らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

刎頸の交わり

2015-05-31 | 雑学

「刎頸(ふんけい)の交わり」という諺があります。
出典は史記 藺相如(りんしょうじょ)伝「刎頸(ふんけい)の交わり」で、意味は、その友のためなら、たとえ首を切られても悔いないくらいの親しい交友。 生死を共にする親しい交際を言います。

「完璧」
『史記』によると、中国戦国時代、趙(ちょう)の恵文王(けいぶんおう)が所有する名玉「和氏(かし)の璧(たま)」を秦(しん)の昭王が欲しがり、15の城との交換を強要してきました。
この交換条件は履行されず、玉が取り上げられたままになるのは明らかでしたが、このとき秦に遣わされた藺相如(りんしょうじょ)の命をかけた働きで、璧を完(まっと)うすることができた、という故事によるものです。
ここから璧を全うする(完全に守る)ことが転じて、少しのきずもない、完全無欠なことを「完璧」と称するようになったそうです。

「刎頸の交わり」
更に、藺相如(りんしょうじょ)は大国・秦との外交で体を張って宝物「和氏(かし)の璧(たま)」と趙の面子を守り、趙王に仕える宦官の食客から上卿(大臣級)に昇格しました。
しかし歴戦の名将である廉頗(れんぱ)は、口先だけで上卿にまで昇格した藺相如に強い不満を抱いていました。
それ以降、藺相如は病気と称して外にあまり出なくなりました。

ある日、藺相如が外出した際に偶然廉頗と出会いそうになったので、藺相如は別の道を取って廉頗を避けました。
その日の夜、藺相如の家臣たちが集まり、主人の気弱な態度は目に余ると言って辞職を申し出たそうです。
だが藺相如は、今廉頗と自分が争っては秦の思うつぼであり、国のために廉頗の行動に目をつぶっているのだと諭しました。

この話が広まって廉頗の耳にも入ると、廉頗は上半身裸になり、いばらの鞭を持って、これまでの無礼な行為の罰として自分を鞭で叩くように、と藺相如に謝罪しまた。
藺相如はこれを許し、廉頗に服を着させました。
廉頗はこれに感動し「あなたに首を斬られても悔いはない」と言い、藺相如も同様に「あなたに首を斬られても悔いはありません」と言ったということです。
こうして二人は互いのために頸(首)を刎ねられても悔いはないとする誓いを結び、ここに「刎頸の友」という言葉が生まれました。

この二人が健在なうちは秦は趙に対して手を出せなかったといいます。

 

コメント (2)
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