長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

ピーター=ローレはやっぱりすげぇなぁ ~映画『暗殺者の家』~

2024年01月23日 20時36分39秒 | ミステリーまわり
 みなさま、どうもこんばんは! そうだいでございます~。
 雪、ぼちぼち降ってきてますね。それでも例年に比べれば、今シーズンの山形の冬はスタートがだいぶ遅い感じなので、これでブーブー文句を言ってたらご先祖様に怒られてしまいます。だいたい、今のところは雪かきをしなければならない程も降っていないので我慢しなければならないのは寒さだけなんだもんね。ありがたいことではあるのですが、逆にこの程度でいいのかと不安になってしまいますな。

 さて、いろいろとよからぬニュースの連続で始まった今年2024年ではあるのですが、私の住んでいる山形が変わらずおだやかであることに感謝しつつ、今回もいつものよ~に、サスペンスの巨匠ヒッチコック監督の足跡をたどる旅を更新していきたいと思います。
 さぁさぁ、いよいよ面白くなってきましたよ!


映画『暗殺者の家』(1934年12月 75分 イギリス)
 『暗殺者の家( The Man Who Knew Too Much)』は、イギリスのスリラー映画。監督はアルフレッド=ヒッチコック。悪役にピーター=ローレを迎え、ゴーモン・ブリティッシュで製作した。イギリス時代のヒッチコック作品の中でも成功した作品の一つ。
 1956年のヒッチコックの監督した映画『知りすぎていた男』(主演ジェイムズ=スチュアート、ドリス=デイ)はこの映画と同じ原題だが、あらすじと作風は変更されている。フランスの映画監督フランソワ=トリュフォーとの対談の中でトリュフォーが『知りすぎていた男』の方が優れて見えると言った時、ヒッチコックは「最初のは才能のあるアマチュアの作品で、二番目のはプロが作ったと言い給え。」と答えている。
 本作の製作当時、ピーター=ローレはナチスの台頭したドイツから亡命して来たばかりで英語を話すことができなかったが、英語の台詞を音読で覚えた。
 本作のラストでの銃撃戦のシーンは、1911年1月3日にヒッチコックの故郷であるロンドンのイーストエンドで起きた「シドニー・ストリートの包囲戦」事件をモデルにしているが、後年のリメイク作『知りすぎていた男』では、この銃撃戦シーンはカットされている。
 ヒッチコックはロイヤル・アルバート・ホールのシーンの楽曲のためにオーストラリア人作曲家のアーサー=ベンジャミンを起用した。この曲『 Storm Clouds Cantata』は、『知りすぎていた男』でも使用されている。
 ヒッチコック監督のカメオ出演は本編開始後33分のシーン。ボブとクライヴが礼拝堂に入る前、黒いトレンチコート姿で前を横切る男の役で出演している。

あらすじ
 冬季スポーツのクレー射撃競技に参加するために、一人娘のベティと一緒にスイスのサンモリッツに滞在したボブとジルのローレンス夫妻。彼らはスキー選手のルイという男と親しくなり夜の舞踏会に参加するが、そこでルイが何者かに銃で射たれてしまった。ルイはボブに、イギリス領事に届けてほしい物があると言い残して息絶える。ボブがルイの部屋を探すと、国際的暗殺組織の陰謀について書かれたメモを発見した。しかし敵は娘ベティを誘拐し、この件を誰にも話すなと脅迫する。
 イギリスに戻ったローレンス夫妻は、娘を取り戻すため奔走する。

おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(35歳)
製作 …… マイケル=バルコン(38歳)
音楽 …… アーサー=ベンジャミン(41歳)
配給 …… ゴーモン・ブリティッシュ映画社

おもなキャスティング
ボブ=ローレンス  …… レスリー=バンクス(44歳)
ジル=ローレンス  …… エドナ=ベスト(34歳)
アボット      …… ピーター=ローレ(30歳)
ベティ=ローレンス …… ノヴァ=ピルビーム(15歳)
ルイ=ベルナール  …… ピエール=フレネー(37歳)


 なんか、もうね。今回の作品で作品のクオリティのフェイズが明らかに一段あがったっていう感じですよね。この作品はなかなかいいですよ。物語を面白くしようとする創意工夫がてんこ森夜!

