八咫烏の声

神社の行事、社務などの日記です。

岡田宮の「あの時」

2013年09月07日 10時47分56秒 | ちょっと昔の岡田宮

しとしとと朝から雨が降っております。

こんにちは。禰宜です。

さて。本日は土曜日。

本来なら多くのお参りがあるのですが・・・仏滅とこの天候で穏やかな境内です・・・。

そんな中、神社のアルバムを整理しておりますと、岡田宮の思い出を垣間見ることができます。

今日はその岡田宮の思い出から一つ選んでご紹介しましょう。

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平成9年(1997年)10月10日。

上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)』の境内ライブです。

ちなみにこのとき私は15歳。今もですけど当時はもっと純真無垢な少年でしたヨ。

上々颱風は、そのなんだかアジアっぽい音楽とステージ衣装で人気のあったグループです。

※残念ながら今年から無期限活動休止期間に入ってしまったようです。

愛より青い海」やジブリ映画のテーマソングになった「アジアのこの街で」など、グループ名は知らなくとも、その曲を聴いたら聞き覚えのある方はたくさんいるかもしれませんね。

この上々颱風、様々な神社仏閣でライブをする事に定評?のあるグループであり、その縁ゆえか、岡田宮にてライブを行う事になったようです。

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写真の奥に授与所が見えますね。

境内は超満員だったと、宮司は当時を振り返っていました。

写真で見ても分かります。ぎゅうぎゅうです。

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バンド形態はツインボーカル。

元気の良い曲から、しっとりとした曲まで、2人息の合った歌声を披露してくれます。

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明るい色のアジアっぽい衣装がライトに照らされ、薄暗い境内に良く映えます。

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ちょうど絵馬掛け所の前にステージを組んだみたいですね。

たくさんの方がライブを楽しんでいます。

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境内も広くなることですし、いつかはまたこんな賑やかな行事が出来れば良いですよね。

ともあれ上々颱風の曲は名曲ぞろいですので皆さんぜひ聞いてみてくださいね!

以上、岡田宮の「あの時」でした!

禰宜


私はまだ生まれていません。

2011年07月05日 12時43分07秒 | ちょっと昔の岡田宮

昨日とうって変わってすこぶるいい天気です。

そろそろ梅雨が明けてくれても良いのに・・・。

こんにちはI権禰宜です。

さて最近は諸事情により神社の過去資料をあせくる日々なのですが、その作業中色々と興味深いものが見つかります。

例えばこれ

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岡田宮の旧拝殿です。

だいたい昭和50年代頃ですか。

以前は白黒写真でご紹介しましたが、今回はです。

そして・・・

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旧殿内です。

うーん今とくらべるとだいぶ狭い。

この時期の拝殿は本幣殿と同じ時代に建立されたもの。つまり江戸時代中頃の建物でした。

年季が入っているわけです。

さらに

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珍しい、「社殿裏から黒崎の街を望む」・・・写真。

現在の社殿裏は木々が生い茂り、全てを伐採しない限りお目にかかれない風景です

『そごう』『ジャスコ』『ダイエー』の看板も見えますね・・・。

まさに黒崎の全盛期です。

この頃の黒崎や岡田宮が懐かしいと感じる方も多いのではないでしょうか?

今から30~40年前の時代です。

街の風景や神社の形が変わっても、岡田大神様は黒崎を見守り続けています。

・・・と綺麗に纏めてみました。

I権禰宜


100年

2011年06月04日 12時05分23秒 | ちょっと昔の岡田宮

じわりじわりと日中の暑さが増しています。

こんにちわI権禰宜です。

本日は土曜日という事で、午前中の仕事は御祈願が主でした。

が、午後からは境内の人も少なくなり平穏な時間が流れております。

そんな中、神社資料の整理をしておりましたらこんな写真が出てきました。

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さて・・・どこの神社だと思いますか?

