廃墟賛歌ブログ

廃墟をはじめ軍艦島とか炭鉱とか廃線とか、産業廃墟作品制作ユニット<オープロジェクト>オフィシャル・ブログ

軍艦島閉山40年

2014-04-21 00:28:34 | 軍艦島
今日は、軍艦島から最後の島民がいなくなって、
ちょうど40年です。
40年前の1月15日に軍艦島は閉山し、その3ヶ月後の今日、
全ての島民が離島し、島は無人島になりました。
※残務処理等で、その後も人はいましたが。

去る4月17日に、軍艦島の守り神、端島神社で、
長崎県神道青年会の60周年記念大祭が執り行われました。
神道青年会は毎年、県内の神社で式典を行っているようですが、
今年は60周年という記念すべき年。
たまたま端島も閉山40年という切りのいい年だったので、
端島神社で行なうことになったようです。

軍艦島

端島神社は島であることから、海の神様である金比羅神、
そして炭鉱の神様である大山祇(おおやまつみ)神、
さらに、もう一人のそれほどメジャーではない神様の、
三柱を祀った神社だったそうです。
内田康夫著『棄霊島』では、端島神社の遷座式が登場しますが、
記録上は遷座は行なわれておらず、
現在も端島神社に神様がいることになっているそうです。
また、もともとご神体がない神社であったとも聞きました。





軍艦島

ヤングマガジン連載のコミック『モンタージュ』で、
3億円が隠されている設定だった神社へ上がる階段の手前に、
神事を行なう宮司さんや禰宜さんが待機しています。
日給社宅の屋上をバックにした光景は、
かつて見たこともない摩訶不思議なものでした。





軍艦島
">

みなさんが待機している神社下のこの場所は、
かつては草が鬱蒼と茂っていましたが、
大祭のためにとても奇麗に掃除されていました。
島に人がいた時は、
きっとこんな感じだったのだと想います。





軍艦島

午前10時半頃、大祭が始まり、
お供えから祝詞と、祝典は粛々と進められて行きます。
かつて島に人がいた時代でも、
これほどの盛大な式典は見たことがないと島民から聞きました。





軍艦島

続いて舞の奉納です。
たしか平戸踊りと呼ばれる舞だとききましたが、
右手に鈴、左手に剣を持っての舞は、
独特な雰囲気を作り出す所作でした。
ちなみにこの剣は真剣。
神事に使う場合は所有を許されるのでしょうか。

このあと参加者のお参りが一通り行なわれ、
神事は2時間程で終了しました。





軍艦島

神社へ行くまでの地獄段と呼ばれる階段。
ここもかつては鬱蒼と茂る木々と雑草に覆われ、
歩行が極め困難な場所でしたが、
木々は伐採され、瓦礫や木片が散乱していた地面も、
ほぼ奇麗に掃除され、
一般の人でも普通に歩ける程度になりました。





軍艦島

炭鉱施設があった鉱業所の中で、
かつて深い木々に埋もれて近づくのが困難だったエリアも、
世界遺産登録の調査のために殆どの木が伐採され、
その全貌がはっきりと見える様になりました。



軍艦島から人がいなくなって40年。
かつて「緑なき島」と呼ばれた島には緑が旺盛に繁茂し、
このまま「緑深き島」になるのかと思いきや、
再び、かつての様に「緑なき島」に戻りつつある軍艦島は、
まさに数奇な運命をたどる島だと想います。

長崎産業遺産視察勉強会~軍艦島編~

2012-11-23 21:32:35 | 軍艦島
今年の7月に行なわれたJ-ヘリテージ主催の、
『長崎産業遺産視察勉強会』に参加した時のリポートです。

J-ヘリテージは、現代社会が抱える様々な問題点を、
近代化遺産を振り返ることでその解決の糸口を模索しようとするNPO団体で、
様々な遺産の見学会を開催したりメディアで遺産の必要性を訴えている団体です。

そんなJ-ヘリテージが主催した『長崎産業遺産視察勉強会』は、
軍艦島の非見学エリアと池島特別見学コースの視察という、
とても内容の濃いものでした。
まずは軍艦島の非見学エリアの視察のリポートです。

