国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

中国がアルナチャル・プラデシュ地方を巡る中印国境紛争でインドを挑発する理由は?

2006年11月15日 | 中国
地図の紫色の部分がインドのアルナチャル・プラデシュ地方



●未確定のインド国境地域、中国大使が「我が国のもの」 (2006年11月15日0時11分 読売新聞)

 中国の胡錦濤国家主席によるインド訪問を目前に控え、中国の孫玉璽・駐インド大使が13日、両国間で国境が未画定のインド北東部アルナチャルプラデシュ地方について「すべて中国のものである」とテレビ番組で発言した。
 これに対し、インドのムカジー外相は14日、「(同地方は)インドの不可分な一部」と述べ、同大使発言に不快感を表明。同地方のシン州知事も「中国のごう慢な交渉姿勢だ」と述べた。
 中印両国は1962年に大規模な国境紛争を起こした。2005年4月、国境問題早期解決の方針で合意したが、アルナチャルプラデシュの帰属は両国の緩衝であるブータンの安全保障に直結するなど戦略的に微妙な問題をはらみ、胡主席訪問でも解決は困難とみられている。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20061114id21.htm




●アルナーチャル・プラデーシュ州

アルナーチャル・プラデーシュ州は、主にヒマラヤ山脈東部の中国、インドの国境紛争地帯において、インドが実効支配している領域に設置された州。


・地理
南はアッサム州、東はビルマ、北は中国、西はブータンと接する。中国政府はこの州の大半の領有を主張しており、名目上、西蔵自治区ロカ地区のツォナ・ゾン(錯那県)、ルンツェ・ゾン(隆子県)、ニャンティ地区のメトク・ゾン(墨脱県)、ザユル・ゾン(察隅県)などの各ゾンに分割して帰属させている。


・歴史
この州が位置する地方がインドの管轄下となり、中国との国境紛争地帯となった発端は、1910年代半ばに開催されたシムラ会議と、ここで提示されたシムラ協定にさかのぼる。


・シムラ会議の背景とシムラ協定
辛亥革命によって清朝が滅亡し、その遺領の再編が問題になった際、チベットとモンゴルの民族政権は、「文殊皇帝」(=清朝の皇帝)が退陣した結果、その支配下にあった中国、チベット、モンゴルなどの諸国はそれぞれ対等、別個の国家となったという立場をとり、チベット、モンゴルの二国がそれぞれ独立国家として国際承認を受けることを目指し、国際社会への働きかけに着手した。いっぽう、漢人共和主義者たちは、自分たちがつくる共和国を、単に漢人の土地のみを国土とする漢人国家とはせず、清朝に臣属していた諸民族の分布領域を枠組とする中国を設定し、自身の共和政権を、その「中国」の「中央政府」と位置づける立場をとり、チベット、モンゴルの民族政権の服属を目指してそれぞれと戦火を交えた。この紛争を調停するべく、モンゴルにはロシア、チベットにはイギリスが後ろ盾となって開催されたのが、キャフタ会議、シムラ会議(1913年-1914年)である。

この二つの会議では、チベット、モンゴルを独立国家としては承認せず、中華民国の宗主権下で完全な内政自治を行使するにとどめること、チベットの青海、西康部分、モンゴルの内蒙古部分は中国政府の統治下におかれ、チベットとモンゴルの両民族政権はそれぞれの国土の中核部分(チベットは西蔵部分、モンゴルは外蒙古部分)だけを管轄すること、などを骨子とする協定案が、それぞれまとめられた。

キャフタ会議では、モンゴル、中国、ロシアの三当事者がキャフタ協定を調印、批准して、以後この協定にもとづく安定した関係が築かれたのに対し、シムラ会議では、ガンデンポタン(=チベット政府)が内政自治権を行使する領域の境界について合意が成らず、シムラ協定の批准(1914年)はイギリス、チベットの2者のみの参加にとどまり、以後もチベットと中国との間では、しばしば戦火を交える緊張状態が続く。

チベットと中国の紛争を調停したシムラ会議で、イギリスの全権をつとめたマクマホン卿は英領インドのアッサム地方とチベットとの境界をチベット側に受諾させた。これがマクマホン・ラインである。


