4月3日から昨日まで所用があって、ブログの書き込みを休ませていただきました。
今日からブログを再開しましたので、引き続きご愛読くださいますよう宜しくお願いします。
さて、4月4日に所用を済ませた後、5家族8名で岡山県笠岡市の高島にある民宿で一夜をともにしながら親睦を深め、その後、宇都宮市在住の義妹夫妻と共に中国地方をめぐる旅をしてきたので、今日から数回にわたって旅紀行をご紹介したいと思います。
初回の今日は、親睦を深めた民宿のある笠岡市の高島と言う小さな島をご紹介します。
高島は神武天皇(当時は未だ天皇ではなく、カムヤマトイワレビコノミコト)が東征の折に、この島に滞在し、高島宮を建てたとされており、島内には「高島神社」を始め神武天皇にまつわる施設が残っています。
また、島内には縄文時代や弥生時代の遺跡もあり名勝指定を受けているようです。
・ツツジが満開で、とても素晴らしい眺めの高島です。
この島からの眺望は素晴らしく、戦前にはイワシの地引網の魚見台として利用されていたとも言われています。
・眺望が素晴らしい高島からの戸の眺めです。
・右側の巨石は「子妊石(こはらみいし)」と言って、陰石としては日本屈指の巨石です。
昔から良縁、子授け、安産、婦人病の霊神として崇められ、今でも島民に信仰されているようです。
・瀬戸の夕日がとてもきれいでした。
静かな島に、時折り聞こえてくる漁船のエンジン音と、海面に残る漁船の航跡が都会の喧騒を忘れさせてくれます。
「高島神社」
創建は不詳ですが、神武天皇を祀り、明治維新までは「神武天皇宮」「神武天皇社」と呼ばれて崇拝されていました。
社は小さいですが神武天皇が東征された際の仮宮である「吉備高島宮」の跡といわれています。
古事記・日本書紀によれば、神武天皇(当時は未だ天皇ではなく、カムヤマトイワレビコノミコト)は東征の折に、吉備高島へ仮宮を置き、3年若しくは8年滞在したと記されています。
・高島神社です。(笠岡市HPより)
「眞名井(まない)」
神武天皇が「天つ神」にお供えする水を汲んだと伝えられる井戸です。
傍らには英照皇后御製と伝えられる歌碑が建っています。(笠岡市HPより)
「神ト山(かみうらやま)」
神武天皇がこの山に登って吉凶を占ったと言われていることからこの名前がついたとされています。
自然石としては日本最大級と言われる高さ8m、重さ225トンの高島行宮遺阯」と書かれた自然石の碑が立っています。(笠岡市HPより)
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確か、遊びに行ったような・・・?
従姉妹と親戚のおじさんたちと行って、貝拾いなどをした覚えがあります。
海も綺麗で自然がとても豊かなところでした。
やっぱりいつ見ても景色は変わっていませんね。
私の寄島のおばあちゃんのところも海ですが、そこは港で海水の流れもあまり変わらないので少し汚れています。
島はしょっちゅう海水の流れが変わるのでいつ見ても、どこを見てもとても綺麗ですよね。
神武天皇が東征の折に高島に立ち寄ったと言われているので、今から2670年も前の事になります。
長い歴史のある島ですね。
今度、高島に行かれたら「高島神社」他、神武天皇ゆかりの場所を尋ねて見たらどうでしょう。
高島は小さな島ですが、神武天皇が東征の折に立ち寄ったと言われている歴史のある島のようです。
また、瀬戸内の島々が見渡せる風光明媚なところです。
機会があれば是非行ってみてください。
ご満足いただけると思います。