らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

出よ!平成の上杉鷹山

2017-07-02 | 時事

昔、誰が流したダジャレだったのか忘れましたが、「なせばなる、なさねばならぬ何事も、ナセルはアラブの大統領」という、上杉鷹山の有名な言葉をもじったダジャレが流行りました。

ナセル大統領はエジプトの第2代大統領(1956年6月~1958年2月)ですが、1958年(昭和33年)2月に建国されたエジプトとシリアからなるアラブ連合共和国の初代大統領に就任しており、冒頭のダジャレはこの頃に流行ったように思います。
このアラブ連合共和国は1961年(昭和36年)9月にシリアが連合を離脱したのに伴い解体されました。

さて、このダジャレの元になった、「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」は、米沢藩第9代藩主の上杉鷹山(上杉治憲)が残した名言です。
今日は上杉鷹山について調べました。

少し古いですが、平成19年(2007年)に読売新聞が日本の自治体首長に行った「理想のリーダー」アンケートで、上杉鷹山が1位に挙げられていました。
上杉鷹山は江戸時代屈指の名君として知られており、寛延4年(1751年)に日向高鍋(現宮崎県高鍋町)藩主、秋月種美の次男として生まれました。
宝暦10年(1760年)、10歳で米沢藩8代藩主重定の娘幸姫の婿養子となります。

14歳の頃から細井平洲に師事し、君主としての知識を磨き、その後の藩政改革に役立てています。
鷹山は17歳で家督を相続しますが、当時の米沢藩は莫大な借財をかかえて身動きが取れない状態でした。

鷹山は藩財政の再建に向けて「大倹約令」を発し、徹底した経費節減を断行しました。
体面を気にする家臣の反対を押し切り、江戸藩邸の食事を「一汁一菜」とするなど贅沢を戒め、50人いたと言う奥女中を9人に削減したそうです。
自身も安い木綿製の着物で通したと伝えられています。

・上杉神社の上杉鷹山像です。(2008年10月撮影)


「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」

この名言は強い意志を持ってことを成し遂げる大切さを説いた言葉であり、この言葉を胸に仕事や学業に邁進している人が多いそうです。
その志は海を越え、アメリカ第35代 大統領 ジョン・F・ケネディも尊敬する日本人の一人として「上杉鷹山」挙げていたことは余りにも有名な話です。
2014年9月にはケネディ大統領の長女で、元駐日アメリカ大使のキャロライン・ケネディさんが米沢を訪れ、歓迎する市民らへの挨拶で「なせば成る・・・」と日本語で締めくくっていました。

鷹山の改革の成果は徐々に表われ、藩財政は少しずつ好転していましたが、まだ借金は多く残っていました。
鷹山は相変わらず一汁一菜、木綿服着用の生活を続けていましたが、文政5年(1822年)3月12日、体調をくずして72歳でこの世を去りました。
 
日本の財政赤字額、所謂、「国の借金」の残高は2016年9月末で1062兆5745億円と発表されています。
国民1人あたりにすると837万円にのぼり、過去最大となっています。
現在と江戸時代の藩政改革とは規模や状況が違いすぎますが、、財政改革を断行する手腕を持った平成の上杉鷹山は現れないものでしょうか?