国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

ベトナムの新幹線建設計画:パックス・シニカ復活の阻止、ハノイからフエへの遷都、王政復古

2007年02月12日 | 東南アジア・南アジア・オセアニア


●ベトナム、330億ドル投じ南北高速鉄道建設へ 2007/02/06 11:26  ロイター

 ベトナム政府は、330億ドルを投じ、日本からの支援を受け、北部の首都ハノイと南部のホーチミンを結ぶ南北高速鉄道を建設することを明らかにした。
 ベトナム政府の公式ウェブサイト(www.vietnam.gov.vn)に掲載された声明によると、国営のベトナム鉄道がグエン・タン・ズン首相から全長1630キロの鉄道建設の認可を得た。

 軌道幅は1435ミリで工期は6年の見込み。完成するとこれまで30時間以上だった両都市間の所要時間が10時間足らずに短縮される。
http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/2007-02-06T112627Z_01_NOOTR_RTRJONC_0_JAPAN-245918-1.html






●ベトナム情報局: 2013年までにベトナムに新幹線建設 February 07, 2007 

Nguyen Tan Dung 首相はハノイとホーチミン市を結ぶ新幹線を330億ドル(およそ4兆円)の予算で建設する計画に承認をだしました。日本のODAの援助でワールドバンクとアジア開発銀行から資金を調達する予定をしています。

工事は3フェーズに分割され、最初にハノイからフエまで建設され、同時にホーチミン市からニャチャンまで建設されます。最後にニャチャンとフエを結んで全面開通となる予定です。

 線路を走る新幹線のスピードは時速200km~350kmになる予定で、仮に時速200kmだと、ホーチミン市とニャチャンの間は2時間で到着することができます。時速350kmの場合は1時間20分になります。

 7年後に本当に全線開通するかどうかは疑問がありますが、近い将来サイゴンから新幹線に乗ってベトナム各地に短時間で移動できるようになるなんて、まるで夢のような話ですね。3泊4日程度のベトナム旅行でも、ニャチャンや、古都フエ、ホイアンなどを訪れることができるようになるわけですから、旅行者にとってもたいへん便利な話です。10年後が楽しみです。
http://cafesaigon.cocolog-nifty.com/home/2007/02/post_11d3.html






●ハノイの軽量鉄道建設など、仏が支援=ベトナム|タイ発ニュース速報|newsclip.be 2007/2/ 8 (13:15)

【ベトナム】フランス政府は7日、ベトナムの都市鉄道建設と治水事業に総額1億2340万ユーロ(約190億円)の借款を供与する契約をベトナム財務省と結ぶと発表した。タインニエン(電子版)が伝えた。

 このうち、ハノイの軽量鉄道(全長12.5キロ)建設事業に8000万ユーロを融資する。同鉄道は高架部分と地下部分から成り、建都1000年に当たる2010年に開業を目指す。

 また、ハノイと中国国境のラオカイを結ぶ鉄道(同285キロ)の改良事業(2010-11年完成)に3200万ユーロ、ホーチミン周辺の治水事業に1140万ユーロの融資を実施する。
http://www.newsclip.be/news/2007208_009527.html







●フエ - Wikipedia

1558年以降、広南阮氏の本拠地となり、西山朝(タイソン朝)による中断の後、1802年に成立した阮朝(グエン朝)の都が置かれた。
1883年のフエ(アルマン)条約でフランスに占領され、安南(アンナン)保護国となる。 仏領インドシナでもフエには皇族(阮福族)が宮廷を構えており、日本など各国の領事館があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A8







●阮朝(グエンちょう)は、ベトナムの最後の王朝。1802年 - 1945年。西山(タイソン)朝に破れて滅亡した広南阮氏の生き残り、阮福暎(グエン・フク・アイン)が、西山朝を打倒して建国した。都はフエ。

1885年 - 旧暦5月23日、フエ陥落(「失守京都」)。阮朝の権威は完全に失墜。フランスが清仏戦争に勝利して天津条約締結。清がフランスの阮朝領土(越南国)保護領化を承認
天津条約により、阮朝領土(越南国)は三圻に分断され、それぞれフランスの植民地(南圻:直轄領、中圻:王ある保護領、北圻:王なき保護領)とされ、阮朝は安南(中圻)においてのみ名目上の王権を維持するフランスの傀儡となった。ただし、その権威は依然として南圻・北圻でも維持され、阮朝の年号も1945年まで越南三圻全域で継続して使用された。

