国際情勢の分析と予測

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なぜ美濃部東京都知事は外環道建設を凍結したか?なぜ中央線三鷹以西は複々線化されないのか?

2014年04月17日 | 日本国内


●中央線は立川まで複々線にできるか|日経BP社 ケンプラッツ
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/knp/column/20091105/536720/?P=1




●中央本線 - Wikipedia
1928年(昭和3年) 5月11日:新宿駅 - 中野駅間が複々線化。
1966年(昭和41年) 4月28日:中野駅 - 荻窪駅間が高架・複々線化。
1969年(昭和44年) 4月6日:荻窪駅 - 三鷹駅間が高架・複々線化。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%9C%AC%E7%B7%9A


●総武本線 - Wikipedia
1972年(昭和47年) 6月4日:新小岩駅 - 津田沼駅間が複々線化。
1972年(昭和47年) 7月15日:東京駅 - 錦糸町駅間が開業(複線、旅客営業のみ)。総武本線の起点が東京駅に変更され、錦糸町駅 - 御茶ノ水駅間は支線として分離。錦糸町駅 - 亀戸駅間が複々線化。亀戸駅 - 新小岩駅間が5線化。
1979年(昭和54年)7月7日:新検見川駅 - 千葉駅間が複々線化。
1981年(昭和56年) 7月5日:津田沼駅 - 新検見川駅間が複々線化。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E6%AD%A6%E6%9C%AC%E7%B7%9A


●京葉線 - Wikipedia
1986年(昭和61年) 3月3日:第1期線の西船橋駅 - 千葉貨物ターミナル駅間が旅客線として開業。
1988年(昭和63年)12月1日:第2期の新木場駅 - 南船橋駅間、市川塩浜駅 - 西船橋駅間が開業。
1990年(平成2年)3月10日:第3期の東京駅 - 新木場駅間が開業し全通。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E8%91%89%E7%B7%9A



●常磐線 - Wikipedia
1971年(昭和46年)4月20日:ダイヤ改正。 綾瀬 - 我孫子間複々線化完成。ほぼ、現在の運転系統が確立する。上野 - 取手間の急行線に快速電車を新設。緩行線(各駅停車)が帝都高速度交通営団千代田線(営団地下鉄/現在の東京地下鉄)と相互直通運転開始(開始当時は霞ケ関駅まで、程なく代々木公園駅まで)。
1982年(昭和57年)11月15日:我孫子 - 取手間複々線化。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%B7%9A



●首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス - Wikipedia
2005年8月24日に開業。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%83%BD%E5%9C%8F%E6%96%B0%E9%83%BD%E5%B8%82%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%B0%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9



●東海道本線 - Wikipedia
1976年(昭和51年) 10月1日:東京駅 - 品川駅間の地下別線(総武快速線、のち横須賀線)が開業[13]。
1979年(昭和54年)10月1日:東海道貨物線 鶴見駅 - 横浜羽沢駅 - 戸塚駅間 (20.2km) が開業[13]。大船駅 - 小田原駅間の複々線化が完成[13]。(貨)横浜羽沢駅が開業。(貨)東横浜駅を信号場に変更し東横浜信号場開設。東海道貨物線 汐留駅 - 浜川崎駅間および浜川崎駅 - 鶴見駅間を区間統合し表示を汐留駅 - 鶴見駅間に変更。
1980年(昭和55年)10月1日:品鶴線 品川駅 - 鶴見駅間に横須賀線電車が乗り入れ旅客営業を開始(SM分離)[13]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%9C%AC%E7%B7%9A


●東北本線 - Wikipedia
1968年(昭和43年)10月1日:東北本線大宮駅 - 赤羽駅間3複線化完成により、同区間が東北本線列車と分離。同時に埼玉県内を完全立体化して同区間内の全踏切を撤去。いわゆる「通勤五方面作戦」の一環で貨物列車・長距離列車・近距離電車との分離が実施された。
1985年(昭和60年)9月30日:赤羽 - 大宮間(埼京線)開業。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E6%9C%AC%E7%B7%9A


