風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

ルーツサーチと里帰り、はるかなる黄金山へ(一関) 1-1

2017-04-19 | 東北
● prologue

2か月前の夏休みに、青森市役所に行って祖父のルーツを探しました。→「みちのく津軽ひとり旅」
その時に、曽祖父(ひいおじいさん)が、岩手の一関から青森に引っ越していたことが判明。
ご先祖様は、岩手出身だったのかしら。別の親戚もいるのかしら。
その先の手がかりを知るため、今回は一関でルーツ探しをすることにしました。



● 早朝の仙台駅

早朝に降り立った仙台駅。
澄んだ青空が出迎えてくれました。さいさき良さそう。



伊達男、独眼竜!やはりカッコイイ!
竹に雀のモチーフは、伊達家の家紋です。知っている人はわかるんですよ~、ふふふ。



仙台にくると、むすび丸君の単管バリケードがあるんですね~。
よく見ると、カラーではないグレーの部分にも、むすび丸の顔が描かれています。



仙台に来るたびに、いつもほれぼれと見とれる、駅前タクシーの整然とした整列。
シンクロナイズドスイミングを連想する並び方は、この日も健在でした。



仙台の朝焼けを見ながら、このままのんびりしたい気持ちになりますが、まだ移動途中。
電車を乗り換えて、一関に移動します。

● 一関のマンホール

一関に降り立つのは、初めてかもしれません。
まずはマンホール。いいデザインですね。
厳美渓に浮かぶオシドリ夫婦でしょうか。オシドリは市の鳥だそうです。



ハデハデな運転席のトラックが停まっていましたよ。
夜桜お七ならぬ、夜桜銀次郎!
これは、トラックの名前でしょうか?
トラック夜桜銀次郎(機関車トーマス的に)?それとも持ち主の通り名?



● ひいひいおじいさん情報

開庁時間を待って、一関市役所へ。
ご先祖代々の土地に住む人は、一生で一つの市役所しか行かないのでしょう。
でも私は転勤族だったので、小さい頃から母に連れられていろいろな市役所、町役場に行っていました。
だから、自分の戸籍のない、アウェイの市役所でも大丈夫。



前回、青森市役所での依頼の仕方を思い出しながら、直系の証明となる何通もの戸籍を係員に見せて、調べてもらいました。
すると、この市役所には高祖父の戸籍がありました。
ひいひいおじいさん!あなたのやしゃごが戸籍を見に来ましたよ~。

ここでびっくりの事実が判明。
家督を継いだ、曽祖父の兄は、なんと、青森に戸籍を移していたのです。

その際に、自分の父親である高祖父のお墓も、一緒に青森に移したようなんです。
ほかの曽祖父の弟も、移住のタイミングは違いましたが、やっぱり青森に移っていました。
そしてそれより以前の戸籍は、もう存在していませんでした。

「えー・・・?」
事情を話し、一緒に調べてもらった窓口係員と、思わぬ記録内容に、絶句します。
「みんな青森に移っちゃったってことですか?もうここには、親戚は誰もいないということですか・・・」とため息をつく私。
「もともと青森のご出身だったのかもしれませんねえ」と係員。

● ここではなかった

この一関の地には、もう一族の名残は何一つ残っていないということになるのです。
かつて先祖たちが住んでいた辺りは、いまではならされて広大な畑になっており、もはや住んでいる人はいません。
一関まで来たのに、収穫なし…。
いえ、なかったわけではありません。「もう一関には消息は残っていない」ということがわかったわけですから。

うーん、次なるステップは、再び青森に赴いて、高祖父の墓を探すことでしょうか。
できるかなあ。ちょっと自信がなくなってきました。
短期間にすぐには探せない足取り。じっくりと追っていくしかなさそうです。

