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ベートーヴェンの交響曲第1番ハ長調作品21と交響曲第3番変ホ長調作品55を聴き二俣川から西谷まで歩く

2010-01-04 06:10:34 | ベートーヴェンの交響曲・管弦楽曲
昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。
年末年始特集のベートーヴェン交響曲編は今回で終わりとする。
途中聴いた曲は交響曲第1番ハ長調作品21と、
交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55である。
今回聴いたCDはフルトヴェングラー指揮、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による。
2つの曲の録音は1952年11月24、26・28日となっている。
今となっては録音や演奏は古めかしい感じもあるが、
全集を買っていることもあるのでここで紹介しておこうと思う。
ちなみに私はフルトヴェングラー賛美者というわけではない。
この機会に改めてこの2曲をじっくり聴いてみた。
略歴と曲目についての説明はあまりにも有名なため省略する。

交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55を聴いていると、
これがなぜか違う次元で考えたくなる自分に発見する。
第一楽章の始まりから遅めなテンポで展開される彼の音楽は、
どこか高みから作品を捉えているような感じに思えてしまう。
そこに人間的なベートーヴェンが描かれるのではなく、
その演奏を通して何かもっと普遍的なものを語りかけているような
そんな感覚を持ってしまうのがこの演奏である。
もちろん、モノラル録音で音質もよくないし、
演奏は抑制が取れていて羽目を外すという感じはない。

第ニ楽章の葬送行進曲を聴いていて感じるのは第二次世界大戦である。
その時代を生きた彼がそれを意識しているわけではないだろうが、
悲劇的なその音楽はナポレオン戦争の時代から超えて、
20世紀のヨーロッパで起きた悲劇を感じさせるのである。
いつの時代にも英雄的な人物は登場するのだろうが、
それとともに死を伴う悲劇があり、それに打ちのめされる人々がいる。
この演奏を聴いていて何か、そんなことまで感じてしまうのである。
第三楽章は彼のドイツ的な部分が出ていてある意味親しみやすい演奏である。
ここで聴けるホルンの吹奏がとてもいい。
ヤルヴィの「英雄」の公演の時にカンマー・フィルのホルン奏者の演奏に
とても魅了されたことがあったが、きっとその場にいたら
きっと、そんな感覚を持てたんだろうなと思う名演奏である。
第四楽章はフィナーレらしい素晴らしい演奏である。
ウィーン・フィルの奏者の素晴らしい演奏技術とともに、
彼の抑制した指揮のもとで不屈の精神を思わせる盛り上がりを見せて終わる。

交響曲第1番ハ長調作品21の第一楽章は堂々とした短い序奏を経て、
主部に入り、溌剌とした感じの主題が奏される。
提示部の主題は繰り返されず、そのまま展開部に入り、
再現部で主題が奏され、最後は堂々とした感じで終わる。
第ニ楽章は、弦楽器と木管楽器を中心に軽快なテンポで始まり、
明るい牧歌的な音楽が展開され、演奏はやさしさ溢れる感じである。
第三楽章のメヌエットは、スケルツォ的な性格を持った楽章である。
勇ましい感じの主題はベートーヴェンらしさが出ている。
第四楽章でみせる演奏も、テンポが遅いが、そこに彼らしい優雅さを感じる。
なぜか全般を通して彼の演奏は上品な感じのする演奏である。
それは、作品をある高いところから捉えているからなのだろう。
時代性を反映した彼の演奏だからこそモノラル録音であろうが、
今も聴かれるのだろうなあという印象を持った次第である。

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