●通勤五方面作戦 - Wikipedia

・中央本線[編集]詳細は「中央線快速#歴史」を参照

本路線のみ、五方面作戦として銘打たれる前の第二次五ヵ年計画時から本格的な工事が着手されている。それは、武蔵野地域は沿海部の埋立地より開発が容易であり、隣接県の田園・丘陵地帯よりはある程度市街化の素地があったからである。このため、高度経済成長初期には最も沿線人口の伸び率が大きかった。中央本線系統では既に完成していた御茶ノ水駅 - 中野駅間の複々線を三鷹駅・立川駅まで延伸する事と、建設が開始されていた営団地下鉄(現・東京地下鉄)東西線へ中野駅から国電が直通する事が計画の基本となった。

1966年(昭和41年)に中野駅 - 荻窪駅間の複々線化が完成して地下鉄東西線との直通運転が開始され、続く1969年(昭和44年)には三鷹駅までの複々線化が完了した。しかし、三鷹駅 - 立川駅間に関しては未完成のまま現在に至っている。そのため現在においても工事が施行された他方面にくらべて急行線を走る中距離電車の列車本数が過密である状況が続いている[7]。

・計画促進[編集]計画2年目の1966年10月には、想定を更に上回る人口集中に伴って、政府出資を条件として自民党などに提示し、下記の区間の計画の目標年次繰上げを図った[8]。参考として五方面以外に繰り上げされた区間も示す。

中央線荻窪-立川間の複々線化
三鷹-立川間は1974年度着工予定→1972年度完成予定
総武線津田沼-千葉間の複々線化
1974年10月完成予定→1972年10月
東海道線品川-東京間の複線増設
1974年完成→1972年秋完成予定
また、汐留-大井埠頭-舞浜-鶴見に品鶴線代替貨物線建設を決定。
常磐線綾瀬-取手間の複々線化
1972年3月完成予定→1971年3月
横浜線八王子-原町田間の複線化
1975年10月完成予定→1973年10月完成予定
内房線木更津-君津間
1971年3月完成予定→1970年3月完成予定
しかしながら、上記の区間はその大半が繰り上げ前の完成予定をも大幅に超過し、中央線は上述のように未着工のままとなった。

・新五方面作戦へ[編集]通勤新幹線は五方面作戦と異なり、当時幾つか建設されていたニュータウン鉄道と同じような開発先行型の路線であったが、磯崎叡が総裁となるとその性格を色濃く引き継いだ在来鉄道を高速化した通勤新線の更なる増設方策が研究されることとなる。その結果は、旅客局、建設局などが主導して構想された新五方面作戦として1972年に提示された[19]。

新五方面作戦は次のような考え方から提案されている。まず、未開発地が多く残存し地価の安価な都心から50~60キロ地域をターゲットとし、通勤輸送を高速に実施することを前提とする。新線建設による首都圏各線の混雑率の目標は1976~78年で200%、1985年で150%を目標とする。建設の決心に関する考え方としては、首都圏の場合は将来利益を生み出す成熟産業への成長性を秘めていると捉え「今日の赤字は明日の黒字を得るためのコスト」としている。また、行政からの助成、開発還元措置、割増運賃により経営の安定化を図るための模式的な経営シミュレーションも実施された。

東海道・東北方面開発線:東北方面から南下して池袋、新宿、渋谷、目黒を通過し東急線沿線から茅ヶ崎に抜ける路線
中央・総武開発線:三鷹付近を通過後中央線の南側を平行しながら東進して新宿を通過し、新橋付近から臨海部に出て京葉貨物線に平行する路線。
高崎・常磐方面開発線:高崎線西側地域を平行しながら都心へ南下し、新宿、市谷、北千住を通過し、筑波研究学園都市に向かう路線。
京葉線、つくばエクスプレス等一部の路線は新五方面作戦で提示された性格を継承して開業した。東海道・東北方面開発線は数年で立ち消えしたが、代わりに東北・上越新幹線反対運動への対策として埼京線の構想が同時期に浮上し開業している。その後、湘南新宿ラインの運行開始によって似た経路で実現した。中央・総武開発線については構想から4半世紀余を経て、運輸政策審議会答申第18号にて同様の経路を持つ路線が提示された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%8B%A4%E4%BA%94%E6%96%B9%E9%9D%A2%E4%BD%9C%E6%88%A6