こんなにご先祖様の消息を追うのが大変だとは思いませんでした。
うちの一族、移動しすぎでしょう。
武家出身だと聞いていたし名前の世襲もしているのに、こんなに一族大移動をしているなんて、名家じゃないどころか、遊牧民みたい。
ああ、タイムマシンがあれば、そのわけがわかるのに。

とりあえずこれで今回の調査は一段落。
一族の末裔の存在を知るか、お墓参りができるかと思っていたのですが、何もできないのが残念です。
友人と会う約束をしているお昼それまでの間、することがなくなってしまいました。
辺りを散策するには、なかなか衝撃が大きくてシビれていたので、休憩室でおとなしく過ごしました。



休憩室の壁には、かまど神の木像がかかっていりました。
どことなくポリネシアン風で、こわいぃ~。
災難除けとか魔除けの神さまって、悪しきものに打ち克つために、見かけが悪の化身のようなこわさなんですよねー。

● 建部清庵

敷地内には、書物を片手にすくっと立つ男性像がありました。
江戸中期の建部清庵(たてべ せいあん)という一関藩医で、名医の誉れ高かったのだそう。
江戸の蘭方医学者の杉田玄白とも親交を結んでいた人だそう。

  一関に 過ぎたるものが 二つある 
            時の太鼓に 建部清庵

と謡わわれていたそう。
ちなみに時の太鼓というのは、当時京都御所・将軍家・御三家に限られていた時を告げる太鼓を、一関藩は幕府から特別の許可をもらって使っていたため、他国から羨ましがられ、郷里の自慢だったそう。
たった3万石の小さな藩に幕府の特別待遇があったのは、藩主田村健顕が坂上田村麻呂の後裔とされていたためと言われているそうです。



● 友人との再会

昼近くに、友人かっちゃんが車で迎えに来てくれました。
スーツ姿がやけに迫力のある彼。
見た目の気迫はすごいですが、とてもいい人なんです。

この日、ちょうど宮城県北部で仕事をしていたとのことで、その仕事を終えて、隣の県の一関まで来てくれました。
わざわざどうもありがとう~。
白いプリウスには、生まれ年のナンバーがついていました。

● 世嬉の一

お昼なので、ランチにしようと、蔵元・世嬉の一(せきのいち)に行きました。



ここは大正7年に創業した、東北最大級の造り酒屋。
今はクラフトビールいわて蔵ビールも造っているそう。
かつて精米蔵だった石蔵を改装したというホールがありました。



古めかしい建物が並ぶいい雰囲気の敷地内。
お酒の民族文化博物館があり、酒蔵見学も行っています。



元は蔵だったため、直売所も天井が高く開放感があります。



● 蔵元レストラン

窯場を改築したレストランは、すべて木で統一されたシックな店内でした。
名前は「せきのいち」。
あ、世嬉の一って、一関を逆にしていた名前なんですね。(ようやく気がついた)





席に座ると、まずお酒の仕込み水がでてきました。
日本酒の味を決めるお水の味を確かめます。
柔らかい口当たりでした。



一本芯が通っていて、とてもゴマをすりそうにない友人が、ゴリゴリとごまをすっている様子は、見ていてなんだか楽しいものがありました。
香ばしい香りが辺りに漂います。



● 餅文化の町

一関では餅料理が有名なんだそう。
なんと、300種類もの食べ方があるそうです。
ということで、一関もち御膳をチョイス。
搗き立てのお餅に、お雑煮のついたお膳がやってきました。



いくつもの味を楽しめる一口餅は、あんこ餅、ずんだ餅、ごま餅、きのこおろし餅の4種類。
どれもつやつやと、おいしそう。
中央にあるのは、箸休めの甘酢大根です。



お正月以外にお雑煮を食べるなんて、なんだか新鮮。
ハレの日の料理ですね。



どの味付けもおいしくて、きれいにいただきました。
食事を終えて、立ち上がろうとしたら、ずっしりと重くなっている身体。
よっこらせっと。さすがはお餅、おなかにたまるわ~。

その2に続きます。



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