・マクマホンラインに対する中国の対応と中印国境紛争
マクマホン・ラインはチベット系住民の分布領域の境界より相当北方に位置するヒマラヤの嶺線付近に引かれていることから、チベットを中国の一部分だと主張する中華民国の歴代政権、中国人民政府ともこのラインを中国とインドとの国境として承認することを拒否、1959~1960年にかけては、インドと中国人民政府の間で武力衝突が勃発するに至っている(詳細は中印国境紛争を参照)。この紛争では、東西の紛争地帯でいずれも中国軍がインド軍を圧倒、中国は、西部紛争地域(アクサイチン地区)では自身が主張する領域に実効支配を確立する一方、東部紛争地域では、一時的には全域を確保しながら、一方的にマクマホン・ライン以北へ撤兵した。


・アルチャーナル・プラデーシュ州の成立
インドは1954年以来、この地方を東北辺境地区として管理してきたが、中国との武力衝突以後、この地域に対する実効支配をより強固にするため、インフラの整備につとめ、1987年にはこの地にアルナーチャル・プラデーシュ州を設け、現在に至っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%B7%9E





●アルナチャル・プラディシュ(Arunachal Pradesh)

インド北東端、アッサム州の北方に位置する州。北は中国、東はミャンマー、西はブータンに接する。面積83,743㎡、人口858,000人(1991)でモンゴロイドが多くの割合を占める。州都はItanagar。前回我々の訪れた西カメン地区、ディバンバリー地区を含め13の地区に分かれている。しかし一言でモンゴロイドとは言うものの西カメン地区周辺に居住する、仏教徒であるモンパ族やディバンバリー地区周辺に居住する山岳民族であるミシュミ族などアルナチャルには、独自の生活習慣を送っている25もの民族が存在している。ArunachalPradeshとはサンスクリット語で太陽の昇る土地という意味。東西約450㎞、南北約150㎞と狭長で、北端から順に大ヒマラヤ山脈、小ヒマラヤ山脈、前衛丘陵が東西に走り、気候は南の亜熱帯気候から北の高山性気候まで様々で年降水量は2000~4000㎜である。気候の変化に対応して植生も熱帯性常緑樹、温帯性常緑樹、針葉樹と変化する。いたる所で目にするバンブー、500種以上もあるランをはじめ何百種もの植物動物相を有す。森林は、全土の約60パーセントを占めているが、開発は進んでいない。

アルナチャルプラデシュは北東部7州の中で一番新しくできた州である。それ以前にはイギリスからNEFA(北東辺境区)と呼ばれていた。イギリスは開発するだけの価値のない辺境にすむ原始的ともいえる部族生活を送る彼らを、強制的に統治しようとはせず、かなりの程度の自治を許していた。しかしイギリスは領土権を明確に主張し、中国で辛亥革命が起こった際にチベットと領土条約を結びインド領としていた。その後、インドが独立しても、この地域はほとんど顧みられないままになっていた。その後この地域の領土権を主張してきた中国に対しインド側はマクマホンライン(ヒマラヤの稜線)を主張したが中国側がこれを認めず1960年の中印国境紛争の一因となった。その際、中国からチベット人難民が押しよせ、今もTezuにて暮らしている。この紛争以後、インドはこの地域を中国からの防衛のために開発を進め、インド領であるという既成事実を重ねていくために道路を建設し軍を駐屯させた。そして1987年北東辺境区は州に昇格され、アルナチャルプラデシュ州となる。

インド政府は中国との国境紛争がまだ解決していないこの地域への立ち入りを厳しく制限している。しかし近年、その扉は外来者に対し開かれ始めている。
http://page.freett.com/arunachal/field.htm





●国際ヒンドゥー教VHP代表、ヒマラヤ地域の団結を提案
《西 藏 之 頁》 (2003年 5月 2日付)より

   4月にニューデリーで開かれた“ヒマラヤ文化シンポジウム”で、国際ヒンドゥー教VHPのアショーク・シンハイ(Ashok Singhai)は、「インド政府はチベットを皿に載せて中国に贈呈した」と述べた。