 本作は、ヒッチコック監督の監督作品としては第17作にあたります。デビュー当初、ヒッチコック監督がサスペンス・スリラーもの一辺倒でなかったことは、サスペンス第1作となる『下宿人』(キャリアとしては監督第3作)についての記事から何度も確認していることなのですが、そこから他ジャンルのコメディ、文芸作品などを差しはさみつつ、『恐喝(ゆすり)』(監督第10作)、『殺人!』(監督第12作)と、とびとびでサスペンス作が制作されてきました。
 それで今回の第17作となるわけですが、『殺人!』との間にある4本の非サスペンス作のうち、ちょっと無視できないのは第15作にあたる『第十七番』(1932年)だと思います。

 『第十七番』は、国際的に暗躍する宝石強盗団とそれを追うスコットランドヤードの名刑事、そしてそれらの対決に巻き込まれてしまったある家族もとりまぜての乱闘劇を描く犯罪アクションコメディなのですが、はっきり申すと物語の2/3か3/4は緊張感のないダルダル~っとした室内劇が続く失敗作だと思いました。殴り合いになってもピストルが出てきても、誰が何のために誰と対立しているのかがさっぱり頭に入ってこない時間が延々と続くんですよね! ほんと、舞台演劇をカメラで撮ってそのまんま流してるていなんです。殺人のような重大犯罪が絡んでいるという緊迫感がまるで無く、それ、覚えた言葉をやり取りしてるだけですよね?というなぁなぁ感ばかりが目立って、演劇やサイレント映画で身についたっぽい、俳優さんがたのオーバーな演技とマンガみたいなメイクも鼻につきまくるという。
 でも、そこらへんの大失敗はどうでもよくて、『第十七番』で重要なのは、クライマックスの「列車追跡シーン」の特撮的な大迫力。ここがすごいんだ!
 家の中での冗長なやり取りが終わり、強盗団はヨーロッパ大陸行きの客船が待つ港へ向かう列車に乗り込むのですが、それを追う刑事たちとの車内での壮絶な銃撃戦の末に、列車は運転制御のきかない暴走状態になってしまい、列車はそのまんまフルスピードで港に突入し、客船に突っ込んでどちらも大破炎上する空前の大事故になってしまうのです。
 この港の大事故、ここを、ここだけを、ヒッチコック監督はしっかり迫力たっぷりに映像化しているんですね! 役者の乗っている実物大の列車セットとミニチュアワークとの連結を、その細やかなのに大胆なカット割りでかなり自然に成功させていて、爆発炎上する列車と客船のミニチュアっぽい粗も、火薬の着火タイミングや音響効果で最小限に目立たなくさせているのです。
 すごい! ヒッチコック監督の特撮センスはかなりのものですよ! このイギリスの若き天才が、海を渡って極東の麒麟児・円谷英二とタッグを組んでおれば、一体どんな世紀の大傑作が……と妄想もしてしまうのですが、時代の制約もありますし、それはなかっただろうなぁ。ヒッチコック監督はチャキチャキ頑固なロンドンっ子だし、怪獣とかには興味一切ないだろうし、だいたい、日本に金髪白人美女はいなかったしなぁ。

 それはともかく、この『第十七番』と撮影が前後して制作されたという『リッチ・アンド・ストレンジ』(1931年)でも、後半にタイタニック号ばりに洋上で主人公たちの乗る豪華客船が沈没するというスペクタクルもありますし、ヒッチコック監督が本質的に「物語」よりも「映像」の創出にモチベーションを求める才能の人だったことは間違いないと思います。問題は、その完璧なイマジネーションの具現化につなげる「お膳立て」がちゃんとできるかどうか、なんですよね。映画は30秒くらいで終わるもんじゃないからねぇ。

 すみません! お話の前がやたら長くなってしまいましたが、今回の記事は、その後の『暗殺者の家』についてですね!

 結論から申しますと、この『暗殺者の家』は、それまでの約10年、監督作17本のヒッチコック監督のキャリアの中でも最高の完成度を誇る傑作だと思います。まぁそれでも、これ以降の綺羅星のごとき大傑作の数々から見ればそんなに目立つ感じでもないのが、むしろヒッチコック監督の来たるべき黄金時代のものすごさを如実に証明するものになっているのですが、とにかく、21世紀の今の目で見ても十二分に楽しめる作品になっているかどうかという観点で言うと、『暗殺者の家』は初めてその責に耐えうる出来になっていると思うのです。まさしく一皮むけた!って感じですね。