●東京外かく環状道路 - Wikipedia

関越自動車道(練馬区・大泉JCT)から中央自動車道(三鷹市・仮称中央JCT)を経て、東名高速道路(世田谷区・仮称東名JCT)に至る区間。1966年に高架構造として都市計画決定されたものの、排気ガスによる環境悪化を心配する周辺住民の反対運動が根強かったため、都知事美濃部亮吉(当時)らによって1970年10月に計画が凍結された。1999年に石原慎太郎が都知事に就任すると効率的な物流ネットワークの構築や慢性化した渋滞の緩和等を提唱し、2003年には、当初の高架構造から大深度地下(地下40m)を通す計画に変更する「方針」が公表された。2007年3月15日、東京都の都市計画審議会にて、関越道・中央道・東名高速と接続する3ジャンクション(JCT) と、目白通り、青梅街道、東八道路の3インターチェンジ(IC)を設置する案が承認され、同年12月25日、国土交通省の第3回国土開発幹線自動車道建設会議にて基本計画が承認される。決定された計画では、関越自動車道の起点を練馬区から三鷹市に変更した上で、関越道から中央道までを関越自動車道として、中央道から東名までを中央自動車道として整備することとされた。石原知事はその後も折に触れ着工の前提となる整備計画を定めることを要望し、2009年4月27日の第4回国土開発幹線自動車道建設会議で整備計画が承認された。2011年12月12日に、国土交通省が同区間の着工方針を明らかにし、2013年9月8日に開催が決定した2020年夏季オリンピック大会までの完成を目指している。シールドトンネル等の主要部分は国が直轄施工し、大泉JCT - 中央JCT間(約9.9km)はNEXCO東日本、中央JCT - 東名JCT間(約6.3km)はNEXCO中日本が舗装・設備工事等を施工し完工後は有料道路として運営する見通し[7]。

大深度地下計画が発表された当初は、国道20号交差部のICと世田谷通り交差部のICも計画されていたが、周辺環境や建設コストを考慮し削除された。この計画変更により、東名JCTと中央JCTとの間にはICが1箇所も設置されない計画である。

この区間に並行して、地上部には一般道路の東京都市計画道路幹線街路外郭環状線ノ2(通称「外環ノ2」)が都市計画決定されている。外環道の変更に合わせて外環ノ2を廃止する等の議論も出ているが、2012年には東京都が大泉JCT付近の1kmについて事業着手した[8]。

国土交通省は関越-東名を6車線(片側3車線)、設計速度80km/hで整備する計画であり、これにより現在約60分要している関越-東名は約12分へと大幅に短縮されるものと予測している。1日あたりの交通量は8万8900-10万800台で、概算事業費は1兆2820億円を見込んでいる[9]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%81%8F%E7%92%B0%E7%8A%B6%E9%81%93%E8%B7%AF


●中央自動車道 - Wikipedia

開通当初は東名高速や名神高速と同様に中央高速道路を名称として用いていたが、開通当初の暫定2車線対面通行でなおかつ中央にセンターポールも分離帯もないという状態であったうえ、追越しも許されているという有様であったにも関わらず、「高速」という呼称によって速度超過が多発したことによる交通事故が頻発してしまったために、当時の日本道路公団が1972年9月30日付の官報告示で中央高速道路を「高速道路」を用いない中央自動車道に改称すると発表した(ただし一部の情報板等の標識に「中央高速」の表記を使用しているものもある)[1]。なお、その後開通した高速道路では、東名・名神のバイパスとなる新名神高速と新東名高速を除いては道路名称に「○○高速道路」が用いられることはなく「○○自動車道」に統一されている[1]。

首都圏の放射方向の高速道路(9放射)のうち、唯一都心部(首都高速道路(新宿線)と接続する区間)が4車線であるため、深刻な渋滞が発生することがある。沿線には相模湖や河口湖などリゾート地が多いことから平日と週末の利用車数の差が大きく、観光シーズンの土曜・日曜の渋滞が他路線より目立つ。また、高井戸IC-八王子ICは平日・休日問わず交通量が非常に多い。八王子IC以東は平日においても渋滞が多発している。

