1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月3日・手塚治虫の傑作

2013-11-03 | マンガ
11月3日は「文化の日」。この日は、「ゴルゴ13」のマンガ家、さいとうたかをが生まれた日(1936年)だが、日本のアニメとマンガの父である手塚治虫の誕生日でもある。
自分は、小さいころから手塚治虫のマンガにはずいぶんお世話になった。自分が物心ついたときには、すでに漫画界の神さま的存在だったけれど、現役でバリバリ描いていた。手塚治虫の新作を出たばかりの雑誌で読んだというのは、いま考えると、ものすごく幸福な時代を生きていたのだなあ、という感慨にとらわれる。

手塚治虫は、1928年に、大阪の豊中で生まれた。本名は、手塚治。父親は金属会社のサラリーマンだった。
小学生のころからマンガを描きはじめた治は、子ども時代から「手塚治虫」のペンネームを使いだした。戦争中もマンガを描いていたという手塚は、敗戦の年、16歳で大阪帝国大学付属の医学専門部に入学し、医師への道を進んだ。しかし、マンガを描くことも続け、新聞社へ投稿したマンガできっかけをつかみ、学生をしながら、新聞に連載マンガを描くようになり、18歳のとき、描き下ろしマンガ「新宝島」を出版。これが大ベストセラーとなり、書き下ろしマンガ単行本を量産しだした。このころの作品に「ロストワールド」「メトロポリス」「来るべき世界」がある。
21歳のとき、雑誌に「ジャングル大帝」の連載を開始し、これを皮切りに「アトム大使」(後の「鉄腕アトム」)「リボンの騎士」「火の鳥」などの雑誌連載をはじめた。
以後、「どろろ」 「ブラック・ジャック」 「三つ目がとおる」「アドルフに告ぐ」など、日本のマンガ界の第一人者として活躍した。
売れっ子のマンガ家だった手塚が、その原稿料をすべて注ぎ込む勢いで作りつづけたのがアニメーション作品で、彼は「ある街角の物語」「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「クレオパトラ」そして、55歳のとき、短編の傑作「ジャンピング」を発表した。
1989年2月、胃ガンのため、東京の病院で没した。60歳だった。

手塚治虫は、とてつもなく巨大な存在で、いまさら自分があれこれ説明するまでもないし、短いことばでは説明しおおせるものでもないが、あえて簡潔にまとめるならば、
「ストーリーマンガというものの可能性を、可能なかぎり追求して広げ、マンガを文学や映画と同等のレベルまで引き上げるという奇跡をやって見せた人」
ということになると思う。この偉業をなし遂げた人は、世界で彼ひとりである。

手塚はキャリアが長く作品も膨大にあるため、老いも若きも、みんななにかしらを知っている。自分はあるとき思い立って、いろいろな人に、
「手塚治虫で、なにが最高傑作だと思うか?」
と尋ねてみたが、みんなそれぞれ「鉄腕アトム」「ブッダ」「ブラック・ジャック」「火の鳥」と、人によって挙げる作品がちがうのに驚いた。案外、このバリエーションの豊かさこそが、手塚治虫なのかもしれないと思った。

手塚治虫と実際にマンガ原稿のやりとりをした編集者に、手塚作品で一冊をすすめるなら、と尋ねてみたことがある。彼は即答した。
「ロック冒険記」
自分はなるほど、と思い当たるところがあった。三島由紀夫が『憂国』を指して、自分のエッセンスが詰まった作品だと言ったように、手塚治虫のエッセンスが詰まった作品かもしれない。
手塚治虫には駄作がなく、どれもいいと自分は思うけれど、強いておすすめの作品を挙げろと言われれば、やはり「ロック冒険記」、それから「ジャングル大帝」「陽だまりの樹」を挙げたい。未完になった「グリンゴ」も、自分は米国史を研究する者として注目して読んでいた。とても残念である。
(2013年11月3日)



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『11月生まれについて』(ぱぴろう)
手塚治虫、泉鏡花、野口英世、ハーシェル、ヴェーゲナー、マーガレット・ミッチェル、マルティン・ルター、カーネギー、ブルース・リーなど、11月誕生の30人の人物評論。人気ブログの元となった、より深く詳しいオリジナル原稿版。11月生まれの人生の秘密がいま明らかに。シリーズ完結。シリーズ全巻目次、索引付き。

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