1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2月3日・ガートルード・スタインの凝視

2017-02-03 | 芸術
2月3日は、哲学者シモーヌ・ヴェイユが生まれた日(1909年)だが、作家ガートルード・スタインの誕生日でもある。

ガートルード・スタインは、1874年、米国ペンシルヴァニア州のアレゲニーで生まれた。
「スタイン」の名前から察せられる通り、ユダヤ系で、父親は羊毛を扱う商人で、鉄道会社に投資して潤沢な資産を築いていた。ガートルードは、7人きょうだいの末っ子で、当初5人きょうだいだったのが、上の2人が死んだため、急遽もうけられた下の2人のひとりが彼女だった。
長男のマイクが資産運用にたけた人物で、彼らきょうだいはその運用利益で、なに不自由なく暮らしていける身分だった。妹のガートルードは医学学校で勉強していたが、途中で退学。すぐ上の兄レオが住んでいたパリへ引っ越していった。これが1903年、29歳のとき。
レオとスタインのスタイン兄妹は、サロンを開き、そこには大勢の芸術家たちが集まった。画家のマチス、ピカソ、ブラック、詩人のアポリネールなども出入りしていた。
「20世紀でもっとも重要な肖像画」と言われるピカソの「ガートルード・スタインの肖像」が描かれたのはこのころである。
ガートルード・スタインは新進画家たちの絵画を収集するとともに、彼ら現代芸術家たちを擁護する論陣を張り、「これが芸術家か」と反発の強かった一般の人たちに、しだいに新しい20世紀芸術を受け入れ、認めさせる啓蒙家的な役割を果たした。
スタインが買い集めた絵画は、しだいに値が上がり、ついにスタインも手が届かないくらいに高価になった。
執筆活動も旺盛で、著作に小説『三人の女』、評伝『アリス・B・トクラスの自伝』『みんなの自伝』などがある。
第二次大戦中は、占領されたフランス国内にいたが、かろうじて迫害をまぬがれた。
1946年7月、胃ガンのため、ヌイイ=シュル=セーヌで没した。72歳だった。

ヘミングェイの処女小説『日はまた昇る』の扉にエピグラフとして、スタインのこんなことばか引用してある。
「あなたがたはみなうしなわれた世代の人たちです。(You are all a lost generation.)」
パリに住んでいたころ、作家の卵だったヘミングウェイに作文の指導をしたのは、スタインだった。スタインはヘミングウェイにこう教えた。
「もっと簡潔に。もっと筋の展開を早く」
「ヘミングウェイ、意見は文学ではない」
彼女の指導のおかげで、ヘミングウェイは、あのきびきびとしたハードボイルドと呼ばれる文体を作りだした。その影響はハメット、チャンドラーへと受け継がれてゆく。

ピカソの「ガートルード・スタインの肖像」のスタインが、じっと、にらんでいるのは何か? それは「美」だろう。19世紀までは、芸術家が美の女神に祈りを捧げ、一心不乱に作品に打ち込めば、おのずとそこに「美」が生まれた。しかし、20世紀に入るとそうはいかなくなった。芸術家は、まず創作する前に「美」をじっとにらみすえ、悩まなくてはならなくなった。これが「ガートルード・スタインの肖像」が重要であるゆえんだ。
(2017年2月3日)



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