1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月4日・ブルックナーの交響曲

2016-09-04 | 音楽
9月4日は、語呂合わせから「くしの日」だが、作曲家のブルックナーの誕生日でもある。

ヨーゼフ・アントン・ブルックナーは、1824年、オーストリアのアンスフェルデンで生まれた。農家と職人の家系で、祖父、父親ともに学校校長を務め、地域では尊敬された家柄だった。父親は息子ヨーゼフにオルガン演奏を教え、ヨーゼフは10歳のころには教会で父親にかわってオルガンを演奏するほどになっていた。
16歳のころからヨーゼフはリンツの教員養成所に通いだし、小学校の補助教員免許を取得。ヴィントハーク村の補助教員となった。
学校の授業をかたわら、教会でオルガンを弾きながら、ブルックナーは、フーガの技法や和声法、対位法、管弦楽法などを勉強した。
リヒャルト・ワーグナーやベートーヴェンに影響を受けたブルックナーは、44歳のとき、ウィーン国立音楽院の教授となった。
以後、彼は大学で教鞭をとりつつ、交響曲の作曲をはじめ、長大な交響曲を量産した。
1896年10月、ブルックナーはウィーンで没した。72歳だった。彼は死と死体に特殊な関心を寄せていて、遺言には遺体に防腐処理をほどこすよう指示があった。彼の遺体は、サンクトフローリアンの修道院の、彼が愛したオルガンの下の地下室に安置された。
ブルックナーが心を寄せた女性は多くいて、女性にたびたび求婚したらしいが、生涯結婚することはなく、独身を通した。

学生時代、同じ下宿にクラシック好きの学生がいて、大のブルックナーファンで、よくブルックナーの交響曲のレコードを大きな音でかけ、こう言っていた。
「音楽なら、もちろんブルックナーや」

交響曲第4番「ロマンティック」など、ブルックナーをときどき聴く。門外漢の意見だが、管楽器を派手に使った、大きな交響曲を書いた人である。ベートーヴェンやワーグナーの遺産を受け継いだドイツ・オーストリアの正統的な音楽的発展、それがブルックナーだろう。だから大阪の彼は言ったのだ。
「音楽なら、もちろんブルックナーや」
(2016年9月4日)


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