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大宮の鉄道博物館へ、おやじひとり旅

2015-11-29 11:38:08 | 鉄道

大宮にある鉄道博物館に、平日のおひとり様旅でした。

前々から気になっていたので、徹夜明けの空いた日にレッツゴー博物館探検。

新宿から埼京線の快速で40分で大宮着、そこからニューシャトルに乗り換えて1駅です。

ニューシャトルはバスぐらいの大きさの車体を何両も連結していた。待ち時間が長くて都心の山手線に比べるまでもない。

入場券を買うのが難しくて、Suicaでも現金でも買えるのだが、わからなかったので改札わきの受付へ直行。たぶん簡単なのだろうが、知らない人にはまごつくやり方なのだ。これを「ひとりよがりのシステム」といわせてもらう。案内や表示の問題だろうから改良の余地あり!
 
 
歴代の御料車が数多く展示してある。
めづらしいもので、当時の豪華とはこんなものだった
 
 
私には、こちらの普通車両のほうが気持ちが入り込めてうれしかった。よく見ると、装飾が違うが車両そのものの作りはそっくりだ。
座席の背もたれまで木です。
しかも、暖房が達磨ストーブときては、、、実際にこれが使われていた路線には乗ったことがなかったが、むろん知って興味がありました。
天井の造作も大昔に乗った蒸気機関車の列車の記憶と同じです。
広島の芸備線で三次まで行き、木次線で宍道まで抜けたときに乗った列車がこんなだった。
蒸気機関車が引く客車は2両でその後ろに貨物が数両連結してあった。
山の中をぐるぐる回りながら高度を上げていって、ループのままトンネルに入り、あちらに抜ける。トンネルに入るたびに蒸気機関車のばい煙が窓から車内に入ってくるので、あわてて閉めます。短いトンネルが多くあって、窓を閉めたり開けたり忙しかった。
トンネルを出ると窓を全開して、子供ながらに嬉しくて嬉しくて窓から体を乗り出して景色を見ていました。前方を見ると蒸気機関車がゆっくりだけど力から強く列車を牽引して、後方を見ると貨物車が連なっていた。スイッチバックもあったなーーー。
親父が、私ら子供を連れて行ったのも、そんな列車がいずれ無くなると知っていたから、見せてやりたかったのだなーと、今頃わかったしだいです。
芸備線の準急行に「ちどり」と言うのがあって、私らの乗った鈍行列車を抜いていくのがかっこよかった。その当時は準急行「ちどり」も蒸気機関車が引いていた。蒸気機関車の加速が悪いと聞いていたが、意外に出足が良いなと思ったのがこの時の「ちどり」だった。「ちどり」はヒストリーでは急行と書いてあるが間違いだと思う。当時は蒸気機関車が牽引している準急行だった。
トンネルに入ると、真っ暗なトンネルの天井から水滴がたれていて、夏なのに涼しかったのが思い出されます。
 
 
手前の柵に達磨ストーブがあります。
日よけシェードも木製で重たかった。
窓のノッチの感じも懐かしいなー。窓の密閉性が悪く、閉めても冷たい風がヒューヒュー隙間から入ってきた。
網棚はまさに網そのもので、荷物を置くだけじゃなくて、混雑しているときに網の上に人が寝ていました。
網棚まで人が座っているし、寝ている人もいてぎゅうぎゅう詰めで満員なんて、今の日本では考えられない。発展途上国の列車はそれ以上で、屋根まで荷と人がいまだに満載で、さすがに芸備線の列車の屋根には人がいなかった。
芸備線の思い出は、網棚に人がいることと、客車の中に入ったら、混雑して出れなくなるということかなー。客車がいっぱいでトイレまでお客さんでいっぱいで、トイレのドアーが閉まらないので大勢の人の前でようをたしたこともあった。そうそう駅に着いたら、皆さん窓から出入りしていました。今思うとお行儀が悪いけど、通路が使えないくらい混雑しているのです。戦後間もないころの日本は交通機関が乏しかったのだ。田舎でも隣村へ行くにもぎゅうぎゅう詰めだった。
なつかし、幼少の広島の思い出です。
そうそう、私の母は原爆の目撃者ですからーーー。叔父や叔母たちも広島郊外の向原にいました。原爆(ぴかどんと呼んでいた)が落ちたらしいから、広島の市民を助けなきゃと長距離を歩いて広島に入った。原爆投下から数日後のことですが、それで原爆手帳は持っているが、なんの発病もなく今でも生きています。
 
 
こんな列車に乗ってどこかに行きたいなー。
大井川鉄道では懐かしの汽車の旅ができます。
昨年念願だった大井川鉄道のトーマス君に会いに行きました。その時の記事は下のURLです。
大井川鉄道の蒸気機関車が引いていた客車も、戦前戦中のものだった。
 
 
こちらは電車区間の客車のようで、前後に長シートがあり、つり革がありました。
それにしても、日本人の体形が小さかったのだろうシートがコンパクト。
 
 
入口にあった蒸気機関車の1号機。
 
 
実に小さな客車です。
遊園地の列車よりは天井が高いけど幅も長さもどっこいだー。
蒸気機関車は、さすがに重たそうです。
 
 
こちらは何となく西部劇に出てくる客車に似ています。
インデアンやアパッチ族に襲われる列車ですね。
インデアンが悪者に描かれていた60年代、50年代の映画に出てきました。
今では、インデアンは先住民族と認識されているので、悪者に描いたら人権派の人々から大ブーイングですね。
そうそう、アフリカで乗った列車がちょうどこんなものでした。
45年前のことです。
アフリカ奥地へ行く人が少なかっただろう。カメラ一つ持って突撃日本の青年だった。列車内は黒人ばかりで、太った黒人たちの間に挟まれて小さくなっていた。昼時になると車内には食べ物のにおいが充満して、べこべこになったアルミ製の弁当箱からみなさん食べていました。なんだかわからない肉を食べろと言われて若造の日本人は勇気を出して食べましたとさーーー。その時に撮った写真は雑誌社に持ち込んだら、いの一番でグラビアに掲載されました。
面白い経験でした。
若い者の特権で、怖いもの知らずで、今どこにいるかもわからずに放浪していました。地図を持っていなかったので現在地がわからなかったのです。
 
 
電気機関車の運転席はゆったり作ってある。
たぶんアナログな操縦なのだろう。
 
 
ムーミンのような機関車。
戦中戦後に一時期流線形の列車がはやったことがありました。
時速100km未満だったら、列車を流線形にするのは効果が少ないと、その後はすたりました。
 
 
子供たちが多くて、おじさんが見たいのに前にでて邪魔じゃないか~~~。
おじさん一人旅と子供連中と場所取りの戦いです。
子供には親という強力な味方がいるので、おやじひとりはどうしても弱い。
「君たちは先が長いのだから、この場はおじさんに譲らないか」といってもガキッチョには無駄だった。
 
お土産を買おうと売店に行っても動けないほどの混雑。
列車ケシゴム、鉄道鉛筆、蒸気機関車キーホルダー、機関車ぬいぐるみいろいろだ。
今日も仕事をしているスタッフにと、真っ黒な蒸気機関車せんべいをゲット。
 
 
まさか蒸気機関車のばい煙を固めたんじゃないだろうな。竹炭で黒いのか、うまそうじゃないかー!
 
 
先月行った東武博物館よりは大きいのは、JRか国がやっているのだから当然だ。
東武鉄道の博物館へ下のURLをクリック
 
鉄マニおやじ一人旅でした。
 
〒330-0852 埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47
 

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