「盛岡行きで、そのままJR接続になります」とのこと。
この質問で、私が地元民ではないとピンときた様子の駅員さん、「目時駅にはな~んにもありませんよ。ただ行っても、することもないし」と教えてくれました。
「そうなんですか?一日パスがあるから、行ってみようかなと思って」と言うと、「まあ、田舎の駅ってこんななんだなーと知りたいならいいけど」と。
いえいえ、もう朝からすでに結構見ていますから。じゃあもう十分かな。
ここはジモティのアドバイスに従うことにします。
目時のひとつ手前の三戸駅も気になりましたが、情報がないままなので、八戸の駅近辺を見ることにしようとプラン変更。
● おんでやぁんせ
観光案内所が開く時間まで、駅の構内をきょろきょろ。
なにやら歓迎してもらっているようですが、なにを言っているのかさっぱりわかりません。
津軽弁と南部弁って、違うんですね~。
虎舞の顔はめパネルを見て、八戸出身の知人の話を思い出しました。
虎舞を舞えるのは選ばれし若い衆だけで、年寄り衆から推薦されないとなれない、名誉なことなんだと教えてもらいました。
「一番好きな武将は?」と聞くと「南部氏」と答えるコテコテの南部魂を持つ人で、津軽をことごとく目の敵にしていた人でした。
津軽と南部は、いまだに因縁が消えていない面もあるようです。文化も違いますからね。
● 黒にんにくサミット
ここで「文豪ストレイドッグ」の菓子パンを発見。
やっぱり太宰治バージョンが売られていました。
うわあ、メロスがメロンになってる~(笑)。
来月には、世界初の「黒にんにくサミット」が行われるそうです。
日本随一のガーリックタウン、田子町はここから割と近く。
どんな会になるのか、気になるわ~。にんにく王とかも来るのでしょうか。
上野の国立西洋美術館のポスターがありました。
よく見慣れた建物も、遠くからの目線で見ると、また違う趣があるものです。
「東京には旅のあらゆる魅力が詰まっています」とのコピー。
いやいや~、地方の方が詰まっているでしょう。
● 八戸三社大祭の人形山車
駅の隣にある八戸地域地場産業振興センターには、巨大な八戸三社大祭の人形山車が展示されていました。
すごい!華麗で豪壮!
大きさは高さ10m・幅8mにもなります。
こんなに迫力があるお祭りだとは思いませんでした。
青森って、ねぶたといい、人形山車といい、どうして規格サイズをはるかに超えたビッグなものがお祭りで練り歩くんでしょうね?
道が広いのかな?
「天長地久七福神」というタイトルで、天皇皇后両陛下に見ていただくために制作された天覧山車だそう。
(こののち、2016年12月にユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」への登録が決定しました)
こちらは山車の後ろ側。等身大の人形が、リアル。
9時を待って、観光案内所に行きました。
駅周辺の観光スポットを聞いてみたところ、駅の周りにはあまり見所がなく、町の中心まではバスで行くことになるそう。
行きたい場所にはバスを乗り換えて行く必要があり、しかもそのバスは1時間後にならないと来ないので、(どうしようかな)と思いながら、少し歩いてみました。
ジリジリ照りつける暑い日差しに、あきらめてまた駅に戻りました。
数日後にまた八戸まで来る予定なので、その時にしましょう。
● 八戸のマンホール
暑い中でも、マンホールのコレクションは増やしましたよ。
大きいサイズには八戸の花、キクが描かれています。
小さいサイズは八幡馬でした。
この辺りでよく見る木の馬のおもちゃです。
蓋に「八幡馬」と書いてくれる親切さ。漢字というのがレアですね。
その2に続きます。
私の両親は青森出身ですが、転勤族のため、私は住んだことがありません。
完全な核家族として育ったので、ルーツに疎いところがあります。
実は、我が家の家紋は、先祖代々受け継がれてきたものではありません。
曽祖父か祖父の代の時に、戦時中のゴタゴタで、気づいたら墓石に刻まれた家紋が判読できなくなっていたのだそう。
