プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

島田雄二・橋詰文男・柴田晃

2017-05-14 11:41:57 | 日記
1965年

東映の第一次整理選手は、島田、橋詰、柴田、阿左美、伊東、芦刈の六名。ことしはすべてファームで暮らした人たちばかりだが、島田、橋詰は昨年まで第一線で働いた選手で名も通っていた。ことしこそ坂崎、宮原、長南と、代打陣も一変したが、昨年まで東映の代打№1といえば島田外野手。能面のような無表情な顔、メガネをキラリと光らせて打席に足を運んだ姿はまだ記憶に新しい。水原東映のスタートに欠かせない代打者だった。橋詰もまた同じ。スター作りの巧い水原監督が、橋詰左腕投手を実にたくみに使ったものだ。左打者用のワンポイント・リリーフに何回橋詰で成功したかわからない。先発、また多くの回数を投げる力には乏しかった彼を、水原監督は実に巧く活用した。しかし、しょせんは球威のない悲しさ。昨年からは打力を生かして一塁手に転向、一度は急造三番打者としてペナントレースに出場したこともあった。だが、時の流れ、実力の世界はきびしいもの。坂崎ら巨人からの移籍、宮原、長南の成長は、ベテラン島田をファームに追いやり、橋詰もまた、むつかしい打者転向を乗り越えられなかった。まだペナントレースも終わらない十月初め、球団からの通達があって任意引退選手という名を着せられてしまった。「どうせ整理をいい渡すなら早い方が本人のため」という球団の親心だったという。が、シーズン中に自由契約にするには手続がこみ入っているため便宜上の「任意引退」、シーズン終了後は自由契約に切り替えられるだろう。島田はもう一度でいい。どこかで野球をやりたいと恥も外聞もなく巨人川上監督にテストを申し出た。川上監督は熊本工の大先輩なので、後輩の願いを聞きいれた。いま島田は、多摩川をひとつへだてた向こう岸の巨人の練習場へ毎日通って汗を流している。採否決定は、来春のキャンプまでかかるかもしれないという。橋詰はその持ち前の明るい性格で、クビのショックを支えたようだ。そうして、二十八歳という年齢も彼はひとつの転機だと考えたようだ。大阪の実家に帰ってプロパンガス業を営む実家を手伝っている。誰からも好かれた好人物だっただけに、名残惜しい橋詰の引退だ。もうひとりの柴田投手は、くる日もくる日もユニホームを汗みどろにして、試合前のバッティング投手をつとめた。東映には数少ない下手投げとして期待もされ、昨年、ことし前半戦、火の車の投手陣の中で第一線にかり出されたこともあった。しかしくせ球のなかったのが欠点で、惜しいところで苦杯をなめた。ついに陽の目をみぬまま、消えて行くことになった。
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