前述したとおり、中央道は他の都心部の高速自動車国道とは異なり、大部分の区間が4車線である(東名高速、関越道、東北道、常磐道、東関東道の首都圏部はいずれも6車線)。これは、開通前は周辺道路の交通量が少なく、中央道自体もそれほどの交通量を見込めないとされていたためであり[要出典]、開通時は暫定2車線区間も存在していた。しかしながら、現在では多摩・八王子地区等で人口が増加したこと、東京都心から名古屋や、長野道経由で長野方面へのバイパス路線として機能していること、沿線にリゾート地を多数抱えていることなどから交通量が多く、慢性的に渋滞が発生している。

この渋滞を解消するための対策として、上野原IC-大月ICが一部ルート改良の上6車線化(一部は登坂車線を含め7車線化)された。しかしながら、更に交通量の多い高井戸IC-上野原ICは依然として4車線のまま(東京近郊1都3県の主要な高速道路で4車線なのは中央道のみ)であり、根本的な解決に至っていないのが現状である。都県境の小仏トンネルについては、新トンネルの掘削に関する調査費用を2012年度予算に計上する意向を国土交通省が示しているが[38]、八王子以東の区間については現時点で6車線化等の具体的な計画には至っていない。NEXCO中日本や山梨県は、東京都および神奈川県、沿線の市などに協力を呼びかけているものの、建設には莫大な費用を要すること、採算性の問題(特に高井戸IC-八王子ICは高度に市街化が進んでいるため、用地取得には多数の立ち退きが必要になる)、費用確保の問題などの理由から、6車線化には消極的である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93




●日本の黒い霧
1.松川事件
松本清張が書いた「日本の黒い霧」を研究しよう
松本清張が書いた「日本の黒い霧」を読むと、アメリカに叩かれる小沢一郎や鳩山首相の問題や、アメリカに迎合する管、前原、岡田、仙石、枝野らの魂胆が理解できる。

松本清張が書いた「日本の黒い霧」を読むと、日本の暗黒部分は全てアメリカの謀略だったことが良く理解できる。アメリカの手先になった日本人はエリートと呼ばれ、日本の財産や税金を横領することで、アメリカと共に巨額な利益を得ている。

松本清張の主張は、アメリカの手先になった官僚機構やマスゴミの人間ではないから信用できる。現在も松本清張が生きていた時代から何も変っていないことが分かる。

アメリカがいなかった江戸時代には、謀略と言う言葉はなった。ペリーによりアメリカが日本に来航してから日本の謀略の歴史が始まったと言える。

怖い横田基地の米軍のMP
海の上から吊るされた竹下首相
鳩山首相は、横田基地の米軍のMPにヘリコプターで海の上から吊るされて、何度も海に入れられ、怖くなって辞任した可能性がある。

昔の竹下首相も横田基地の米軍のMPにヘリコプターで海の上から吊るされたそうだ。

「小沢一郎氏を浮上させるしかない 」や「泥棒国家日本と闇の権力構造 」を参照。

横田基地の米軍のMPは、何かあると15分以内にヘリコプターで飛んで行けるらしい。だから、横田幕府と呼ばれているそうだ。

JALの御巣鷹山墜落事故の時も、墜落後、15分で横田基地の米軍のMPがヘリコプターで現場に到着したそうだし、昔のJALのもく星号の三原山墜落の時もそうだった。

小渕首相も海の上から吊るされたか
小渕首相も、横田基地の米軍のMPにヘリコプターで海の上から吊るされて、何度も海に入れられ、病院に担ぎ込まれた可能性があると言う。

「小渕元首相を殺した犯人は誰か 」を参照。

となると、松本清張が書いた「日本の黒い霧」の謀略より、現在の方がもっとヒドイ状況にある訳だ。

小渕首相が病院に担ぎ込まれたときは、明らかに小渕さんの意識はなかったのに、翌日、官房長官の青木幹雄が記者会見を開いて、「万事頼むと口頭で言われました。首相を臨時に代行いたします」と、まんまと青木幹雄は臨時の首相代理にインチキ就任することになった。

後に医師団は、小渕首相は青木幹雄に意思を伝えるのは医学的に不可能な状態だったと証言しているから、青木幹雄はアメリカの手先になって「クーデター」を起した訳だ。

昔は、小渕首相を米軍のMPがヘリコプターで吊し、青木幹雄(および後ろにいた森喜朗など)のクーデターが成功し、最近では、鳩山首相を米軍のMPがヘリコプターで吊し、平野博文(および後ろにいた前原誠司など)のクーデターが成功したと言う図式だ。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/news/seicho/







