ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

母の愛

2017年08月15日 | 聖堂/教会/聖書

 キリスト教に関心も興味もない人でも、聖母マリアの名を知らない人は、まずいないと思う。
 しかし大方の人は、処女懐胎でイエスを産んだ女性、ほどのことしかご存じないのではとも思う。

 では、マリアはどのように生まれ、育ったのだろうか?
 古い伝承によれば、信心深いヨアキムとアンナの夫婦には子ができなかったので、毎年エルサレムの神殿へ参拝、子を授かるよう祈り、授かった子は必ず神に捧げることを誓ったとされる。

 巨匠ジョット(1267-1337/ゴチック)の 「<スクロベニー礼拝堂>」で少し触れたが、願いを聞き入れた神は、大天使ガブリエルをアンナの許に遣わし懐胎を告げ、同時にヨアキムにはそれを夢で知らせた。

 ところで、旧約聖書・出エジプト記(38章)に、神殿に住み祈りを通じて神を礼拝する “ 務をなす女たち ” の集団があったと記されている。

 さて、三歳になったマリアは、約束どおり母アンナに連れられ神殿に上がり、織子として聖書と祈りの生活を送ったのである。
 教会はこの日(11/21)を 「マリアの奉献」の記念日として祝う。

 当時、女性の結婚適齢期は十五歳から十八歳とされていた。
 十四歳になって神殿を離れたマリア、母から書物を学んだり針仕事を教えて貰ったりしながら、<許婚のヨセフ>に嫁ぐ日を待っていたのである。

 今日(8/15)は、マリアが栄光につつまれて天国へ上げられたことをお祝いする 「<聖母マリア被昇天>」の大祭日、母アンナの慈しみと愛を思い、祈りを捧げるのも聖心(みこころ)に叶うことかも知れない。

 ロココ期のフランス人画家シャルル=アントワーヌ・コワペル(1694-1752)の 「マリアへの訓え」(1735-37年/93×73cm/ケンタッキー州スピード美術館蔵)、祈りの日の一枚。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1360

コメント (2)
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