大叔父がお墓を建て替える時に困っていたら、隣人のキムラさんに「わからないのなら、うちのと一緒にしたら?」と言われて、そうしたそうです。
うわ~、適当&無頓着~。わが家系らしい~。
まあ当時は、どうしようもなかったんだろうと思いますが、嫁入りしてその話を知った母は、そのテキトーさにいたく衝撃を受けたそうです。
その後、父の曽祖父が岩手から青森に移住したらしいと知った母。
青森の父方の家紋はもはや不明ですが、曽祖父の出身地の岩手の方には、失われた本当の家紋が残っているかもしれません。
そんなわけで、母は私に「いつか、家紋を探してきてちょうだい」と言っていました。
ただ、話を聞くだけでも相当面倒そうなので、なかなか実行に移せずにいました。
そうこうしているうちに父が他界し、悲しみの中で改めて自分のルーツについて考える機会が増えました。
そうして、エイヤと重い腰を上げてようやく実行に移すことにした、失われた家紋を探す旅。
うまいこと見つけられるのか、自信はありません。
でも、とにかくやってみなくては。
それを決心したのは、父の四十九日を終え、様々な法事が一段落してからのことでした。
気がついたら、季節は夏。
長い休みが取れるお盆に行こうと思い立った時には、飛行機も新幹線ももう予約でいっぱい。
青森行きの夜行バスも取れず、下北行きのJRバスの最後のひと席を滑り込みでおさえました。
せっかくお盆に行くのならば、父とのお別れをしに、恐山にも行きたいと思いました。
こうして二つの目的ができた、青森行き。
休みに入る前は慌ただしく、あまり予定も立てられないまま、旅立つ日がやってきました。
● お盆渋滞
青森行きの深夜バスは早めに出発します。距離があるからでしょう。
今回は新宿を19時45分に出発する便。
仕事後に急いで帰宅し、シャワーを浴び、旅行鞄を抱えて出発。
この時間は帰宅ラッシュと重なり、ギュウギュウの山手線に揺られて新宿に着きました。
初めてのバスタは南口改札を出たらすぐ。明るく整然としていて、とても便利に使いやすくなりました。
私がとった最後のひと席は最前列でしたが、途中休憩なしの3列席だったので、乗客の出入りはなく、カーテン付きだったので、人目も気にせずにいられました。
その代わり、自分の視界も狭くなって、もう寝るしかない状況でしたが。
バスに乗るとすぐにウトウト。浅い眠りの中、何度も停まっているように感じていたら、完全消灯時に「お盆渋滞で30分遅れています」とのアナウンスが入りました。
普段、お盆に旅をすることはほとんどないので、道路だと渋滞にはまることをすっかり忘れていました。
まあ、急ぐ旅ではないので、さほど気にせずに寝直します。
● 三沢はこけしとミス・ビードル号
朝になり、三沢駅で降りた時には、定刻から15分遅れでした。
夜の間にけっこう挽回したようです。
今回の下北行きのバスは、青森駅には寄らないため、初めての三沢駅で下車してみました。
ポストと並んで立っている大きな2体のこけしは、姉妹だそう。
三沢といえば米軍基地がある場所。飛行機のオブジェがあります。
ポストの上にも、浮かぶ飛行機。
その隣には巨大なこけし。こけしと飛行機は、この町でしかきっとタッグを組まないでしょうね。
駅への階段にも大きく飛行機が描かれていました。
Miss Veedolと読めます。
日本からアメリカ本土までの最初の太平洋無着陸飛行に成功した飛行機、ミス・ビードル号でした。
1931年(昭和6年)に、三沢からワシントン州まで41時間かけて横断したそう。
ほかの赤い飛行機のオブジェも、ミス・ビードル号でした。
絵になるかわいさ・かっこよさです。三沢航空科学館にはレプリカがあるとのこと。
ちょっとポルコ・ロッソ(紅の豚)の赤い飛行艇に似ていますね。
● 青い森鉄道一日パス
東北新幹線が青森まで開通した時、それまでの従来線は青い森鉄道になりました。
旅行初日は、青い森鉄道の一日パスを購入しました。
青い森鉄道に乗るのは初めてです。日本一長い、第三セクター鉄道だそうです。