  インド国際ヒンドゥー教Vishwa Hindu Parishad組織の批判の矛先は、チベットを中国に贈りインドを直接中国の脅威下に置いたとしてインド最初の首相ネールに向けられた。

  同組織のアショーク・シンハイ代表は先月開かれたヒマラヤ文化シンポジウムで次にように語った。
「ヒマラヤ山脈に属する西のカシミールから東のアルナチャル・プラデシュ州にいるヒンドゥー教徒はいつも中国の脅威にさらされている。しかも仏教徒たちと結びついた勢力はこの不公正な現状に反対している。」
「ネールはチベットを皿に載せて中国に贈呈した。彼のこのやり方はインドを直接中国の脅威にさらすことになった。」
「ネパール国内のマオイストたちは様々な活動を行い、同国北部は彼らに占領されている。それゆえチベット、ネパール、カシミール、アルナチャル・プラデシュ州などヒマラヤ地域勢力は一致団結して中国とイスラム・テロ集団、マオイストに対抗すべきである。ヒマラヤ地域が利益主義者たちの激しい活動の舞台となっているこの時、我々は力を合わせ団結しなければならない。もし、我々が連合して侵略者たちの勢力に立ち向かえるなら、チベットとパキスタン統治下にあるカシミールに自由と保護を与えることができる。」

  シンポジウムには、チベット亡命政府のサムドン・リンポチェ首相、チベット人民議会のギャリ・ドルマ・ドルマ副議長らも参加した。
http://zhuling.cool.ne.jp/xiangbala/xiaoxi/xx0305.htm




●ダライ・ラマ、独立を求めないと再度言明
《西 藏 之 頁》 (2003年 4月29日付)より

   4月28日、アルナチャル・プラデシュ州の招待を受けてインド東北部を訪れたダライ・ラマは、再びチベットの独立を求めないことを言明した。

  BBC4月28日付け報道は、ダライ・ラマが、チベット人は自治を勝ち取るために闘っており、完全な独立を求めているのではないことを改めて説明したと伝えた。
  ダライ・ラマは、中国は指導者を換えたものの、北京側はチベット政策を変えようとはしていないとして、「中国は引き続きチベット人に対する強硬な抑圧政策を採っている」と語った。
  亡命チベット人は、中国政府が政治的・宗教的抑圧、漢人の移民によって仏教を軸とするチベット文化を滅ぼそうとたくらんでいると非難している。

  自由アジア放送インド報道によれば、ダライ・ラマは4月28日、中国のトップが交代した後も北京はチベット人抑圧の策略を改めておらず、北京の新指導者がそのチベット政策を改めるとは思わないと語り、北京は引き続きチベットに居住するチベット人たちに非常に厳しい抑圧政策を行うであろうし、それは中国の安定と進歩を確実に害することになるだろうと述べ、この数年、チベットは確かに経済的に発展してきたが、政治的にはチベット人は相変わらず抑圧されていることを認めた。彼は、チベットの独立のためではなく真正の自治のために闘っていることを再度強調した。
http://zhuling.cool.ne.jp/xiangbala/xiaoxi/xx0305.htm





●インドの事例―連邦を崩壊させないために

インドが米国やカナダ、オーストラリアと同じように連邦国家で、各州が政治・財政面において強大な自治権を有しているということは、少なくとも日本においては、あまり知られていない。インドの人々が民族、言語、宗教においてきわめて多様であるという事実についても同様である。