 先ほどから言っている通り、ヒッチコック監督のすごいところは映像センスの冴えにあるのですが、スピーディなのに意図がしっかり伝わるし、ベタともいえるわかりやすさなのに今までの映画にはなかった新鮮な切り口があるという個性は非常にインパクト大で、特に本作はどこを切り取って観てみても、ヒッチコック監督作品であることが数秒でわかるという、「思いついたアイデア全部出し」のような、あっという間の75分間になっていると感じました。
 具体的に、どこかどう鮮烈なのかという点については、いつものように観ていて気づいたポイントを本記事の最後にまとめておきましたので例示ははしょりますが、最初から最後まで観客が退屈しないように考え抜かれた工夫が間断なく続くといった感じなんですね。

 これまでのサスペンスもの3作には、どこかしら、特に中盤に必ずダレ場というか、緊張の糸が途切れてしまう時間が出来していたのですが、本作では「主人公夫妻の愛娘が誘拐されている」という非常事態がクライマックスまで続くので、全編ジェットコースター……とまではいかないにしても、ローラーコースター的なノンストップな緊張感を持続させることに成功しています。
 この緊張感に最も大きく貢献しているのは、やはりなんと言っても本作における悪のラスボス的ポジションにいる、国際的暗殺組織の首領アボットを演じる、ドイツ渡来の大怪優ピーター=ローレでしょう。
 ローレと言えば、やっぱり最も有名なのはドイツ本国の巨匠フリッツ=ラング監督によるサスペンス映画の歴史的名作『M』(1931年)での連続幼女殺人鬼の役でしょうか。この映画もものすごい問題作であるわけなのですが、金銭や自己満足のために犯罪を続ける悪人というよりは、自分でも抑えきれない欲望という名の業病に支配されている弱々しい人間という部分をみごとにさらけ出していたローレの演技は、21世紀の今でもなお解決しえない「罪とは何か、罰とは何か」という問題を観る者に考えさせる生々しさを永久に保つものとなっています。にしても、この映画のオーラスの超唐突な締め方はまさに「キング・オブ・力技」って感じで最高ですけどね。それを言っちゃあおしめぇよ!

 そんなローレなのですが、本国ドイツの政情不安によりやむを得ずイギリスに居を移した直後に本作に参加したという事情を逆手にとって、そのために隠しようもなかった英語の拙さを国際的犯罪組織の首領アボットとしての個性に変換しているのは見事だと思います。転んでもただでは起きませんな!
 そして、基本的にうす笑いを浮かべて余裕たっぷりな物腰に終始し、誘拐した少女にも、それを奪還するために立ち向かって来た主人公たちにも極力手荒なことはしないという紳士然としたアボットの態度が、逆にその裏にある「ま、あとで全員殺すけどね、フフ……」という狂気をありありと感じさせるという、ローレならではの「奥行き」を感じさせる演技の懐の深さをいかんなく発揮しているのです。
 ローレはやっぱり、他の同時代の俳優さんがたとは次元が違うんですよね。他の俳優さんって、多かれ少なかれ各自のキャリアの基本にある舞台演劇やサイレント映画の表現法に引きずられて「見てすぐにわかる大きめ演技」を旨とする特徴があると思うのですが、ローレは笑顔の中でもちょっとだけ真顔に戻る瞬間とか、暗殺計画の失敗を予感して寂しそうに目を伏せる素振りといった細かくて小さい演技に魅力があるような気がするのです。
 余談ですが、現在日本で活躍している俳優さんで言うと、染谷将太さんがローレに似てるような気がするんですよね。いや、ただ目がぎょろっとしてるとこが似てるだけでしょと言われればそうなのですが、繊細な部分を隠せないという演技が素晴らしいんですよね。『麒麟がくる』での「孤独な王者」としての信長像は最高だったじゃないですか。あれも、陽気な中にたま~に翳りが見えるバランス感覚がいいんですよね。『利家とまつ』の、「作画・赤塚不二夫」みたいな反町信長も、いいんですけどね!

 いろいろ言いましたが、本作『暗殺者の家』は、スイスのサンモリッツでの国際ウィンタースポーツ会場に始まり、優雅なナイトパーティでの殺人からイギリスの帝都ロンドンでの謎の組織のアジト探索、豪華なオーケストラホールでの要人暗殺の危機から夜の市街地での壮絶な銃撃戦に至るまで、観る者を飽きさせない創意工夫に満ちた傑作になっていると思います。そして、そこに「名悪役ローレ」の厚みのある個性が加わったことで、愛する娘を誘拐された夫妻の必死の奮闘をさらに際立たせる物語の構成も「お見事!」の一言に尽きるのではないでしょうか。

