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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月23日・マーガレット・フラーの先進

2017-05-23 | 歴史と人生
5月23日は、世界で初めて空を富んだ男リリエンタールが生まれた日(1848年)だが、米国の女性運動の先駆、マーガレット・フラーの誕生日でもある。米国初の女性編集者である。

サラ・マーガレット・フラーは、1810年、マサチューセッツ州ケンブリッジポートで生まれた。父親は後に国会議員になった人で、彼は最初の子どもとして女のサラが生まれると、男の子のようにきびしく教育した。父親は娘に、女性向けの礼儀作法の本や小説を禁じ、歴史や自然を教えた。彼女が5歳のころから英語とラテン語が日課になり、さらにギリシャ語、古代ローマの歴史と必修科目は増えていった。父親の厳格な教育のストレスで、小さかった彼女は悪夢にうなされ、眠ったまま歩きまわったという。
9歳のころから、彼女は学校へ通ったが、16歳のときには、学校をやめて、家で語学や外国文学を独学しだした。そのころから彼女は、自分はふつうの女性らしい女性としては生まれてこなかった、同年代の同性たちとは気が合わないと感じていた。
26歳のころから、ブロンソン・オルコットが開いた私学などで教師をした後、30歳のときに、ラルフ・エマーソンたちトランセンダリスト(超越主義者)の雑誌「ダイヤル」の編集者となった。「ダイヤル」誌に彼女が連載していた「大訴訟──男・対・女」は、35歳のときに単行本化され、『一九世紀の女性』として出版された。
この書は、米国で出版された最初のフェミニズムの書である。
「ダイヤル」誌編集部に4年ほどいた後、彼女はニューヨークへ出て、34歳のとき「ニューヨーク・トリビューン」紙の編集者になった。彼女は文芸批評を担当し、米国の書籍のほか、外国の書籍、コンサート、講演、展覧会などのレビューを書いた。
36歳のとき、フラーは、トリビューン社史上初の女性海外特派員として、ヨーロッパに派遣された。彼女は、トーマス・カーライルや、ジョルジュ・サンドらにインタビューし、イタリアの革命家と恋に落ち、38歳のとき、男の子を産んだ。
彼らは、ローマ共和国の樹立を目指すジュゼッペ・マッツィーニの革命を支援していたが、革命運動が頓挫したため、二人は米国へ避難することにした。
フラーは夫と幼い息子とともに、1950年5月に、船に乗った。それは、イタリアから米国へ大理石を運ぶ船で、乗船したフラーは、書き上げた自信作『ローマ共和国』の原稿をたずさえていた。これを出してくれる出版社を、米国でさがすつもりだった。
航海の途中で船長が天然痘で死亡するというアクシデントが起き、船長に代わって一等航海士が指揮をとった。が、その航海の終わりごろ、ニューヨークの沖合にいたって、船が座礁してしまった。ニューヨークのロング・アイランドの大西洋側にファイヤー・アイランドという細長い土地があるが、そのファイヤー・アイランドから百メートルも行かない、目と鼻の先で起きた海難事故だった。
乗客や乗組員の一部の者たちは、船を捨てて飛び込み、泳いで岸にたどりついたが、幼子連れの彼女ら家族は船に残っていた。そこへ大波が襲い、彼女ら三人の姿は船上から消えた。1850年6月、フラーが40歳のときのことだった。
『ウォールデン』の著者ヘンリー・ソローは、ニューヨークへフラーの遺体をさがしにきた。息子の遺体は発見したが、夫妻の遺体と原稿はついに見つからなかった。

マーガレット・フラーは言っている。
「女性にどんな仕事ができるのかと問われたなら、わたしは答えます、なんでもと……船の船長だってできる。女性がその仕事を立派にこなすことに疑いをいれません」
(2017年5月23日)



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