そう。これは昭和40年代後半~昭和50年代前半(ぐらい)の岡田宮

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同じアングルで現在の岡田宮

だいぶ拝殿の形状が違いますね・・・。

何より後方の木々が、この40年間で鬱蒼としてきたようです。

さらにこれ

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昭和14年の岡田宮

下関要塞司令部の許可済

以前ブログで書いた様に、神社の社殿は昭和48年までは現在地より下の位置にありました。

1枚目と3枚目。社殿自体は同じものですが、建っている場所は違います。

例えば・・・1枚目の写真の拝殿前に階段は無いですが、3枚目の写真の拝殿前には階段がありますね。このように色々と細かい差異がみられます。

・・・最後に

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大正9年11月の岡田宮

中央の神職は4代前の宮司です。

裏書きを見ると軍人帰郷の際の記念写真のようです。

時期的にシベリア出兵から帰還したの時のものではないかと。

大正9年といえば1920年

ほぼ100年前ですね。

どれぐらい古い時代かというと・・・

この当時まだオスマントルコ帝国が健在(「瀕死の病人」どころか「死にかけ」ですが)です。

社殿の屋根も銅版葺ではなくて瓦葺ですね。また人々の服装も時代を感じます。

今から100年前の岡田宮

100年後はどんな風になっているのでしょうかね。

I権禰宜


街にも人にも歴史あり

2011年05月25日 10時35分04秒 | ちょっと昔の岡田宮

今日は風が吹いている為か、いつもより少し肌寒く感じますね。

こんにちはI権禰宜です。

さて本日は平日という事もあり平穏な一日・・・。

そんな中、かつて黒崎で勤務されていたという方が、遠く関東からここ岡田宮へ御参拝に来られました。

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今から40~50年前に当時の三菱化成に勤務されておられた方で、今回久しぶりに黒崎の地へと足を運ばれたとの事です。

ちょうど米寿のお祝いに当たる事から、御社殿に入って算寿の御祈願を受けられました。

当時から岡田宮での社頭安全祈願等に参列されていただけあり、慣れた作法で玉串拝礼をされていたのが印象的でしたね。

祭典後は神社に保管されている当時の写真を御覧になられ、とても懐かしがられておられました。

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おや?

・・・どうやら御本人が写っている写真を見つけられたようです。

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それがこちら。昭和41年元旦の集合写真。

もはや先代宮司ですらなく・・・先々代宮司の時代でした・・・。

ちなみに・・・

この頃の岡田宮は現在の場所よりも下の場所・・・現在桜の木がある場所の辺りに御社殿が建ってました

こうして昔を思い返し、再び神社に来ていただけるのはとても有難い事ですよね。

神社は勿論、街にも人にもそれぞれの歴史あり。

一瞬一瞬を大事にしたいものです。

I権禰宜


42年前の岡田宮

2009年05月27日 14時50分59秒 | ちょっと昔の岡田宮

先日の記事で本人が記載しております通り、今月より当神社に新人神職が奉職いたしております。

なかなかの働き者で事務仕事等もこつこつこなしてくれていますので、最近、私はだいぶ楽をさせていただいております。

そこで先日より空いた時間をみて20年以上も前から整理されずに山積みになっておりました書類の整理をはじめました。

すると本日その書類の中から古い写真が出てまいりました。

裏書を見てみますと

“昭和42年2月11日建国記念祭”と書いてあります。

昭和42年!今から42年前!私の産まれる前です。

それでは早速御覧いただきます。どうぞ!

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当時の御社殿。現在より拝殿はだいぶ小振りです。場所も現在の下境内に位置ていました(現在、土俵のある場所から少し西側の場所に位置していました)。

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停まっている車が歴史を感じさせますね。

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たくさんの皆様が御参列されていました。

    

時折、御参拝の折りに昔の御社殿の様子などを懐かしそうに話していかれる方がおられますが、そういった方々に懐かしんでいただくためにも、また昔の写真が出てまいりましたら掲載したいと思います。 禰宜