プロ野球 OB投手資料ブログ

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鵜狩道夫

2017-05-14 13:19:13 | 日記
1959年

「いつこんなピッチャーが広島に入団したんだい」のんきなファンは、こんな愚問を発するかも知れないが、選手名鑑をくってみると、意外なことに気がつく。鵜狩は同じ広島で今をときめく大和田外野手といっしょに、昨年、西鉄からトレードされた選手の一人なのである。昨年は6勝7敗、防御率3・06という成績は、まだ海のものとも山のものともわからなかった。だが、今年の後半戦における彼のピッチングは、実にすばらしかった。阪神打線を相手に、今シーズン二度目の完投勝利を飾ったりしてすばらしい出来だった。鵜狩のピッチングは、重い球がその身上である。オーバー・ハンドからの速球が低目に決ると、相手チームの打線は、ちょっと手が出ないkるあいに威力がある。しかも、内、外角のコーナーに投げ分けるコントロールも絶妙だ。本格的な右腕投手だけに、やがてはエースの座にすわる可能性も十分にある。その上、カーブのコンビネーションがいいから、鬼に金棒である。備前、長谷川につづいて10勝ラインを突破した日、白石監督はボーッとしたような表情で、こう語るのだった。「今シーズンのはじめに、もういつまでも備前、長谷川にだけ頼っている様なピッチング・スタッフでは困る。はやく来年、更来年の広島を背負って立つピッチャーが出なくては・・・。若手の投手にその点をとくに強く望んでおいたんですよ」それを、第一番に鵜狩がかなえてくれたのが、やっぱりうれしかったのだろう。よろこびをかくし切れぬ白石監督だった。長谷川に体力的な限界が見え、備前もこれからぐんぐんのびていく投手ではない。だから、若手投手のなかから、一日も早くこの二人に代わる投手の出現が望まれていたわけである。橋本、拝藤、大石など未来の広島のエースを争うレースに、鵜狩がいちばん近づいたということははっきりいえるだろう。鵜狩は前にも書いたように、西鉄からトレードされて広島入りした。西鉄から広島入りして芽を出した選手に大和田がいるが、彼をトップとするなら、鵜狩はその二番手といえるだろう。西鉄時代の彼は、二年間でわずか22試合、41イニングスに投球しただけであった。持てる力をフルに発揮するチャンスを与えられなかったのだろう。現在の鵜狩から考えたら、想像もできないくらいである。それだけに、広島で一軍の試合に出られるのは、うれしかった。勝利投手になったあの感激を思うと、からだ中がぞくぞくするほど、うれしくなってしまうのだった。「一戦一戦を懸命に投げぬくだけです。どれだけ勝ちたい、といったって、いくらでも勝ちたいです。でもそんなこと、あまり考えないことにしているんです。西鉄時代の苦しみを思えば、どんなことでも耐えていけると思うんですよ」鵜狩は、現在の進境をこう語るのである。鹿児島県伊集院高校出身だが、九州男子らしからぬ、謙虚な態度である。話はもどるが、甲子園で阪神を相手に完投勝利を飾った試合のあと、押し寄せる記者団の質問にも「バックのおかげですよ。カーブが決まらなかったので、苦しいピッチングでした。バックの人たちがぼくを助けてくれたようなものです」と答えて、かえって恥ずかしいそうな表情さえのぞかせていたものである。「鵜狩のピッチングは、どちらかといえばオーソドックスな投球だ今までの広島には、あまり類を見ない本格派だけに、大いに期待はしている。長所は低目にものすごいいいコントロールをもっていること、球が重いので、打たれても飛ばない。また反対に欠点は球のスピードが今ひと息ほしいと思うな。球が重いから現在の状態で満足するならそれでもいい。しかしエースとなるには、どうしてもスピード・ボールがなくてはね」とコーチ陣は、彼のピッチングを批評している。「しかし、彼は十分やってくれますよ。若いピッチャーにとって10勝ラインを越えたことは、大きな自信をうえつけますからね」と白石監督は目を細める。今年でプロ入り四年目。そのピッチングは充分注目に値するだろう。そうして、長谷川、備前に次ぐ第三のエースの座につくことが期待されている。

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