【私のコメント】

首都圏の交通網を見る時、最も大きな謎は城西地区や都下(多摩地区)の整備が進んでいないことにある。

1960年代に東京一極集中の進行に伴う通勤電車の混雑解消目的に行われた通勤五方面作戦とその後の新五方面作戦で、東海道線・京浜東北線は横須賀線により三複線化された。総武線・常磐線も複々線化+京葉線・つくばエクスプレス開通で事実上三複線化されている。東北本線に至っては赤羽大宮間の京浜東北線建設、埼京線開通、貨物線旅客化による湘南新宿ライン開通で四複線化されている。中央線も本来は立川まで複々線化される予定であったが1969年の三鷹までの複々線化完成後全く工事は行われていない。

中央本線は東北・東海道という日本の国土の中軸となる経路とは直交する路線であり、総武線や常磐線と比較するのが適切である。総武線は1981年に千葉まで、常磐線に至っては1971年に我孫子まで、1982年には取手まで複々線化されている。現在はおろか、当時でも千葉以遠・我孫子以遠の鉄道の輸送量と、三鷹武蔵境間の輸送量を比較すれば後者が圧倒的に多かったことは間違いない。

それだけではない。中央線の南北を並行して走る西武新宿線は複々線化が行われず、京王本線は複々線部分は新宿付近のごく一部に限定されてラッシュ時は優等列車の速度低下が酷い。小田急線の複々線化工事が完成間近であり、西武池袋線・東武東上線は東京メトロ有楽町線により、東急田園都市線は大井町線の増強と延伸により、東急東横線は目黒線の増強と延伸により事実上複々線化されているのと対称的である。

自動車交通の面でも同様の事が成り立つ。東京から放射状に延びる6本の高速道路は東京から少なくとも100km圏まで6車線で整備されている。唯一の例外は成田空港まで6車線の東関東道だがそれでも数十㎞が6車線。東名高速に至っては新東名と合わせると全線が6車線以上である。なのに中央道だけは4車線。唯一の6車線区間は混雑の少ない山梨県内にある。また、所沢から練馬へと中央道の北側を走る関越自動車道は練馬と都心の間が一般道であり、都心に自動車専用道で向かうには外環道で埼玉県に出てから首都高に入るという遠回りが必要となる。更に問題なのは、1966年に建設が計画されながら1970年に当時の美濃部東京都知事により外環道の東京地区の建設が凍結されたことである。これによって東名・中央・関越の三高速道路(第三京浜も加えて4つ)から吐き出される車の多くが環状八号線に集中して渋滞が非常に深刻なものになった。城西地区から都下(多摩地区)にかけての道路は事実上麻痺状態に近い。現在は圏央道がかなり開通して中央道と関越道は繋がったが、東名と中央道の間は今年6月末の開通予定、関越と東北道の間は更に先である。山の手通りの地下の首都高中央環状線と首都高都心環状線だけでは渋滞解消に限界がある。

この謎の理由は何だろうか?私の考える答えは、米軍横田基地に本拠を置く部隊が国際金融資本の命令に基づいて道路や鉄道を利用して都心にある日本政府の中枢施設を攻撃し占領する、あるいは占領するとの脅迫により日本政府にもっと自分たちの命令を実行させるという現実的脅威に対抗する目的ではないかと思われる。

4車線で渋滞の酷い中央高速、関越練馬インターチェンジの先の一般道の混雑は横田基地から自動車で都心にアクセスするのを困難にしている。環状八号線の大渋滞はそれと直交する都下から都心への東西方向の一般道も大渋滞させている。横田基地の最寄り駅は中央線の支線である青梅線であり、鉄道での都心へのアクセスには立川乗り換えで中央線利用となるが、複線のままの立川三鷹間の通勤時間帯の混雑は郊外にも関わらずかなり酷い。満員電車に慣れない高位の米国軍人や国際金融資本関係者は鉄道で横田基地から都心に向かうことを躊躇するだろう。

