1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月25日・グレン・グールドの傲慢

2016-09-25 | 音楽
9月25日は、ノーベル賞作家、ウィリアム・フォークナーが生まれた日(1897年)だが、天才ピアニスト、グレン・グールドの誕生日でもある。

グレン・ハーバート・グールドは、1932年、カナダのトロントで生まれた。父親は毛皮商で、母親は声楽の教師でピアノを弾いた。母親は「ペール・ギュント」を書いた作曲家グリーグの遠縁にあたり、グレンを妊娠中、いつもピアノを弾き、生まれてくる赤ちゃんがピアニストになることを願っていた。生まれたグレンは幼いときから手が敏感で、群れるのを嫌い孤立を好んだ。彼は左利きだった。
5歳になったとき、グレンは母親に向かってこう宣言した。
「ぼく、コンサート・ピアニストになるんだ」(オットー・フリードリック著、宮澤淳一訳『グレン・グールドの生涯』青土社)
7歳でトロント王立音楽院に合格したグレンは、12歳のとき、トロントでのピアノ演奏コンテストで優勝。13歳でトロント交響楽団と共演しピアニストとしてデビュー。14歳で王立音楽院を最年少、最優秀の成績で卒業。
15歳の年に初リサイタルをおこない、以後、コンサート活動を精力的に続けた。
24歳のとき、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」でレコードデビューし、ヒットチャートの1位を獲得。グレン・グールドの新しい解釈によるバッハは、世界に衝撃を与えた。
個性的、独断的な解釈による演奏と、アイドル的にルックスによって、グールドの人気は沸騰した。彼は、冷戦時代の東西を股にかけて世界中で演奏会を開いたが、1964年3月、31歳のときのシカゴでの演奏を最後にコンサート活動から引退し、それ以後はレコード録音と、ラジオ、テレビのための演奏のみをおこなった。
1982年10月、脳卒中のため入院していたトロントの病院で没した。50歳だった。

バッハのピアノ作品は、以前は禁欲的で重厚な解釈で演奏されていた。それをグールドはデビュー盤「ゴルトベルク変奏曲」で従来とはがらりとちがう、軽快で躍動感あふれるバッハを弾いて見せ、世界をあっと言わせた。

グールドのピアノ演奏の10枚組CDセットを、一時期ずっと聴いていた。バッハの「ゴルトベルク」のほか、ベートーヴェンやシェーンベルクも入っている。カラヤンやバーンスタインといっしょに演奏したのもある。
演奏はどれもよく、もちろん「ゴルトベルク」もよいのだけれど、悲しいかな、ほかのピアニストの「ゴルトベルク」を聴いたことがないので、グールドのどこが斬新なのかわからず、いいなあ、で聴き流してしまうのだった。ブタに真珠、かもしれない。

グールドは、作曲者の指示したテンポを変えて弾き、楽譜の記号をしばしば無視、または変更して弾いたそうだ。オーケストラといっしょに演奏する際、演奏前にわざわざ指揮者のバーンスタインがマイクを握って、
「わたしはこのテンポは正しくないと思うけれど、今日はピアニストの主張するテンポでやります」
とわざわざ観客にことわってから演奏をはじめたこともあった。同じピアニストのホロヴィッツにすこし分けてあげたいような、みごとな強気である。
(2016年9月25日)


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