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再度、イサム・ノグチ

2005-12-30 07:10:47 | 自然
イサム・ノグチ(1904~1988/Wikipedia)

今日命日だそうです。
彼の抽象表現、魅力的です。展覧会結局行けなかった・・けど。

先日「二つの祖国の間で イサム・ノグチ、幻の原爆慰霊碑」(NHK『新日曜美術館』シリーズ 戦後60年②)が再放送されていましたね。

当初、イサム・ノグチのデザインになる予定だったという、広島の原爆慰霊碑。

彼は、日本人の父、アメリカ人の母の間に生まれたけれど、時代背景からか、父親にも受け入れられず(?)日本にもアメリカにも居場所がなかったそうです。

ノグチは、なんとわずか13歳で住んでいた日本からアメリカへ渡り、国籍を問わない(はず?)の芸術の世界、特に抽象彫刻に衝撃を受け、20歳頃から学び始め、幼い頃過ごした日本で感性を磨き、帰国後、独特のデザインを生む・・・。

誰かに買われてどこかに飾られるというものではなく、社会に貢献したい”という思いを強く持っていた。

ノグチは、日系アメリカ人として、広島への原爆投下に罪の意識をもち、終戦6年後広島を訪れた。

平和公園のデザインを任されていた丹下健三と言う人がいて、ノグチの日本への思いを知り、復興の一端を担って欲しいともちかける・・・。

まず、公園への入り口となる橋「平和大橋」「 西平和大橋」のデザインを生きがいを感じて手がけた。(「ゆく」「つくる」 )

ところが、ノグチの慰霊碑のデザインは却下されてしまった。
広島復興計画の専門審議会で、有力メンバー岸田日出刀は、「原爆を落としたのはアメリカ人だ、イサム・ノグチはアメリカ人であることを忘れないで欲しい」(岸田日出刀『縁』1955)

その知らせを聞いたノグチは、「心をえぐられるほど深く傷ついた・・・」。

結局、丹下健三氏のデザインが採用されたそうですが、ノグチの案を取り入れているそうです。

ノグチはそれでも、夢をあきらめず、1988年、大地そのものを彫刻した札幌・モエレ沼公園をデザインし、翌年亡くなりました。公園は平成17年完成。

公園マップEYES WALK
ようこそさっぽろ・モエレ沼公園

広島平和記念資料館バーチャル・ミュージアム
平和記念公園マップ

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