首都圏の他の米軍基地である厚木飛行場と横須賀海軍基地はいずれも神奈川県に存在する。新東名・小田原厚木道路が合流しても6車線のままの厚木飛行場近辺の東名高速は混雑が酷いが、これは横田基地と同様の意図かもしれない。横須賀から都心までの道路は横浜以北は首都高速が2ルート存在しかなり充実している点で対称的である。鉄道に関して言えば、横浜以北のJR・東急や登戸以北の小田急で複々線化が進んでおり横田基地とは対称的である。つまり、日本を脅迫する国際金融資本の実行部隊は米国海軍では無く空軍系(陸軍も含む?)であり、厚木よりも横田がその本拠地であるということだ。日本のマスコミ関係者が「横田幕府」という言葉を時に使うことがあるが、米国(実態は国際金融資本?)の命令を聞かない日本の首相は横田基地に連行されてヘリコプターに逆さづりにされて太平洋の海水に上半身を沈めて窒息させるという拷問を受けるという噂は実は真実ではないかとも思われる。そして、この横田幕府の脅威から日本政府を防衛する為に環状八号線を含めた城西・都下(多摩地区)の道路の大渋滞が作り出されているのだ。美濃部知事が主張した環境問題は米軍に対抗する為の単なる方便であったのだと思われる。以前にも触れたことだが、成田空港の過激派や伊丹空港の騒音訴訟によって両空港の運用が制限されていることも、これらの空港を米軍が利用することを阻止する目的で日本政府が支援しているのだと想像する。

外環道東京区間の建設が漸く開始されたことは、国際金融資本の世界支配が崩壊しつつあり、日本政府が横田基地にいる悪人達の脅威から解放されつつあることを意味していると思われる。ただ、その残党は根強く残っており、それ故に工事の完成は急がれていないのだろう。新東名の静岡区間のみが先行開通したのに神奈川区間と愛知区間の完成が先延ばしにされているのも同様の意図かと思われる。近日中に国際金融資本が大東亜共栄圏やプーチンやヒトラーの娘であると噂されるメルケルに降伏する時、これらの工事が一挙に進められることだろう。そして、その中でも最も重要なのは中央線三鷹立川間の複々線化着工である。それは間違いなく、横田基地からの米軍撤退と日本への返還・民間転用、それに伴う拝島・空港間の空港連絡鉄道(JRと西武が乗り入れるだろう)の建設及び空港連絡優等列車の運転計画発表と同時に行われる筈だ。





【2014年4月20日追記】






東急日吉から新横浜、JR東海道貨物線の羽沢貨物駅を経て相模鉄道西谷駅に至る相鉄・JR・東急直通線計画の内で、相鉄・JR直通線は4年後の平成30年完成予定で朝ラッシュ時間帯は4本/時 程度、その他時間帯は2~3本/時 程度の運行予定とされる。平成31年4月完成予定の相鉄・東急連絡線が朝ラッシュ時間帯が10本~14本/時 程度、その他時間帯は4~6本/時 程度とされるのと比較して本数は少なめであるが、そもそも東海道線と横須賀線の二本しか線路が無く湘南新宿ラインを含め通勤時間帯には増発の余裕が無い筈のJRに直通させる意味があるとは思えない。この不可解な路線は、浜松町付近から東京貨物ターミナル・天空橋を経て川崎貨物駅から鶴見駅付近に向かう東海道貨物支線の旅客化及び羽田空港アクセス鉄道としての利用、更に相鉄大和・相模大塚駅間南側の米国海軍厚木飛行場の返還後の民間利用と併せて評価すべきである。計画では相鉄からの直通列車は海老名や湘南台始発で横須賀線から新宿方面に向かうとされるが、実際には新設される空港連絡支線の厚木空港駅始発で大和・二俣川・羽沢を経由し鶴見から先も東海道貨物支線を通り天空橋駅(羽田空港利用客はここでモノレールに乗り換えて国際線及び国内線第一・第二ターミナルに移動)に向かうと予想する。

現在は利用されず一部は廃線となっている東海道貨物支線の東京貨物ターミナル以北を東海道線及び上野東京ラインを経由した常磐東北高崎線と直結することで、天空橋からりんかい線経由京葉線方面との直通も可能となる。羽田空港から東京都心・埼玉・茨城・成田空港の直結が可能になるのだ。