インドにも分離独立主義者が存在し、独立主権国家(または妥協策として州としての地位)を求めている。現在繰り広げられている主な分離独立運動は以下のとおりである。

北東インドにおける主な動きとしては、ナガランド州とアッサム州の独立運動がある。(インドの北東部は、アルナチャルプラデシュ、アッサム、ナガランド、マニプール、ミゾラム、メガラヤ、トリプラの7州から成るが、いずれもインドにおける最貧州に数えられ、多かれ少なかれ分離独立主義者の影響を受けている。これまでにインド政府との間に平和的解決が得られたのは、1986年のミゾラム州のミゾ民族戦線(Mizo National Front)との和平1件のみ)。
その他の地域、特にアンドラプラデシュ州とオリッサ州においては、低カースト層や土地を持たない貧困層の代弁者たらんとして、さまざまなマルクス主義的共産主義運動が活発に繰り広げられている。すべてが分離主義者というわけではないが、近年、一部の活動グループはゲリラ的な反乱勢力となっている。
ここに例示したような活動は決して新しいものではなく、中にはインドが英国から独立して以来ずっと続いているものもある。しかし、これまでと異なるのは、こうした武装組織が互いに連携し、より大きな大儀を掲げ、共通の「敵」であるインド連邦政府に立ち向かおうとしている点である。こうした連携の輪はインドの国境を越えて広がりつつある。

インド北東部における分離主義ゲリラ活動は、その繋がりは緩いものの統一戦線を形成し、最近ではネパールのマオイスト(毛沢東主義派)と積極的に連携する動きが見られる。
マルクス主義派のインド左派共産党もネパールのマオイストとの連携を宣言した。
地下活動を行うインドのマオイストとネパールのマオイストが結託し、インド国内で最も貧しく、最悪の統治が行なわれているベンガル州北部に独立したグルカランド(グルカ人国家)を打ち立てるという共通の大儀を掲げて武装蜂起しているとの情報もある(この展開は、ネパール、ブータン、バングラディシュ、およびインドのシッキム、アッサム、ビハール各州に囲まれ、戦略上重要なこの地域に、反政府組織が勢力範囲を広げようとする動きととらえられている)。
http://www.rieti.go.jp/users/nishimizu-mieko/glc/002.html





●中国、チベット亡命少年僧ら射殺映像が世界中に 2006/10/22

9月末に中国チベット自治区とネパールの国境近くで亡命を試みたチベット尼僧(25)や少年僧(15)らが、中国の国境警備隊の銃撃を受け少なくとも2人が死亡した事件の映像が世界中で放映され、国際社会を騒然とさせている。
 
 北京五輪を控え、「和諧(わかい)(調和のとれた)社会」構築という胡錦濤政権が提唱する“理想”の陰で行われている中国の人権蹂躙(じゅうりん)に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も調査を開始、米国などが非難の声を上げ始めている。
 
 映像はルーマニアの登山家、セルゲイ氏が偶然撮影したものをルーマニア民放局が14日に放映。その後、日本を含む各国でも放映され、米国の動画投稿サイト「ユーチューブ」などインターネットの映像配信で世界中を駆け巡っている。
 
 現場はエベレストに近いチョオーユー峰のベースキャンプから見渡せる氷河。映像は9月30日早朝、氷河の上を1列に並んでネパール国境のナンパラ峠に向かって歩いている約30人の行列を見下ろすように撮影されている。警告発砲音が響いた後、次の発砲音で先頭の尼僧が倒れた。カメラは銃を構える中国兵士の姿、続く発砲で行列の最後尾の少年僧が倒れる様子、倒れた人を抱き上げる兵士の姿をとらえ、目撃した登山家の「犬のように撃ち殺された」というコメントが流れる。
 
 セルゲイ氏がテレビのインタビューに答えたところによると、一行はチベット仏教徒でダライ・ラマ14世に会うために亡命を敢行した。セルゲイ氏は兵士の襲撃を逃れた亡命者を助け、食料や衣類を分け与えたという。
 
 この事件について12日に中国当局は、兵士が違法越境者に対し引き返すように説得したものの、「(抵抗したため)発砲した。正当防衛だ」との公式見解を発表。1人が死亡、2人が負傷したとしている。
 
 しかし、映像が公開されたことで、亡命者の約半分が6~10歳の子供で、無防備な状態を背後から銃撃されたことが判明。チベットの難民組織など複数の人権団体の情報を総合すると、亡命者は全部で73人で、ネパールにたどりついたのは43人。そのほかは子供を中心に相当数が当局に拘束されているという。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/24251/





