らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「銅座の跡」

2017-04-06 | 地元紹介

東京屈指の高級な商店街と言えば銀座で、その名称は一種のブランドになっており、全国各地の商店街には「○○銀座」と呼ばれる所がそこかしこに見受けられます。
銀座の地名の由来は、江戸時代に設立された銀貨幣の鋳造所のことで、1601年(慶長6年)に京都の伏見に創設されたのが始まりだそうです。(ウィキペディアより)

東京の「銀座」に対して、大阪には「銅座」がありました。
一昨日、所用で北浜方面に出かけたおり、「銅座の跡」を訪ねたのでご紹介します。

「銅座の跡」
銅座も銀座と同じく銅の精錬と売買を統括していたところです。
江戸時代、銅はわが国の重要な輸出品でした。
銅座(明和3年:1766年設置)の役割は、まず銅山からの荒銅を当所で買上げ、当時大坂で技術を競っていた銅吹仲間に精練させ、それを集荷して海路長崎へ回送するものでした。
また銅の密売を防ぐため古銅類買上げの精細な規定がつくられ、銅器の破片に至るまで銅座が管理していた場所です。
その「銅座の跡」の石碑が愛珠幼稚園の前にありました。
 


「愛珠幼稚園」
愛珠(あいしゅ)幼稚園は、地元先覚者の幼児教育への熱い思いと協力で明治13年(1880年)に創設されました。
園の敷地は江戸時代の銅座の跡地です。
愛珠幼稚園は明治13年(1880年)に開園した市内に現存する最古の幼稚園で、2007年(平成19年)に岡山市立旭東幼稚園旧園舎とともに国の重要文化財に指定されています。



「旧鴻池家本宅跡」
大阪市中央区北浜2丁目に旧鴻池家本宅跡があります。
鴻池家は、戦国時代の武将山中鹿之介の子孫と伝えられ、戦国期末に伊丹の鴻池村で酒造業を始めました。
元和5年(1619年)に大坂内久宝寺町に店を構え、寛永2年(1625)には海運業を始めます。
酒造業と海運業で財を成した鴻池家は、明暦2年 (1656年) に両替屋を始め、延宝2年(1674年)に現在地今橋通に両替店を移しました。
嘉永7年(1854年)には長者番付の最高位で東の大関となるほどの豪商でした。
明治になると大名貸しの貸し倒れにあいますが、第十三国立銀行(鴻池銀行、現三菱東京UFJ銀行)などを設立しました。



旧鴻池本宅は、昭和22年(1947年)大阪美術倶楽部に売却され、現在は同倶楽部のビルが建っています。