また、現在は貨物専用の武蔵野南線を旅客化して南武線のバイパスとして利用することで、羽田空港から鶴見線・武蔵野南線経由で武蔵野線方面や立川・拝島経由で横田空港に直結することも可能になるだろう。将来的には茨城空港に連絡鉄道を整備して成田空港や常磐線方面と直結したり、入間基地を民間転用して西武線を直結することも航空需要次第で可能であろう。

現在の首都圏空港の年間離発着回数の限界は羽田45万、成田30万回であるが、世界の大空港を見ると、(広大な敷地に十分な間隔で横風用も含めた平行滑走路を整備できる米国の幾つかの巨大空港を例外とすると)一空港当たり50万回程度が限界になっており、それ故に巨大都市は複数の空港を保有する必要が出てくる。ロンドンやニューヨークはその良い例である。ただ、複数の空港に飛行機の便が分散することで飛行機の乗り継ぎで長時間の空港内待機が必要になる欠点もある。一方、大空港は乗り継ぎが便利だがターミナル間の移動時間が必要になる事や離発着の順番待ちの混雑などで時間のロスもある。そこで、都心に近い羽田を中心に、東の成田、西の横田、南西の厚木、場合によっては北東の茨城や北西の入間を含めて複数の空港を首都圏に整備することで膨大な空港容量(羽田45万、成田30万回、横田・厚木・茨城・入間は10-20万回程度を想定)を確保し、日本国内と東アジアを中心に全ての世界主要都市に高頻度で航空機を運航するべきである。

空港間の乗り継ぎは各空港を高速鉄道で連結することで利便性を確保することが重要であると思われる。羽田成田間50分、羽田横田間40分、羽田厚木間30分程度で10-15分間隔で連絡優等列車を整備するとともに主要中間駅での乗り換えにより空港へのアクセスを改善すべきだ。

日本は東アジアと北米大陸の間に位置しており、米国系航空会社などは無制限の以遠権を利用して成田を乗り換え用のハブ空港として米国主要都市と東アジア主要都市を連絡させていた。国際金融資本滅亡による米国の日本撤退後は米国系航空会社の以遠権を剥奪し、日系航空会社や世界的航空アライアンスによる乗り継ぎを軸としたハブ空港群として育成すべきである。手荷物の迅速で正確な取り扱いや鉄道の正確で高頻度の運行が可能という日本人労働者の優秀性を武器に、東京はアジアの航空ハブ都市として生き残ることを目指すべきだ。




【2015年3月19日追記】
●10年前に一度白紙化、京葉線の複々線化急浮上 : 社会 : 読売新聞 2015年03月18日 06時34分


 千葉県は新年度、JR京葉線の複々線化に向け、事業費算定や採算の分析などの調査を行う方針を固めた。

 新年度中にまとまる政府の交通政策審議会の答申で、優先的に整備する路線に位置付けられることを目指す。約10年前に白紙化された構想だが、東京臨海高速鉄道りんかい線との相互乗り入れ・直通運転が現実味を増す中、急浮上してきた。

 京葉線は1960~70年代に県企業庁が埋め立てた土地を利用し、当初は貨物線として計画された。県交通計画課によると、当時、旅客線と貨物線を並行させる構想があり、線路4本分の用地が確保された。88年には新木場―蘇我間が旅客線として開業し、残る2本分の約13ヘクタールは企業庁が保有を続けた。だが、県は2006年に「JR側に複々線化の計画がない」と判断し、処分を進める方針を決定。その後、約3ヘクタールが売却された。

 転機は、今年1月に行われた森田知事とJR東日本の冨田哲郎社長との会談だ。関係者によると、席上、JR側はりんかい線との直通運転実現の課題として、京葉線の輸送力の限界を指摘。新木場以西が東京方面と大崎方面に分かれることに伴い、行き先によって本数が二分される問題の解決策として、複々線化が話題になったという。

 京葉線は朝のラッシュ時を中心に過密状態にあり、増便の余地はほとんどないとされる。沿線住民からは直通運転への期待が高まる一方、「東京方面への本数が減らされると困る」との声も上がっていた。

