1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

12/28・コンピュータの父ノイマン

2012-12-28 | 科学
12月28日は、「コンヒュータの父」ジョン・フォン・ノイマンの誕生日。コンピュータにうとい、自分のような人間には「なんのことやら」だが、「ノイマン型」「非ノイマン型」というときの、あのノイマンである。
ジョン・フォン・ノイマンは、1903年12月28日にハンガリーのブダペストに生まれた。父親はユダヤ系ドイツ人の弁護士だった

ノイマンのもともとのハンガリー名は、ノイマン・ヤーノシュといったそうで、後に父親が、地方貴族の位をお金で買って、「フォン」という称号を付けて呼ばれるようになり「フォン・ノイマン・ヤーノシュ」となった。
それをドイツ語名で呼んで「ヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン」となり、後に米国へ移って英語名で「ジョン・フォン・ノイマン」ということになったらしい。

ノイマンはいわゆる神童で、6歳のころからラテン語と古代ギリシア語がすらすらできたという。
体育はまったくだめだったそうだが、それ以外の学科はすべて、並外れてできた。
理科系も強かったし、文科系も強かった。
要するになんでもできる頭脳の持ち主だった。
数学があまりにできるので、学校の数学ではもったいない(ノイマンにとって、もったいない)と、専門の家庭教師をつけて数学の勉強をしたという。
1930年ごろ、ドイツでナチス党が躍進し、ユダヤ人への迫害が強まり、ヨーロッパに暗雲がたちこめると、ノイマンの一家は米国へ移住した。

ノイマンはプリンストン大学の研究所員として迎えられ、あの相対性理論のアインシュタインの同僚となった。
ノイマンは、数学では、ゲームの理論に貢献し、ゲーデルとは別の第二不完全性定理を発見した。
物理学では、量子力学の数学的基礎付けに寄与した。
そして、計算機科学では、現代のほとんどのコンピュータの動作原理である「ノイマン型コンピュータ」という方式を考案した。

自分はコンピュータにはずぶの素人なので、くわしい方は眉をひそめるかもしれないが、あえて大胆に説明してしまうと、こういうことである。
「ノイマン型コンピュータ」というのは、一つひとつの計算を逐一おこなっていく計算機のことである。
われわれが使っているパソコンもみんなこのスタイルで、音楽を再生するにしても、画像を画面に映しだすにしても、みんなコンピュータが一つひとつ計算していって、それを積み重ねてやっと一つの音なり、色の部分なりができて、それを膨大に積み重ねて、その計算結果として、一曲の歌なり、一枚の写真が目の前に立ち上がってくる、と、こういう仕組みらしい。
計算がものすごく速いので、マウスをクリックしたとたん、魔法のように歌は流れだすが、それでもその元のところでは、一つひとつの足し算を、逐一計算しているのである。
それに対して「非ノイマン型コンピュータ」というのは、それ以外の形式のコンピュータを指していて、たとえば、こっちである計算をやっていて、同時に、あちらではべつの計算をやっていて、それを同時進行でおこなうと、計算はずっと速くなるが、そういうのは「非ノイマン型」である。(この辺の説明、まちがっていたら、ご指摘ください)
この前者、「ノイマン型」の方式を作ったのが、ノイマンだという。
実際には、その方式はチームによって作られたので、その論文をまとめたノイマンの名をとってそう呼ばれるようになったので、真の功労者はほかにもいるらしいが、それはひとまずおくとして、とにかくノイマンの名はコンピュータの世界では不朽のものとなった。

ノイマンは、米国の原爆製造計画である「マンハッタン計画」に参加していて、長崎に投下された原爆の一部分を開発したのは彼だった。
また、彼は「大きな爆弾による被害は、爆弾が地上に落ちる前に爆発したときの方が大きくなる」という理論を主張し、広島や長崎ではそれが実践された。
あるいは、ノイマンは「京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっているからこそ、破壊しつくすべきである」と、京都への原爆投下を主張したという。
原爆をあつかった傑作映画に、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』があるが、あのなかでピータ・セラーズ演じる原爆博士のモデルの一人が、ノイマンなのだそうだ。

ノイマンは、すい臓と骨のガンを51歳のとき発症し、その2年後、53歳で亡くなっている。ガンであるとの診断を受ける9年前に、彼はビキニ諸島でおこなわれた核実験に参加していて、そこでの被爆の可能性が疑われている。

ノイマンは数学、物理学、計算機科学の分野で、20世紀最重要の学者のひとりといわれる足跡を残したが、同時に、幼少時からずっと生涯を通じて古代史に深い関心をもち、ビザンチン帝国の歴史についてとくに専門家はだしの知識と意見をもっていて、ゲーテの大作『ファウスト』をすみからすみまで暗唱できた。
彼は、数学が直感的な学問であることを信じていて、問題が解けないまま、夜ベッドに入って、目がさめたときには問題が解けているということがあったという。

自分は、ときどきこんなことを考える。
コンピュータは、はたして、わたしたちの生活を、人生を、幸福にしただろうか、と。
便利にはなっただろう。でも、それが幸せと直結しないところに、人間の業がある。
コンピュータの出現によって、不幸になった人は、すくなからずいると思う。
でも、それがノイマンのせいだとは言うまい。
それにしても、まったく、おそろしい男もいたものだ、と驚かざるを得ない。
(2012年12月28日)

著書
『こちらごみ収集現場 いちころにころ?』

『出版の日本語幻想』

『ポエジー劇場 子犬のころ2』

コメント
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