寿楽フードサービス/おやじのぼやき

鹿児島の皆様に美味しい食事と空間を提供する「寿楽フードサービス」。オーナー(通称おやじ)の今夜のぼやき・・・

少年時代

2006年10月24日 | Weblog
13年間、過ごした街、川内。中学1年の1学期が終わるまでいました。
街の真ん中に大きな川内川が流れ、中越パルプの煙突からは毎日、モクモクと
白い煙。回りは大きな山に囲まれて、雨が降ったらとまらず、冬は超寒く、
夏は暑い盆地。

今から15年ほど前でしょうか。大阪から車で帰る途中、嫁さんと立ち寄った時
こんな小さな街だったんだと、まるでタイムスリップでもしたかのような、
サッカクがあった事覚えています。
あれから30年、私達、兄弟が過ごした家、まだあります。
歴史、世の中で言えば、ほんの一瞬の30年の間にいろいろとあったんだなと
つくづく・・・。

さて、なぜ、このような話を、と思われるでしょうが、実は昨夜、S社のS氏が
たまには飯でも食べようというので、天文館の焼き鳥屋へ、
あまりにも口に合わなかったので、川内にでも行こうとPM7:00に決断して
PM7:13発、発車0.5秒前に新幹線にのって、その中では、ドウキ、
イキギレ、メマイ、アセ・・・。

まずは創作中華の店で軽~く、その次はバーで。これが、なかなかオーセンティックなBARで感動。是非、又、一度行きたくなる店でした。
その後、タケンバをウロウロして、幼なじみの店の前にPM9:00というのに
その飲み屋街には、ひとりも歩いてません。勿論、その店のネオンもついていませ
んでした。残念。

皆、どうやって、メシ食ってんだろ~と、少々、心配ですが。
近々、又、行ってみたいと思っています。
川内の皆さん、自分達の手で明るい未来にしてください、それでは?

ゆっくり、ボチボチ

2006年10月23日 | Weblog
久しぶりの大阪出張でした。
それにしても、なぜ、皆 先を急ぐのか。高速でも地下鉄でも
歩く時でも、メシ喰うときでさえも・・・
こんな街に13年も生活していたのだと思うと・・・若い時は何でも
できるんだと、つくづく感心した瞬間でした。

鹿児島に戻って11年が過ぎました。回りの人にはバタバタしていると
よく言われるのですが、自分ではかなりゆっくり生活しているように
感じています。渋滞はないし、地下鉄のラッシュもありません。
しかし、このまま、50歳になるのもシャクにさわるので、やはり、
ギラギラ太陽めがけて突き進むことにします。
この季節になるとちょっと人生振り返ってみたくなるのですが?

話しは変わりますが、先日キリシマに行ってきました。
凛としたあの風景、こんなに近くにゆっくり時間が流れる場所があるのに・・・
次はゆっくり温泉につかって、おいしいお酒でも呑んだくれて
みたいなぁ~と思った、幸福な時間でした。

大阪ベイブルース

2006年10月11日 | Weblog
この季節になると、この歌を聴きたくなります。
皆さんもそんな自分の想い出の歌ありますよね??

いろんな「恋」をしてきました・・・
その度に傷つけたり、傷ついたり・・・

いろいろあるから 人間 なのだと自分に言い聞かせ、今の自分があるのも、
その時間があったからこそなんだと・・・

  素晴らしいですよね  生きている事は
  いいですよね   人間って

私の命ある限り、生きているからこそ味わえる 「感動」 を
回りの皆様達と感じたい。。

42才になった今。 やっと大人になれたような気がします。

これからが本番でっせぇ~
  ファイト1発!!!!!!

―情熱をありがとう―

2006年10月10日 | Weblog
プロジェクトX、10月7日(土) 完結しました。
1年間、様々な出来事が、一瞬の喜びで消え去り、その後には「感動」しか
残りませんでした。
以前よりブログで紹介してました『鹿商同窓会総会』です。
「熱」は なかなか、冷めるものではないとあらためて認識しました。
18才の時のまんま、高校時代の青春がよみがえった1日でした。
同級生、あの時のまんま、さすがです。
330人程の同級生の中で、160人 約、半分が集まってくれました。
42歳、今、一番働き盛り、色々と違う環境の中での社会生活、誰1人、
愚痴ることなく、総会の成功に向けて【頑張った】瞬間でした。

又、普通のおじさんに戻ります。そして、これからは人生をもう一度、
見つめ直してみたいと思います。
皆のように「無我夢中」に何かを達成できるように・・・

情熱をありがとう 58年卒の仲間
  これからも よろしく
      そして、限りなく 楽しもう

                        2006.10.10  鯵坂 英賢

復活

2006年10月03日 | Weblog
国分の街の中から霧島に上っていく途中、小さな看板で、「せせらぎ」と
いう文字が。車、1台がやっと通る道、約1キロほど走ったでしょうか。
そこには、小さな焼酎蔵「萬膳酒造」が

1999年に30年ぶりに焼酎つくりが、はじまった訳でだれも、今のような
ブームになるとは思ってもいなかった頃です。

廃業する蔵がある中で新たに目的を見つけ、幻の焼酎「萬膳」が誕生したそうです。

素晴らしい話です、こだわりです、うまいはずです。
霧島の天然水、そして、大自然・・・

ちょっと自分が情けなくなる時間があって、
ちょっと勇気をいただきました。

ありがとうございました。萬膳酒造様・・・