1940年 - 日本軍の北部仏印進駐
1945年3月11日 - 日本軍の反仏クーデターで、保大帝が越南国を再興、ベトナム帝国としてフランスからの独立を宣言(但し、事実上は日本の傀儡政権)
1945年 - 八月革命で、ホー・チ・ミン(胡志明)がベトナム民主共和国の独立を宣言。保大帝ことグエン・フク・ティエン(阮福晪)は安南王(越南皇帝)を退位して一市民ヴィン・トゥイ(阮福永瑞)となり、ハノイ(河内)のベトナム民主共和国政府最高顧問に就任。これにより、阮朝は最終的な終焉を迎える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AE%E6%9C%9D





●バオ・ダイ

バオ・ダイ( 1913年10月22日 - 1997年7月30日)は、ベトナム阮朝第13代にして、ベトナム最後の皇帝。バオ・ダイは治世の元号である保大に由来し、保大帝とも称される。

治政:1913年10月22日に生まれ、当初は阮福晪(グエン・フク・ティエン)と名乗っていた。フランスで教育を受け、父親である啓定帝が崩御するまでフランスに住んでいた。1926年1月8日に皇帝に即位し、年号を保大としたが、すぐフランスへ戻り、しばらく留まった。バオ・ダイはその治世に、ベトナムの完全独立を許可するようフランスを説得し、改革のために委員会を確立した。1934年に、カトリック教徒で南ベトナム出身の南芳(ナム・フォン)と結婚。その後フランスからの独立を宣言し、第二次世界大戦中には日本に協力した。

退位後:1945年8月の日本敗戦時にバオ・ダイは退位し、これによって阮朝は幕を閉じることとなった。その直後ホー・チ・ミン(胡志明)によって新しい政府の「最高顧問」に任命されたが、公式の外交代表団の一員として訪中時に亡命、1946年には香港へ移った。1949年にはフランス人の支援で、ベトナム国元首としてベトナムに帰り、1954年のジュネーヴ会議によって正式にベトナム国元首となった。ゴ・ディン・ジエム(呉廷琰)を首相に指名したものの、後にこのことを悔やんでクーデターを起こしたが失敗、フランスに亡命する。彼はカンヌ付近で余生を送り、1997年7月30日にパリの陸軍病院で死去した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4






●バオ・ロン

バオ・ロン(漢字:保隆, 1936年1月4日 - )は、ベトナム阮朝最後の皇帝であったバオ・ダイ(保大)の長子であり元皇太子。現在は旧皇族であるグエン氏の当主である。1955年にバオ・ダイがベトナム国元首の地位を追われると父とともにフランスへわたり、現在まで滞在している。

1997年、バオ・ダイの死に伴い当主となった。ベトナム立憲君主制連盟のような政治団体は、カンボジアやタイのような立憲君主制によって、ベトナムにおける阮朝の統治を復活させようと活動しているが、バオ・ロンはそうした政治運動とは一線を画している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%B3








【私のコメント】
2月6日にベトナムで新幹線建設計画が発表された。首都ハノイと最大の都市であるホーチミンを結ぶ1630kmの路線であり、その費用の70%は日本からの政府開発援助(ODA)になるという。これは、地政学的には南シナ海の西岸に位置するベトナムを経済発展させるとともに親日地域にすることで、中国のみが先進国であるというかつての中華的世界観(パックス・シニカ)をアジアに復活させないという日本の決意が存在するように思われる。日本の新幹線システムが海外に輸出されるのは台湾が最初、次がベトナムであり、これは日本がアジアで中国の脅威を封じ込めるという戦略のために重視する国家の順位を示している様にも思われる。次にどの国、どの地域に新幹線システムが輸出されるかが注目される。

また、経済的には、米国や中国の国内混乱で世界経済が急速に縮小すると想像される時期に大規模な建設事業を実行することでアジアの景気を下支えし、新幹線システムの輸出で日本の鉄道業界を潤すという利益がある様に思われる。ベトナムにとっても、世界的不況の時期に内需を拡大できるメリットは大きいだろう。

新幹線建設と同時期にハノイの都市鉄道などにフランスが援助していることも注目される。日仏両国は台湾の新幹線建設でも協力しており、アジアの鉄道事業で両者が共に参加するという秘密紳士協定が存在するのかもしれない。これは、一国に完全に鉄道建設技術を握られ支配されるというベトナム側の不安を解消する効果も期待できる。