 ただ、それでもあえて苦言を呈させていただくのならば、そんな完璧すぎる悪役ローレを立てるためとはいえ、秘密組織の暗殺計画がうまくいかなかった原因が、何から何まで狙撃実行犯たるレイモというポマードべったべた男の中途半端な仕事ぶりのせいになっているという点が、ヨーロッパを股にかける犯罪組織として情けないにも程がある気がします。絶対に失敗していはいけない大詰めの要人暗殺にとりかかる前に調子に乗って主人公の夫人にわざと顔を見せるのも、自分から失敗させようとしているとしか思えない最悪なスタンドプレーですが、そもそも最初に「知りすぎていた男」ことスパイのルイを狙撃した時も、ルイに遺言をしゃべらせる余裕も持たせないほど致命的な部位を撃てなかったことから一連のトラブルが始まっているわけなので、計画失敗に関する彼の罪はかなり重いですね。

 あと、スイスの名勝からロンドンでの攻防戦へという流れこそヒッチコック的エンタメではあるのですが、スイスのシーンはスクリーンプロセスに頼り切ったスタジオ内での撮影だったり、肝心の「暗殺者の家」こと太陽崇拝教会の入った建物での銃撃戦も夜だったりと、画面の華やかさで言えば制約の多いものになっていると思います。これは予算の問題なのでしょうか……でも、そういった遺恨が残ったために、のちのちヒッチコック監督が本作をリベンジとばかりにセルフリメイクしたのも、理の当然というものだったのでしょう。
 そういえば、この映画の邦題「暗殺者の家」って、ビミョ~にずれているような気もします。暗殺者というよりは暗殺組織だし、家というよりはアジトだしねぇ。ま、原題の「知りすぎていた男」っていうのも、物語の序盤で早々に退場しちゃうルイのことでしょうから、こっちもこっちでピンとこないものがあるけど。

 ともかく、若き日のヒッチコック監督はこの作品で、確実に次なる段階へレベルアップしたような気がします。実際に、本作からヒッチコック監督は作風をサスペンス・スリラーに絞っていくこととなるわけで、ここにきてやっと「いける!」という手ごたえをつかんだのではないでしょうか。
 イギリス時代、モノクロ映画時代はまだまだ続きますが、ヒッチコック監督の新時代への脱皮は完了いたしました。さぁ、お次はどんな作品が生まれるのでありましょうか? 才気あふれる今後に期待ですね!

 リメイクされた『知りすぎていた男』は、監督第43作(1956年公開)ですか……レビューへの道のりは遠いなぁ~オイ!!