【私のコメント】
 中国は一昨年10月にロシアとの国境紛争を解決したが、残るユーラシアの超大国である日本・インドとの間にはそれぞれ尖閣、アルナチャル・プラデシュ地方という未解決国境を抱えている。更に、台湾統一問題は日本との関係に、チベット分離独立問題はインドとの関係に深く関係する問題である。そして、その他にも南シナ海の南沙諸島紛争、韓国が領有権を放棄していない間島問題も抱え込んでいる。

 現在の中国は国内で虐げられた農村住民の不満が爆発しつつあるし、都市部でも大学卒業者の就職難問題がある。更に近未来に予測される米国のバブル崩壊による対米輸出激減、上海などの都市部の不動産バブルと巨大な不良債権などの問題を抱えており、共産党一党独裁政権はもはや崩壊の危機に瀕している。ロシア・日本・米国などの主要大国も中国を脅威と認識しており、現在の中国は内憂外患の状態である。

 このような状況で、中国に近接する超大国の中でインドだけは関係が急速に改善しており、インドが中国との友好関係樹立のためにチベットを見捨てたのではないかなどという田中宇の分析も見られたほどである。そのインドに対して、親善を深める重要な機会である胡錦濤国家主席のインド訪問を直前に控えた重要な時期に何故中国は領土問題を突きつけて対立を煽っているのだろうか?以下のようなシナリオが考えられる。



1.9月末にチベット人亡命者を中国の国境警備隊が射殺した事件で中国政府が国際的非難を受けており、この問題を裏で煽っていると予測されるインドに対して中国が反撃の意志を示した。問題となっているアルナチャルプラデシュ地方にはチベット系住民が居住している。

2.インド北東部は分離主義ゲリラ活動を抱えており、領土的野心を持つ中国がそこにつけ込もうとした。

3.中国が多数の国境問題を抱えて困難な状態にある様に見せかけて、油断した台湾を攻撃して一挙に統一する。

4.中国が多数の国境問題を抱えて困難な状態にある様に見せかけて、韓国を間島問題への介入に誘い込み、その後侵略と糾弾して叩き潰す。



以上のシナリオのうち2-4は陰謀シナリオであるが、現状の中国は国内情勢・国際情勢共に決して陰謀を実行できるほど安定した状態ではない。やはり、シナリオ1の「チベット問題を巡るインドとの紛争での反撃」が一番考えやすいであろう。

 米国は2006年3月2日にインドとの核協定を結んだばかりであり、ネオコンは最近日本の核武装を支持している。これは米国がユーラシアから軍事力を引き揚げ、日本とインドに中国に対抗する役割をバックパッシングしたと考えられる。現在の米国は日露中印という四つの超大国がアジアで勢力均衡する状態を作り出すことを狙っているのだ。米国との核協定により勢力を増したインドが9月末のチベット人亡命者殺害問題を国際問題化することで中国に対して攻勢に出ており、米国の戦略は見事に成功したと言えるだろう。

 今後の焦点は、果たしてチベットが独立することができるかどうかである。チベット人は北方モンゴロイドで中国北半分の住民と人種的には非常に近い一方、チベット仏教は仏教発祥の地であるインドと深い繋がりがある。このようなチベットが独立して中国とインドの間の緩衝国家に加わることは、中国とインドの関係を安定させる効果があると考えられる。現在の米国がユーラシアの勢力均衡による安定を目指しているのであれば、チベットが悲願の独立を達成する可能性は十分あると思われる。
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3 コメント

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Unknown ()
2006-11-16 05:31:29
チベット人惨殺はTVで放送されたんですか?
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勉強になりました。 (3news)
2008-05-02 19:23:12
 中国とチベットの問題について、これまで見たブログの中でいちばん理解できました。

 感情をおさえてかかれているのにも好印象をうけました。

 また、勉強しにきます。
返信する
暗中模索に光が射しました (tadayasu)
2012-12-03 21:31:44
NHKの番組から 最近の日中間にある諸問題の原点が、このリポートを読み返しインドやチベットとの間にも存在している中国国境紛争は国民を統治するための(思想)手段であると知らされた想いがしました 
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