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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2月21日・ジバンシィと友情

2014-02-21 | ビジネス
2月21日は、南インドにあるコミュニティー「オーロヴィル」の創設者ミラ・アルファサが生まれた日(1878年)だが、ファッションデザイナー、ジバンシィの誕生日でもある。
自分は、ジバンシィのライターをもっている。毎朝、起きて顔を洗うと、ご先祖さまや、亡くなった友人や先輩など、鬼籍に入ったゆかりある人々の霊にお線香をあげる。20秒くらいしか拝まないけれど、そのとき、ジバンシィでお線香に火をつける。百円ライターでつけるよりなんとなく気分がよく、故人も気分がいいかもしれないと思うからだ。

ユベール・ド・ジバンシィは、1927年、仏国、パリの北にある町、ボヴェで生まれた。ジバンシィ家は、イタリア貴族を先祖にもつ侯爵家で、ユベールはその次男として生まれた。ユベールが3歳のとき、父親がインフルエンザで没し、彼は兄や母親とともに母方の祖母のもとで暮らした。母方の祖父は、タペストリーをデザイン、製造する工房の経営者だった。侯爵の爵位は後に兄が継いだ。
ユベールは10歳のとき、パリで開催された万国博覧会を見て、ファッション・デザインの世界で生きることを決意。パリの美術学校をへて、18歳のころからファッション・デザイナー、ジャック・ファットのもとで商業デザインをはじめた。
25歳のとき、独立。自分の会社を興して、コレクションを発表した。ジバンシィのデザインはエレガントではあったが、当時の主流派だったディオールの保守的なデザインとは対照的に、斬新で個性的だった。シャツ素材で、開襟、ワッフル袖のベッティーナ・ブラウスを作り、世界のファッション界をあっと言わせた。経済的な理由から、初期のジバンシィの服は、コットンなど比較的安価な素材で作られていたが、デザインの先進性がそれを補って余りあった。
26歳のとき、ハリウッド映画「麗しのサブリナ」の衣裳を担当した。二つ年下の主演女優オードリー・ヘップバーンは、その映画の後「おしゃれ泥棒」「シャレード」「ティファニーで朝食を」などでもジバンシィを着た。
ジバンシィはその後、ウエストもヒップもない「自由なライン」のシュミーズドレスを発表して話題を集め、香水、紳士服、装身具などにも進出した後、1995年、68歳のとき、後任デザイナーを指名して引退した。

ジバンシィが映画「麗しのサブリナ」の衣裳を引き受けたとき、彼は主演女優を、名女優のキャサリン・ヘップバーンだと勘違いしていたらしい。主演がオードリーだとわかると、ジバンシィは落胆し、断ろうとした。しかし、以前からジバンシィのデザインを気に入っていたヘップバーンにほだされ、結局彼は衣裳を作った。その後、ジバンシィとヘップバーンの友情は終生続いた。

オードリー・ヘプバーンは亡くなる前、米国ロサンゼルスで悪性腫瘍の治療を受けていた。1992年の暮れになると、周囲の者はヘップバーンをスイスの自宅で最期のときを迎えさせたいと考え、本人もそれを希望した。ロサンゼルスの滞在先には「ローマの休日」で共演したグレゴリー・ペックも付き添っていた。
衰弱したヘップバーンを、空港の人ごみに連れだすことがはばかられたが、このときジバンシィがジェット機を手配した。彼は資産家の友人に連絡をとり、プライベート・ジェット機をチャーター。それで、ヘップバーンは人ごみを避けてこっそりと、花がいっぱいに飾られたジェット機に乗り込み、スイスへ飛ぶことができた。そうして、年が明けた1993年の1月にスイスの自宅で亡くなった。
自分は、ペックやジバンシィがずっとヘップバーンのよき友人でいつづけた話がとても好きだ。
(2014年2月21日)


●おすすめの電子書籍!

『オーロビンドとマザー』(金原義明)
インドの神秘思想家オーロビンド・ゴーシュと、「マザー」ことミラ・アルファサの思想と生涯を紹介。オーロビンドはヨガと思索を通じて、生の意味を追求した人物。その同志であるマザーは、南インドに世界都市のコミュニティー「オーロヴィル」を創設した女性である。われわれ人間の「生きる意味」とは? その答えがここに。

『オーロヴィル』(金原義明)
南インドの巨大コミュニティー「オーロヴィル」の全貌を紹介する探訪ドキュメント。オーロヴィルとは、いったいどんなところで、そこはどんな仕組みで動き、どんな人たちが、どんな様子で暮らしているのか? 現地滞在記。あるいはパスポート紛失記。南インドの太陽がまぶしい、死と再生の物語。

http://www.meikyosha.com

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