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著書『誇りに思う日本人たち』
『ビッグショッツ』
『黒い火』ほか

7月8日・フレデリック・パールズの心

2017-07-08 | 科学
7月8日は、実業家ジョン・D・ロックフェラーが生まれた日(1839年)だが、精神分析医フレデリック・パールズの誕生日でもある。ゲシュタルト療法の開発者である。

フリッツ・パールズことフレデリック・サロモン・パールズは、1893年、ドイツのベルリンで生まれた。ユダヤ系で、両親は彼に法律家になることを期待したが、フリッツは医学を学んだ。
彼が21歳のときに第一次世界大戦がはじまると、彼は学業を中断して、ドイツ軍兵士として従軍し、前線で戦った。そしてドイツが敗戦すると、25歳の彼はベルリン大学へもどり、医学を修め直した。医学博士の資格をとり、脳外科医として働きだしたパールズの興味は、しだいに精神分析のほうへと向かった。彼は34歳のとき、ウィーンへ行き、ウィルヘルム・ライヒのもとで本格的に精神分析を学びだした。
37歳のとき、ローレ・ポスナー(後のローラ・パールズ)と結婚。しかし、パールズが40歳のとき、ドイツではヒトラーが政権を掌握し、ユダヤ人迫害が強まった。
パールズ一家はドイツを逃げだし、ネーデルランド(オランダ)をへて南アフリカへ移り、現地で精神分析の研究施設を設立した。
第二次大戦中の49歳のとき、彼は南アフリカ軍の精神分析医になった。彼は南ア軍の軍医として4年間勤務したが、このころ、彼は「全体性、統一」という概念について考えを深めたと言われる。
第二次大戦後は、米国へ移り、58歳のとき『ゲシュタルト療法』を発表した。
パールズ夫妻は、ニューヨークでゲシュタルトの研究やセッションをおこなっていたが、67歳のとき、パールズは西海岸ロサンゼルスへ移り、70歳のころからはカリフォルニア州ビッグ・サーにあるエサレン研究所でゲシュタルト療法のセラピーや研究を続けた。
69歳のときに来日し、京都の大徳寺にふた月逗留して座禅を組んだりした後、1970年3月、すい臓ガンのため、ニューヨークで没した。76歳だった。

ゲシュタルトのワークショップに以前参加した。そこで、
「そこの松の木になってみて、どう感じますか」とか、
「あなたの心臓は、あなたになんと言っていますか」
とかいう禅問答みたいな自問自答をした。
「ゲシュタルト(Gestalt)」はドイツ語で「かたち、形象」という意味で、つまり「全体性をもった形態」。パールズのゲシュタルト療法は、ばらばらになっている自己の全体性を回復することで、その人の精神面の問題を解決していこうとする心理カウンセリング方法である。気づきによる回復を目指すゲシュタルト療法では、「今、ここで」ということをとても重要視する。いま、ここで、自分が統一した存在となる体験が大切なのである。

パールズがセッションの際に参加者みんなで唱えさせた「ゲシュタルトの祈り」というのはこうである。
「私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。」
(2017年7月8日)




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