≪まいど~おなじみの~、視聴メモでございやすっと≫
・開幕からスイスのサンモリッツでの国際スキー大会会場を舞台にし、目新しいロケーションで観客を惹きつけるジャブパンチが鮮やかである。モノクロ映画は白銀の世界によく似合う!
・本編が始まってほんの数秒で、スキー選手のルイが試合中に少女ベティを轢きかけてクラッシュするというアクシデントが描かれるのだが、スクリーンプロセスなどの既存の特撮技術以上に、とにかく「驚き進路を変えるルイ」「おびえて倒れ込むベティ」「騒然とする観客たち」といった多角的な視点のモンタージュが非常にスピーディで絶大な効果を生んでいる。さすが、のちに『サイコ』のシャワーシーンを生むヒッチコック監督! その映像的センスの冴えは、この時点ですでに開花していたのだ。21世紀の今でも全然フレッシュ!
・スキー大会の観客の一人として、早速主人公たち一家に接触する外国人客のアボット。終始ニコニコしている紳士的な彼だが、ルイと目が合った一瞬だけ真顔になるギャップが妙に印象的である。ここらへんの無言の表情の演技は、やっぱ世界的怪優ピーター=ローレの独擅場ですな!
・当時はごくごくふつうの仕草だったのだから仕方がないとはいえ、スポーツ大会の会場の道端で、ボブやアボット、そして他ならぬ出場選手のルイがスッパスッパ歩きタバコを始めるのも、ちょうど自分の顔の高さあたりからバンバンかかってくる副流煙を全く気にせずベティが笑顔で会話を続けるのも、21世紀の現代日本ではなかなか見られない光景である。これぞ、隔世の感。
・クレー射撃選手として出場している母ジルのライバルであるレイモの話題になり、ベティが「あのてっかてかの髪の毛がキライ。」とこぼした次の瞬間に、画面いっぱいにレイモの整髪料でベタベタになった後頭部が映しだされてシーンが切り換わるというカット割りがおもしろい。もう、このつなぎ演出だけでヒッチコック監督の映画であることが丸わかりである。
・本作のヒロインであるジルが、子持ちの人妻で国際大会に出場するクレー射撃の選手という、現代から見てもかなり異質なほどに行動的なキャラクター造形になっているのが実に新鮮で面白い。この特技がクライマックスの展開で利いてくるのも、抜け目が無くてうまい!
・ジルは立場や特技だけでなく、ボブがジョークのわかる夫であることをわかっていたとしても、ルイを「彼氏」に見立てて冗談を飛ばすようなかなり豪胆な性格であるところが、ますます先鋭的である。でも、そんなことを公衆の面前で口走るような母親、娘さんが好きになるとはとても思えないんですが……勢い余って、そんな妻にへらへら笑って合わせるだけの父親も憎悪の対象になっちゃうよね。
・性格相応に冗談のきついジルに負けず劣らず、そんな妻にも全く動じず受け流すどころか、夜のダンスパーティで「セーターのいたずら」を仕掛けるなど、相応に奇矯なキャラクターになっているボブもなかなかに個性的である。でも、度量が広くて冗談好きというよりは単に子どもっぽいという方が当たっているような。ベティは喜ぶかもしれないけど、大人社会から見ればけっこうな変人だと思う。
・陽気なバンド演奏が流れる中で、突如として外から狙撃され凶弾に斃れるルイ。この、他愛もないセーターのいたずらからシームレスで入る本題の殺人描写の温度差がものすごい。一瞬先に何が起こるかわからないハラハラドキドキ感が、本作の魅力の源泉ではないだろうか。
・ルイの遺言→部屋のキー→洗面台のひげ剃りブラシの仕掛け→謎のメモという、重要アイテムのめまぐるしいリレーが、ファミコンのミステリーゲームなみの単純さではあるものの小気味いい。ここらへんのテンポの良さは、やはりサイレント映画仕込みの手際の良さではないだろうか。
・親友ルイの殺害に加えて、謎の犯人からのベティ誘拐の脅迫文書を夫ボブから受け取り、たまらず失神するジル。「失神するヒロイン」という展開はある意味で定番なのだが、そこでも「周辺の風景がグルグルまわる」めまいの主観カットを一瞬サブリミナル的に挿入するところがヒッチコックらしい。『めまい』(1958年)をレビューできるのは、一体いつかナ~!?
・シルクハット、夜会服に馬車というめちゃくちゃロマンチックな格好のレイモに誘拐されおびえるベティの胸で、いかにも意味ありげに笑顔を浮かべる、母ジルからもらった「スキー坊や(仮称)」のブローチが、キモかわいくて妙に印象に残る。いい味出してるアイテム。
・ロンドンのローレンス家で、ベティの遊んでいたおもちゃとして登場する電気仕掛けの電車レールセット。女の子の趣味にしてはちと違和感が残るのだが……ヒッチコック監督、ほんとに鉄道が好きねぇ!
・ベティの誘拐を、最悪の事態を恐れて他言無用にしているボブとジルだが、フィクション作品にしては実に有能なスコットランド・ヤードも、ルイをひそかにスパイとして雇っていたイギリス外務省も誘拐の事実を完全に把握している。ここらへんの、あくまで非力な主人公夫妻の孤立無縁さの強調も、作品に必要な緊張感を巧みに持続させている。
・ジルと外務省の男ギブスンとの、「娘一人の命を取るか、国際戦争突入への道を取るか」という究極の選択についての議論が非常に興味深い。個人の幸せか社会の利益か……永久に解けない問題ですね。
