ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

どうにもいけない

2017年05月20日 | 日記

 愚かにも月曜からの隔日に加え土曜も投稿、なんて思ったもののどうにもいけない。

 何度か利用したことがあるが、“ 一年前の記事をお届けします ” や、利用したことはまだないが “ お題に参加してみましょう! ” とか、goo 事務局があれやこれやと救いの手?を差し伸べてくれる。

 こんな仕掛けが用意されてるのはお困りの方も少なからず・・・、で、「だよなあ!」と変なとこで安心も。
 毎日更新される方からすれば笑止だろうが、結構、真剣に 「面白いことはないかな?」と考えたりもした。

 が、半径半里の徘徊老人の日常など、殊更、面白いこと、珍しいことが転がっている筈もない。
 てなことで、ここ暫く巨匠の名画を借りて紙面を繕っている、「その方がいいじゃない!」の声は別にして。

 そんな折、要らざることにも洗濯機が話題を提供してくれた、それこそどうにもいけなくなったようだ。

 今、NHKの朝のドラマで桑田佳祐さんの歌に乗って流れるタイトルバックが面白いと、以前、朝日紙のTV担当記者が書いていた。

 そこに出てるやつほど古くはないが、二十年以上も頑張ってくれていたのに、この春先からドラムが塩梅よく回転しなくなったみたく、ぎぃぎぃ~と骨が軋むような音を立て乍ら洗う姿?が痛々しい。

 古くから女やもめには花が咲くけど<男やもめ>にはなんとやら・・・と、揶揄される。
 ピカピカの暮しをしている、と胸張れるじゃないけれど、それなりに<小ぎれい>に、の自負はある。

 仕舞い仕度もあって物は買うまいと決めているが、掃除機とともに方便(たつき)の要が壊れたとなればどうにもいけない、僕(やつがれ)と一緒におさらば、「それまで頑張ってくれ!」との思いは届きそうにもない。

 そんな老人の日々、今日も、日はまた昇る、が、詰まらんブログに使うなと文豪の舌打ちが聞こえてきそう。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1314

コメント (2)
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