 こうした経緯から知事は2月23日、県議会で複々線化について「(過密ダイヤ)緩和のためには有力手段で、関係者で検討の際は協力していきたい」と答弁。JR東の石川明彦千葉支社長も同27日の記者会見で「非常に大きな設備投資を伴う」と指摘しつつ、「会社全体で検討される課題」と述べるなど環境づくりは進みつつある。

 新年度には交通政策審議会が15年ぶりの答申をまとめ、16年以降の首都圏の鉄道整備の優先度などを示す。答申で優先度が高く位置付けられると、整備促進が進むのがこれまでの通例だ。

 県は外部に委託して調査を行うことにし、特にダイヤの過密度が高い武蔵野線との合流点(市川市高谷)と新木場の間を重点区間と設定。〈1〉概算事業費の算定〈2〉採算性分析〈3〉効果や実現に向けた課題整理――などをテーマに8月上旬頃、中間とりまとめを行う方針だ。調査では、りんかい線がJRの「羽田空港アクセス新線」と結ばれる可能性を踏まえ、羽田空港などと県内の各都市、観光地がつながる効果も検討する。

 事業化の最大の課題は事業費で、県交通計画課は「JRが負担するのが原則」とのスタンスだ。一部の用地買い戻しも必要となり、実現の場合でも開通は2020年の東京五輪後になるとみられている。(田島大志)
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150318-OYT1T50007.html




【コメント追記】
京葉線と武蔵野線の共用区間の複々線化が持ち上がった。実は当初から複々線用地は準備されており、工事が先延ばしになっていただけの様だ。恐らく、市川塩浜から船橋への短絡線も将来建設され、成田空港からの空港連絡鉄道が京葉線に乗り入れることになるだろう。京葉線からはJR東日本に吸収されるであろうりんかい線を経て羽田空港方面や渋谷新宿池袋方面に乗り入れ可能である。更に、通勤電車の増発も可能になり、混雑の酷い東西線千葉方面の混雑緩和や総武快速線の速度向上も可能になると思われる。この計画が先延ばしになっていたのは、成田空港の都心アクセスを不良にすることで国際金融資本関係者の日本移住を阻止したり、米軍が成田空港を利用することで首都圏の航空管制が全て米軍に握られることを回避する目的であったと想像する。

近い未来に国際金融資本の世界支配が崩壊して米軍が日本から撤退すると、横田基地と厚木基地が日本に返還され民間空港に生まれ変わる。京葉線が大深度地下で新宿・三鷹経由で立川まで延長され、市川塩浜から船橋への短絡線やりんかい線からの羽田空港アクセス線、相模鉄道大和駅から厚木空港、拝島から横田空港へのアクセス線も建設されるだろう。そして、成田空港発羽田空港行き、横田空港行き、厚木空港行きの空港連絡列車が多数運行されることになるだろう。





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134 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-04-17 18:07:42
美濃部=甲賀二十一家で検索
忍者と落語家の末裔
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Unknown (Unknown)
2014-04-18 00:31:11
大日本帝国の復活で吉祥寺のピンサロにも行きやすくなるね!
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Unknown (Unknown)
2014-04-18 01:46:47
プリンスのこういう記事も好きだ
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Unknown (上から目線のロシア人)
2014-04-18 09:25:25
サハリンの鉄道も何とか、し・ろ・よ!
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Unknown (Unknown)
2014-04-18 10:09:50
↑自力でどうにかしろよw
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Unknown (Unknown)
2014-04-18 14:44:39
↑は、恐らくkenji
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Unknown (Unknown)
2014-04-18 15:06:44
岸田外相は、ロシアへ行くのか行かないのか。アメリカの目はあるが行くべきだろう。
オバマさんを国賓にしたのだから、プーチンさんを東京へ呼んでもバランスはとれている。
ウクライナも親露派組織へロシアが庁舎明け渡しを了承したから、いよいよロシアが東アジアへ来るのではないか。
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Unknown (上から目線のロシア人)
2014-04-18 16:10:54
岸田はロシアに、来・い・よ!
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Unknown (Unknown)
2014-04-18 17:06:03
kenjiって昔居たな。お前らいつまでもとらわれ過ぎだw
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Unknown (Unknown)
2014-04-18 20:05:01
kenjiは8925だよ
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