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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月7日・白洲正子の真価

2014-01-07 | 個性と生き方
1月7日・白洲正子の真価

1月7日は七種粥(ななくさがゆ)。なずな(ぺんぺん草)、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)など春の七種をおかゆに入れて食べれば、万病が防げるというおまじないの日。この日は『橋のない川』を書いた住井すゑ(すえ)が生まれた日(1902年)だが、随筆家の白洲正子の誕生日でもある。
白洲正子といえば、白洲次郎の夫人として有名だけれど、自分は白洲次郎より、正子のほうを先に知った。自分は評論家の小林秀雄のファンなので、彼のことをいろいろ調べていて、彼と交友のあった彼女を知ったのだった。

樺山正子は1910年、東京で生まれた。祖父は元薩摩藩士で海軍大将、伯爵になった人物。父親は鉄鋼会社や銀行の役員で、後に貴族院議員になった。正子は次女だった。
4歳のころから能を習っていたという正子は、14歳で米国留学。18歳のとき帰国した。
19歳のとき、白洲次郎と結婚。白洲正子となった。夫、白洲次郎は、戦後日本の復興の道筋をつけた首相、吉田茂の懐刀で、占領軍GHQの幹部と対等に議論して一歩も引かなかったと言われる伝説の人物である。
白洲正子は、官界・財界の大物である夫の家庭を守る妻におさまることを潔しとせず、自分で骨董屋をはじめたり、随筆を書いたりした。青山二郎や小林秀雄、梅原龍三郎などの文化人との親交もあつく、随筆でいくつかの文学賞を受賞した。
1998年12月、肺炎のため、入院していた東京の病院で没した。88歳だった。

白洲正子は、伯爵家の令嬢という上流階級の女性だけれど、薩摩藩士の血をひいているせいか、たおかやかな深窓の令嬢ではおよそない、活発なモダンガールだったらしい。夫・次郎との若いころの写真を見ると、まるで「グレート・ギャッツビー」そのままの優雅さである。

白洲正子が骨董に入れ込んでいたころ、骨董品を前にして小林秀雄が、
「値段をつけてみろ」
と試験していじめたり、
彼女がついに骨董屋の店を構えたとき、やはり小林が店の品ぞろえを見て、
「特色のない店だな。やめちまえ」
と言ったらしいことを知って、はじめて自分は白洲正子に一目おくようになった。

小林秀雄という人は、男相手だと、飲んでからんで、相手が泣きだすまで責めつづけるというたちの悪いからみ酒だったらしいが、女相手だと急にやさしくなり、男性陣対女性陣の議論になると、かならず女性の側につくフェミニストでもあった。
その小林が、女性相手に真剣にものを言うというのは、骨董という彼の得意ジャンルに白洲正子が趣味以上に踏みこんできたからでもあろうが、小林が彼女をひとりの人間として認め、対等にものを言ったということのあかしだとも思う。
おそらく、小林秀雄のフェミニズムは、若いときに友人の中原中也から奪い取った長谷川泰子と同棲した挙げ句ついに逃げだした経験から、女性にはこりごりで、怖いからなるたけ女性とは距離をおき立ち入らないでおこうという構えだったような気がする。
小林秀雄の娘は、白洲正子の息子と結婚した。

白洲正子は、娘時代も晩年も、生涯ずっとかっこよかった女性である。それは、生まれや育ちがよいおかげでもあったが、本人に中身があったことが大きいと思う。
(2014年1月7日)



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