いきなりシャッター

写真素人の素人による素人のためのブログ

ちょっとした出来心

2012年01月30日 | CX2

ちょっとした出来心で、Vario-Elmarを入手した。

レンズ代程度でDMC-L10がついてくる感じの値付けだったから。

E-300/500につけたら手ぶれ補正効くかもしれない、と期待したが、

パナソニックのボディでないとどうも効かないようである。

KODAKセンサー+パナライカ手ブレ補正で完璧!との目論見は崩れ去ってしまった。

でも、L10も予想していたよりもかなり素性の良い絵を出す。

写真は、CX2で撮った、DMC-L10+Panasonic Leica D 14-50mm f3.8-5.6 MEGA O.I.S。


連邦の旧型は化け物か

2012年01月29日 | FinePix F200EXR

α200を手に入れた記事を書いた直後、

AFで合わせるとピントが被写体よりすこし後ろにズレること(いわゆる後ピン)を発見した。

標準ズームとかの暗いレンズだと被写界深度が深いので気づきにくいが、F値2以下等の明るい絞りだと被写界深度が浅く気づきやすい。

例えば目にピント合わせたのにそれより後ろの耳にピントがあっていたりする。

そのため初期不良で返品した。

結局、αはなかなか手元に残らない。

オリンパスのKODAKセンサー搭載機E-300(両メーカーともに最近いろいろ騒がしい)を手に入れた。

使ってみるとやはり良い色が出る。フジ、コダック等フィルム業者はやはり色がいいなぁ。

写真は、FinepixF200EXRで撮ったE-300+HEXANON AR 50mm f1.7。


帰ってきたα

2012年01月23日 | 手放したカメラ達

α-7Digitalを昨年春に入手し、秋に手放した。

α-7Digitalは、手放さないつもりだった。

はまった時の緑や水滴の輝き、透明感がとても特徴的で、他のカメラとは一線を画していたように思う。

しかし、機材整理の必要が出たため、泣く泣く手放した。さもなくばS2Proを手放すはめになりそうだったからだ。

人物撮影した色合いはS2Proが圧倒的に良いし、バッテリも単三4本なので、S2Proの方が運用性も上だ。

αレンズは、フィルムα-7,α-9用に、

MINOLTA AF24-85mm f3.5-4.5

MINOLTA AF35-80mm f4.0-5.6

MINOLTA AF35-70mm f4

MINOLTA AF100-300mm f4.5-5.6

MINOLTA AF50mm f1.7 NEW

SONY DT 30mm F2.8 Macro SAM

のみを残し、処分した。

しかし、ミノルタで一眼レフを始めたのがココロのどこかで忘れられず。。。

α7 digitalはちょっと重かった(S2Pro使用者のセリフではないが)ので、

軽快なα sweet digital 銀 の出物を10k以下の条件で探していた。

それがどうだろう。某K店頭で傷アリ品のα200が9.8kで出ていたので、飛びついてしまった。値付けミスだったらしい。

喜び勇んで我が子を試写してみるも、予想より多い高感度ノイズ&エッジノイズ。私の主観だとJPEGだとISO400でも厳しい。

仕方ないのでRAW撮り&付属ソフトでISO800を現像したところ、まあまあ見られる画質になった。

写真は、α200+SONY DT 30mm F2.8 Macro SAM で撮った次男坊。

以下、GRD2で撮ったタイ料理。28mmの撮り方がなんとなく解ってきた。


目を閉じるカメラ

2012年01月06日 | GRD2

目を閉じるカメラを手に入れた。

といっても、単にレンズ保護カバーの動作がシブいGR Digital 2を安値で手に入れただけのことである。

時々、電源投入時に保護カバーの開き具合が不足して、画像にケラレが生じる。

ちょいとカバーを爪で押してやると何もなかったかのように正常に開く。

それ以外は快調。

やはり、GX100よりも凝集感があり、仕上げも丁寧なので所有欲は満たされる。

写真は、GR Digital 2で撮った、御徒町のブタさん。

以下は、GX100で撮った、実家の庭先の雑草?におりる霜。


2011年、暮れ

2012年01月03日 | 手放したカメラ達

謹賀新年。

2011年はいろいろと考えさせられる年だった。

人の命や家族を守るということについて、(当時は扶養に入っていた身だったこともあり)阪神大震災の時にはまだ漠然としか感じていなかった。

家庭を持った東日本大震災では、家族の守り方について再考した。

7月には次男という新たな家族が増え、命を守ることに使命を感じた。

2011年の暮れは、関西の実家で、守るべき家族とともに過ごした。

幸いにも両親が健在で、実家で、二人慎ましく暮らしている。

実家には住んだことがなく土地勘もないが、親が子を迎える場所、子が親を思う場所、そこはまちがいなく「ふるさと」なのだろう。

両親がそう思ったかどうかは知らぬが、自分の子には、「ふるさと」をつくってやりたい。

写真は、実家の庭からGX100で撮った大晦日の夕暮れ。