丸囲みしているのは、この日降りた駅。
窓口でパスを買い、後ろのカップルに場所を譲ってお財布をしまっていたら、女性が「青森まで2枚、片道切符で」と言いました。
(おお、恋の片道切符!2人の旅立ち?)とちょっとドキドキしたら、駅員さんが
「もう帰ってこないの?」と聞いたので、さらに(おおぉ~)とドキドキ。
すると女性は「あさって戻るんだけど、ダメですよね?」
駅員さん「ダメだな~」
ああ、片道じゃなかった~。
当日中に戻るなら、一日パスの方がお得だよ、と言いたかったのでしょう。なーんだ。
いろいろロマンチックな妄想をしかけちゃいましたよ。
始発の6時を待って乗り込みます。
私と先ほどのカップルを含め、6、7人の乗客が三沢駅から乗りました。
みんな早起きね~。
青い森鉄道は、キャラクターのモーリーが書かれている可愛いデザイン。
モリゾーとキッコロを思い出し…いえなんでもありません(笑)。
始発にも、それなりにちらほら人が乗っています。
みんな寝ている静かな車両内ですが、ひとりワクワクしている私は外をキョロキョロ。
● 日本最古の鉄道防雪林
「野辺地駅で9分ほど停車します」とアナウンスが入りました。
9分も?
都内の秒刻みの交通網に馴れた身としてはびっくり。
耳を疑いましたが、おそらくJRとの接続のためでしょう。
時間があるので、ホームに降りてみたら、日本最古の鉄道防雪林がありました。
日本最北ではなく、最古なんですね。
そもそも防雪林というのがどんなものなのか、よくわかっていませんが、豪雪で線路が埋まって電車が通れなくならないように、林で雪を防いでいるんだそう。
防風林だけじゃないんですね。
日本初の防雪林として、鉄道記念物に指定されているとのこと。
鉄道記念物!初めて聞いた言葉です。まだまだ鉄子には程遠いわ。
● 浅虫温泉の朝風呂
快速に1時間ほど乗って、浅虫温泉に到着。
ちょうど7時から、朝風呂が始まったところです。
朝風呂につかりに来た人は結構いました。
目の前に広がる海を眺めながら、サッと夜行バスの疲れを流して、頭もシャッキリ。
駅前のコインロッカーに荷物を預けて、身軽になりました。
さあ、これでどこへでも動けるわ。
駅前の足湯につかりながら、電車の到着を待ちました。
「上り電車が参ります」というアナウンスが入りました。
「八戸行きが上りですか?」と駅員さんに聞いたらそうだとのこと。
青森行きが上りだと思ったのに、なぜかしら~。
● 大きな八戸駅
先ほどのルートを逆戻りします。
せっかくなので、青い森鉄道の駅を全部乗ろうと思い、一番岩手寄りの目時駅(めときえき)まで行こうと思いましたが、青森駅からやって来る電車はどれも八戸行きばかり。
なのでとりあえず終点の八戸駅まで行き、そこで降りました。
八戸駅に降りるのは初めて。大きく立派な駅舎にびっくりしました。他の青い森鉄道の駅とは比べ物になりません。
そうか、新幹線が停まる駅だから、ほかとは違うのね。
● 小さな目時駅
八戸からなら、青い森鉄道の端にある目時駅行きがあるのではないかと電光板を見てみましたが、見当たりません。
駅員さんに「駅に観光案内所はありますか」と聞くと「あるけれど、開くのは9時からですよ」とのこと。
あと30分くらいあります。
「目時駅行きはないんですか」と聞いたら「盛岡行きで、そのままJR接続になります」とのこと。
この質問で、私が地元民ではないとピンときた様子の駅員さん、「目時駅にはな~んにもありませんよ。ただ行っても、することもないし」と教えてくれました。
「そうなんですか?一日パスがあるから、行ってみようかなと思って」と言うと、「まあ、田舎の駅ってこんななんだなーと知りたいならいいけど」と。
いえいえ、もう朝からすでに結構見ていますから。じゃあもう十分かな。
ここはジモティのアドバイスに従うことにします。
目時のひとつ手前の三戸駅も気になりましたが、情報がないままなので、八戸の駅近辺を見ることにしようとプラン変更。
● おんでやぁんせ
観光案内所が開く時間まで、駅の構内をきょろきょろ。