細長い国土で人口密度の高いベトナムは高速鉄道に適していると言える。しかし、最も輸送需要が多いと想像されるハノイとホーチミンの間の輸送時間は新幹線で10時間以下とされている。仮に平均時速200kmでも8時間9分、平均時速240kmでも6時間48分かかる。これでは、所要時間2時間の航空輸送に勝てるとは思えない。従って、新幹線の輸送対象は主にハノイとホーチミンの間の都市であると想像される。

もう一つ気になるのは、「最初にハノイからフエまで建設され、同時にホーチミン市からニャチャンまで建設される」という情報である。全路線の北半分と南1/4を最初に建設し、残りは後回しということのようだ。南側は1/4だけ建設なのに北側は半分建設するのは何故だろう?更に、ハノイからフエまで建設するのならば、フエのもう少し先のダナンまで建設する方が賢明な様にも思われる。フエはかつて阮朝の首都であった都市であり観光需要は多いと思われるが、中央直轄市のダナンとハノイの間のビジネス客の需要の方が大きいのではないだろうか?日本の東海道山陽新幹線に喩えると、東京駅と博多駅の間の全線のうちで東京~京都間と広島~博多間を先行建設するようなものである。なぜ中途半端な京都で止めて、大阪まで延ばさないのだろう?

恐らく、「ハノイからフエまで」の建設計画そのものに政治的意味合いがあるのではないかというのが私の想像である。つまり、ハノイからフエへの遷都計画、更には現在フランスに居住している元皇太子のバオ・ロンがベトナム国の元首として迎えられる王政復古計画が存在しており、それを国民に知らせる目的で「ハノイからフエまで」の建設計画が発表されたのではないかということである。

フエはベトナムの国土の中央部に位置している。仮に新幹線が平均時速200kmであれば、ハノイ・ホーチミンの二大都市への所要時間は4時間程度であり、航空機と十分競争可能である。このような場所に首都を置くことは国土の均衡ある発展という視点からは望ましいと言えるし、将来の石油の枯渇を考えると、石油を燃料とする航空輸送に依存せずに済む点でも優れている。中国国境から離れた位置に首都を移転させることはベトナムの国家安全保障にも有益だろう。

ただ、ベトナム中央部に首都を建設するならば、中央直轄市で良港であるダナンの方が経済合理性からは適している様に思われる。ダナンではなくフエに首都を建設することの意義は、やはり王政復古しか考えられない。フランスの保護下で1945年まで継続したベトナム阮朝が六十余年の歳月を隔てて復活するのではないだろうか?

国際金融資本の世界支配崩壊と共に、国際金融資本以前の社会秩序への復古とも思える動きが始まっている。ロシアのサンクトペテルブルグへの首都機能移転or遷都の動きはそれを代表するものである。その他、世界各国で国際金融資本により途絶えた君主政を懐古するムードが高まっている。中国でも最近、唐時代の皇帝をテーマにしたテレビドラマが大流行しているという

日本でも、天皇が京都に戻ることはあり得るかもしれない。現状で決して空の混雑が酷いわけではない関西地区で神戸空港に加えて関西空港第二滑走路が建設されたのは、天皇との面会を求める外交使節を迎えるためではないかとも考えられる。諸外国の首相・王・皇帝らを受け入れる為の拠点空港は、テロなどの攻撃の危険を考えると複数の滑走路を有していることが必要だろう。
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2007-02-13 10:06:42
天皇が京都へ帰るというよりも、徳川政権時代の日本が見直されるかもしれない。

あと、古代の日本(特に皇室)の全貌がある程度、明らかになるでしょうね。今年から徐々に陵墓の発掘が一部、認められるみたいだし。

邪馬台国は畿内でしょうね。卑弥呼が擁立された切欠になった倭国大乱があった2世紀後半の出来事が、古事記にある孝霊天皇の吉備平定だったり、卑弥呼が死んだ3世紀後半の出来事が、日本書紀にある崇神10年のことであることが明らかになるでしょうね。

http://yamatonokuni.seesaa.net/

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面白い記事がありました (面白い発想だが)
2007-02-13 20:12:40
毎日にちょっと面白い記事がありました。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/news/20070212ddm007030102000c.html

ベトナムダナンとミャンマーを結ぶ道路が建設されたとのこと。記事にもあるようにマラッカ海峡は海上交通のネックとなる場所なので、この海峡を迂回できるルートが現実味が帯びてきたとあります。
ミャンマー政権は中共と友好関係にあり、ベトナム側が重要になってきます。

将来、インドシナ半島横断鉄道の利権が絡みそうです。また、チベットの独立をにらむと、このベトナム雲南チベットのルートも重要そうです。
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