
2008年12月14日、
お台場の東京カルチャーカルチャーで開催したイベント
『軍艦島ナイト』のイベント完全リポートです。
『記憶屋 廃墟』管理人のドイテフさん、
そして『ワンダーJAPAN』編集長の関口さんをゲストに迎え、
オープロジェクト(大西、黒沢、西田)の3人と共に、
画像や映像を見ながらのトークセッション形式のイベントでした。
第18回 アンケートに答えながら 4
西田:
こんな質問もとどいています。「明日から軍艦島に住めと言われたら何を持って行きますか?できれば一個」
ドイレフ:
僕だったら脱出用ボート!食糧とか限界になったら脱出できる様にですね。とくにあの海ってけっこうサメがいるって聞くし、対岸までは泳ぐのも大変そうなんで・・・
関口:
いきなり逃げることですか(笑)・・・やっぱり、水は確保しないとね・・・
西田:
やっぱり一番は水ですよね。最悪、魚は捕ればいいじゃないですか!
関口:
素手で!?(笑)
黒沢:
網を作る!(笑)
西田:
大変だなぁ~(笑)
大西:
やっぱり水ですね!ライフラインがないんで、とにかく水ですね。(キッパリ)
西田:
基本的に人間はもう生きて行かれない、っていうことで、いいんじゃないでしょうか(笑)
黒沢:
それだけこの島は過酷な環境っていうことですよね。
西田:
ここは日本初の海底水道が敷かれた歴史もあるんで、早くからライフラインが整えられた島ではあるんですが、給水船がなかった時代なんかはどうしていたんでしょうね。
黒沢:
その前は製塩工場を作って、そこから出る蒸留水を配っていたみたいですね。
西田:
本来は水が苦労しそうな場所じゃないですか。でも何人かの島の方に話しを伺うと、不思議なのは、水を節約した記憶が殆どないっていうんですよ。あれだけは不思議ですね。
黒沢:
実際はそんなには枯渇しなかったのかな・・・役場に残っている放送メモを見ると、節水しましょう、って書いてあるのが多いけど、実際島民の方がそれほど節水の記憶がないっていう事は、かなり前の段階でおさえていたんじゃないかな。
ドイテフ:
島へ行くと瓶の残留物が多いんで、それで確保してたんじゃないかなぁ~と・・・
西田:
島のてっぺんには給水タンクがありますが、それがいつも満タンだった、ては聞きますよね。。。。。
このへんで一通り質問が終わったんで、この場で挙手頂いて、聞いてみたいということがありましたら・・・
会場:
軍艦島の名付け親みたいのは誰かいたのか?っていうことと、自然発火のような火災の跡、っていうのはありますか。
西田:
まずは火災の跡の話からいきますが、閉山間際に出火した建物は20何号棟でしたっけ・・・
黒沢:
24号棟ですね。
木造の3階建ての建物があったんですが、閉山の3年くらい前に出火して類焼して焼け落ちたんですが、もう閉山間際だっていうことで建て替えられることはなく、そのまま焼けこげた木材や基礎が残っていますね。
西田:
基本的に端島は消防車が入れないんで、火事が一番怖かったんじゃないかと思いますね。
あと、軍艦島の名前の由来ですね。
黒沢:
最初に鉄筋コンクリートのアパートが出来た時に、新聞の記事に「軍艦のように見える島」と報道した記録があって、その後長崎放送が島を報道する時に「軍艦のように見える島」という報道がされて、軍艦という言葉がいくつか使われているうちに、定着していったんだと思います。
西田:
これ、軍艦「土佐」に似ている、と言われてるんですけど、確か就航しなかった船ねんですよね。長崎の三菱造船所で作られた船で、戦艦土佐が就航しなかったという思い入れもあって、軍艦土佐に似ているんじゃないか、という説もあるみたいです。
黒沢:
結局軍艦島も動く事はないからね。
◇ archives ◇
第1回 イベントコンセプト
第2回 イベントスペーズ
第3回 オープニング
第4回 廃墟の魅力
第5回 軍艦島の魅力
第6回 写真を見ながら各人解説 [ドイテフ/廃墟]
第7回 写真を見ながら各人解説 [ドイテフ/軍艦島]
第8回 写真を見ながら各人解説 [黒沢/廃墟]
第9回 写真を見ながら各人解説 [黒沢/軍艦島]
第10回 写真を見ながら各人解説 [大西/廃墟]
第11回 写真を見ながら各人解説 [大西/軍艦島]
第12回 写真を見ながら各人解説 [西田/廃墟]
第13回 写真を見ながら各人解説 [西田/軍艦島]
第14回 軍艦島大解剖
第15回 アンケートに答えながら1
第16回 アンケートに答えながら2
第17回 アンケートに答えながら3
第18回 アンケートに答えながら4
第19回 軍艦島や廃墟を表現するということ
第20回 軍艦島映像作品紹介