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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月6日・フロイトの転回

2017-05-06 | 科学
5月6日は、語呂合わせで「ゴムの日」。「市民ケーン」を撮った映画監督オーソン・ウェルズが生まれた日だが(1915年)、精神分析学者フロイトの誕生日でもある。

ジークムント・フロイトは、1856年、当時オーストリアだった、現在のチェコのプリボールで生まれた。両親はともにユダヤ系で、父親は毛織物商。ジークムントは、8人きょうだいのいちばん上だったが、厳密にはさらに上に年の離れた異母兄が2人いた。ジークムントを産んだとき、母親は街ですれちがった見知らぬ老婦人にこう言われたという。
「あなたはこの世に偉大な人物をもたらされた」
不景気と暴動のしわ寄せで、ユダヤ人迫害がひどくなったため、フロイト一家は、ジークムントが3歳のときライプチヒへ移り、4歳のときにウィーンへ引っ越した。
ジークムントは成績優秀な生徒で、通常より1年早く、9歳で高等学校(ギムナジウム)に合格し、学校でも首席を続けた。
17歳でウィーン大学の医学部へ入学したフロイトは、ウナギやザリガニの組織研究、ジョン・スチュアート・ミルの全集の翻訳などをし、24歳で大学を卒業した。
卒業後、総合病院に勤務したフロイトは、28歳のとき、コカインに麻酔作用があることを発見。29歳のとき、仏パリの総合病院へ留学した。
翌年、帰ってきたフロイトは、ウィーンで開業医となった。神経科が専門のフロイトのもとへやってくる患者は、ほとんどがノイローゼの患者だった。当時の電気や冷水による療法に効果がないと知ったフロイトは、催眠術による療法を試し、次に、患者に思いつくことを並べていってもらう自由連想による療法を試した。当時、ヒステリーは仮病か、または子宮が原因の女性の病気で、男はかからないと考えられていた。これに対し、フロイトは臨床経験を積み、ヒステリーの原因となったきっかけを患者が思いだし、そのときの感情をことばで表現すると、ヒステリー症状が解消されることを発見し、彼は自分の方法を「精神分析」と名付けた。
1899年、43歳のとき、『夢判断』を出版。これは、それまで意味などないと考えられていた睡眠中の夢を、分析、解釈することによって、その人の精神のなかで起きていることを推察することができるとした画期的な書物だった。
50歳のころ、ユングとの交流がはじまった。が、58歳のころ、二人はたもとを分かった。
61歳のとき、『精神分析学入門』を出版。
1938年、82歳のとき、ナチス・ドイツ軍がオーストリアに進駐し、ユダヤ人のフロイトは英国ロンドンへ亡命した。そしてガンのため、翌1939年9月に没した。83歳だった。

フロイトは、コペルニクス、ダーウィンと並び、人類の科学常識を根本からくつがえした巨人のひとりである。フロイトの『夢判断』は若いころに読んだ。とてもおもしろかった。フロイトは文章がうまい。
フロイトの学説は、発表当時、ごうごうとした非難を浴び、無視されたが、彼は孤独のなかで臨床例を積み重ね、考えを発展させて、それまで人類が目をそむけていた無意識の領域を、人類の前に広げて見せた。無意識、夢の解釈、エディプスコンプレックス、口唇期、肛門期など、フロイトが開いた道は多岐にわたる。
周囲の雑音にまどわされずに、自分の目に見える真実だけを追い、ぶれなかったその背骨がすごい。偉大な人生とは、つらくきびしいものだと、あらためて考えさせられる。
(2017年5月6日)


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