・国際的暗殺組織の重要拠点が、街中のしがない歯科医院という意外性がおもしろいが、確かに「歯医者とサスペンス」は相性がいいな、と『ウルトラマンA 』の第48話『ベロクロンの復讐』がめっぽう大好きな私はしみじみ再認識してしまう。市川森一先生、さてはここからアイデアを拾ったかな? それにしても、歯医者の看板キモすぎ!
・いくらなんでも体格も声色も違うから、アボットとレイモだってすぐにボブの変装だとわかるのでは……と思うのだが、ボブが歯科治療用の強力な照明ライトをわざと2人に向けて目くらましにしている、というフォロー描写をちゃんと差しはさんでいる演出の妙が光る。うまい!
・陰気な歯医者に続いて、謎の組織につながる場所としてボブの捜査線上にのぼってくるのが新興宗教「太陽崇拝教」の礼拝教会という展開も面白いのだが、ボブと相棒のクライヴが、敵に気取られないように讃美歌のリズムに合わせて唄いながら会話をするという機転の利かせ方も笑ってしまう。ちょっと監督、アイデア盛り込みすぎじゃないの!?
・教会でついにボブと正面きって対峙する、暗殺組織の首魁アボット。演じるローレの余裕しゃくしゃくの紳士っぷりと、ボブに対する絶え間ない笑顔とは裏腹に、手下のおばあちゃんをあごで使ったり「使えねぇな……」とばかりに一瞬だけ無表情になる冷徹さとの切り換えの巧みさが、もうホントに魅力的。ドイツなまりで拙い英語もテクのうちよ!
・若干おふざけが過ぎる感もあるものの、神聖なはずの教会で思いきり椅子の投げ合いをする大のおとな達、乱闘の音を紛らわすために無理やりオルガンを演奏するおばあちゃん、そんな状況の中でも催眠術でグースカ眠り続けるクライヴという配置がおもしろすぎるアクションシーンが、サービス精神満点ですばらしい。ほんと、この作品は退屈しない。
・奮闘むなしく組織に捕らわれてしまうボブだが、ボブの伝言を伝えようとするクライヴと、再度脅迫のメッセージを伝えようとする組織とで、ローレンス家への電話口の取り合い競争になる展開が、これまた細かいカット割りでテンポよく描写されていて感心してしまう。この手法、確か石坂浩二金田一シリーズの『病院坂の首縊りの家』(1979年)で市川崑監督もオマージュ的に借用しているのだが、単純なだけヒッチコック監督の方が効果を上げているような気がする。『病院坂』はややこしい。
・不平不満をもらす組織の手下のおばあちゃんをアジトから出させないために、組織が彼女に与える「制裁」が当時としてはもっともらしいのだが、これももしかしたら現代の観客からすればピンとこないかも知れない。ひざ下くらい別にどうでも……みたいな感じですよね。
・ボブが組織に捕らわれてしまったので、その代わりに妻のジルが立ち上がるという物語の流れがとっても自然でよくできている。ヒロインがヒーローになるアツい展開だ!
・ロイヤル・アルバート・ホールで開催される国際コンサートの演奏中、合唱付きオーケストラ曲のクライマックスでのシンバルにまぎれて標的を銃撃するという暗殺計画が、まさに音声のあるトーキー映画ならではのアイデアという感じで盛り上がる。いいですねぇ!
・ホール中の紳士淑女の観客たちが神妙に演奏に聴き入る中、ジルだけが不安そうに客席内を見回して暗殺者を探し続けるという心理状態の対比が、いかにも緊張感たっぷりで手に汗握ってしまう。ホントうまくできとるわぁ。
・ジルと暗殺者レイモのいるホールだけでなく、演奏をラジオ中継で聴いているという形で、アジトのボブとアボットたちも事件の状況に固唾を呑んでいるという緊張感の連鎖が地味にうまい。場所的には離れていても、登場人物全員がひとつのことに集中しているんですよね。
・ラジオ中継のアナウンスで暗殺の失敗を知り愕然とする組織の面々。でもこれって、その必要は1ミクロンもないのにこれ見よがしにジルの前に姿を見せたレイモの余計なスタンドプレーが100% 原因である。「冥途の土産に教えてやろう」と同じく、余裕をぶっこいたがゆえの大チョンボ。しかもまんまと尾行されたままアジトに帰って来るし……こんな超絶ダメ部下を持っていながらも、すんでのところで激昂を抑えられるアボットはんは、大したお人やでぇ。
・ここまでほんとに綿密に練られたプロットと伏線の連続だったわけだが、肝心かなめのジルによる暗殺の妨害の内容が、「たまたま絶妙なタイミングで絶叫した」なのが、非常に惜しい。ここで偶然を持ち出してくるかね……ヒッチコック監督もそうとう遺恨を持ったはずである。
・暗殺計画の失敗に続き、本作のラスト12~3分はアジトでの組織と警察隊との銃撃戦となるのだが、BGMなどで盛り上げずにリアルに乾いた銃の音と市民の叫び声、そしてシャープなカット割りのみで、夜の壮絶な殺し合いを淡々と描写していく演出がすさまじい。そして最後の最後に、ヒロイン=ヒーローの面目躍如! ちょっとハッピーエンドには見えない疲労感に満ちた主人公たちの表情で物語は終わるのだが、非常に簡潔できれいな幕切れである。

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