なにやら歓迎してもらっているようですが、なにを言っているのかさっぱりわかりません。
津軽弁と南部弁って、違うんですね~。
虎舞の顔はめパネルを見て、八戸出身の知人の話を思い出しました。
虎舞を舞えるのは選ばれし若い衆だけで、年寄り衆から推薦されないとなれない、名誉なことなんだと教えてもらいました。
「一番好きな武将は?」と聞くと「南部氏」と答えるコテコテの南部魂を持つ人で、津軽をことごとく目の敵にしていた人でした。
津軽と南部は、いまだに因縁が消えていない面もあるようです。文化も違いますからね。
● 黒にんにくサミット
ここで「文豪ストレイドッグ」の菓子パンを発見。
やっぱり太宰治バージョンが売られていました。
うわあ、メロスがメロンになってる~(笑)。
来月には、世界初の「黒にんにくサミット」が行われるそうです。
日本随一のガーリックタウン、田子町はここから割と近く。
どんな会になるのか、気になるわ~。にんにく王とかも来るのでしょうか。
上野の国立西洋美術館のポスターがありました。
よく見慣れた建物も、遠くからの目線で見ると、また違う趣があるものです。
「東京には旅のあらゆる魅力が詰まっています」とのコピー。
いやいや~、地方の方が詰まっているでしょう。
● 八戸三社大祭の人形山車
駅の隣にある八戸地域地場産業振興センターには、巨大な八戸三社大祭の人形山車が展示されていました。
すごい!華麗で豪壮!
大きさは高さ10m・幅8mにもなります。
こんなに迫力があるお祭りだとは思いませんでした。
青森って、ねぶたといい、人形山車といい、どうして規格サイズをはるかに超えたビッグなものがお祭りで練り歩くんでしょうね?
道が広いのかな?
「天長地久七福神」というタイトルで、天皇皇后両陛下に見ていただくために制作された天覧山車だそう。
(こののち、2016年12月にユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」への登録が決定しました)
こちらは山車の後ろ側。等身大の人形が、リアル。
9時を待って、観光案内所に行きました。
駅周辺の観光スポットを聞いてみたところ、駅の周りにはあまり見所がなく、町の中心まではバスで行くことになるそう。
行きたい場所にはバスを乗り換えて行く必要があり、しかもそのバスは1時間後にならないと来ないので、(どうしようかな)と思いながら、少し歩いてみました。
ジリジリ照りつける暑い日差しに、あきらめてまた駅に戻りました。
数日後にまた八戸まで来る予定なので、その時にしましょう。
● 八戸のマンホール
暑い中でも、マンホールのコレクションは増やしましたよ。
大きいサイズには八戸の花、キクが描かれています。
小さいサイズは八幡馬でした。
この辺りでよく見る木の馬のおもちゃです。
蓋に「八幡馬」と書いてくれる親切さ。漢字というのがレアですね。
その2に続きます。
大胆な ん~ 上手く言えないけど
遺言のようなきっかけですね。
ルーツを辿るってアドベンチャーみたいです。
家紋のルーツも適当で軽い気持ちで
旅ができてかえって良かったのかもしれませんね。
八戸・三沢・青森と行ったことがあるので(行っただけですが)
楽しみに読ませてもらいます。
そうですね。今回のきっかけ、ギョッとさせてしまいまして、すみません。
当人としては、「そうだ 京都、行こう」的なノリで、
「そうだ 家紋、探そう」「そうだ 恐山、行こう」と思いついたというのが近いのですが(^_^;)
忌明けに一人旅に出るための理由づけになったという感じです。
アネッティさんも、親御さんを亡くされておいででしたよね。
かなりシンパシィを感じながら、ブログを拝見しておりました。
ルーツ探し、テキトーな先祖のせいで(笑)、いまだに難航しております。
まあでもこれもまた楽し、というところですね(^O^)
関西から東北は、結構遠いと思いますが、青森にいらしたこともあるんですね。
また紙面でのお付き合い、よろしくお願い致します。