軍艦島

軍艦島の非見学エリアに関しては、
拙ブログで既に何度もお伝えして来ましたが、
今回はNPO法人軍艦島を世界遺産にする会の理事長、坂本道徳さんの案内による見学です。
坂本さんは小学校の時に筑豊の炭鉱から軍艦島へ来られ、
高校が終わる頃まで軍艦島で生活された方。
果たしてどんな軍艦島が見えて来るのか、楽しみです。
見学会は、もしかしたら一般見学コースの、
第五見学所になっていたかもしれない、
小中学校のグランドからスタートです。





軍艦島

グラウンドを囲む堤防の内側に作られたモザイク。
左に写るのが坂本さんの奥様(奥様も軍艦島のご出身)の学年の卒業記念、
そして右に写るのが坂本さんの学年の卒業記念のモザイク。
ということは以前から坂本さんにうかがってましたが、
このモザイクを作るにあたって、技術科の先生が堤防の隅で試作をし、
うまくいったので卒業制作にすることにしたエピソードは知りませんでした。





軍艦島

そして小中学校に隣接して建つ、
島内最大の建物であり、坂本さんが閉山まで住んだ65号棟へ。
65号棟が戦中に建てられた建物であることから、
壁面の迷彩塗装にふれていました。
この日、上陸の直前まで雨が降っていたので、
棟の壁面が程よく濡れていて、
迷彩の様子がいつになくはっきりと確認できました。
65号棟は基本的には幅の広い黒斜線で塗られていましたが、
この建物の端にあたる部分は、
細い縦線で塗装されていたようです。





軍艦島

そして65号棟の9階にある、
かつて坂本さんがお住まいになっていた部屋へ。
玄関にはかつて坂本さんが作られた木製のポストが、
今も残っています。





軍艦島

そして玄関の脇には、
アルファベットを覚えたての妹さんが書いた自分の名前。
妹さんは、三年前に亡くなられたそうです。
坂本さんは、感涙を堪えながらお話されていました。
こうして妹さんの思い出が島内に残っているのは、
嬉しくもあり悲しくもあると思います。





軍艦島

65号棟ではその後屋上へ出て、屋上保育園を見学。
保育園の横にある園児が主に使う男子トイレには、
他のトイレにはない捕まり用のバーが設置されています。
初めて知りました!
おそらく戦後のことだと思いますが、
島内の細かなところを見て行くと、
荒くれ者の炭鉱街というイメージとは裏腹な、
ヒューマン・コンシャスな心遣いがそこかしこにあります。





軍艦島

65号棟の中庭でも、
中庭の奥にある床屋で中学から丸坊主にしなければならない話、
学校の校歌に軍艦島という言葉は出てこない話、
棟の壁面に残る金網が落下対策の張り出し網だったこと、などなど
坂本さんの話は止まりません。





軍艦島

そして地獄段を体験しながら島頂上の端島神社へ。
神社では今なお残る神殿の前に供えられた沢山のお神酒を取り上げ、
拙ブログでも何度もお伝えした、
軍艦島の民間研究家で3年前に亡くなられた小島さんのことに触れました。
じつはこのお神酒の殆どは小島さんが供えたものです。
ある意味、島の出身者よりも軍艦島を愛した人がいたことを、
忘れないでください。とおっしゃてました。
これが坂本さんの気持ちですね。





軍艦島

神社から下ったところにある日給社宅に残る足付きテレビでは、
なぜ沢山の家電が残されたままなのか、のお話。
閉山から3ヶ月という短い期間で島を出なければならなかったこと、
高給取りだったので、新天地で新しい家電を買えばいいと思ったこと、
そしてこの島はもう無くなるとおもっていたこと。
とその理由を挙げ、
閉山後三菱が島を売りに出していたことに触れ、
もしかしたら産廃のしまになっていたかもしれないと言及。





軍艦島

公民館の前では、島内唯一の死亡事故のお話。
島にはオート三輪が一台ありましたが、
かつて一度だけ子供を壁に挟んでしまったことがありました。
そして崩れた映画館からお寺をみあげ、
拙ブログでも以前の記事で取り上げた、
31号棟横の堤防の崩壊に付いて。
後年増築されたコンクリートの堤防が崩れても、
その中にしっかりと残る明治時代の堤防には、
やはり坂本さんも明治の土木技術の高さに関心されていたようです。

この後30号棟から鉱業所をまわって小中学校のグラウンドへ戻り、
約2時間の非見学エリアの視察会は無事終了しました。



話を聞きながら島内を回っていて一番感じたのは、
瓦礫の軍艦島からまったく瓦礫感を感じなかったということです。
話を聞きながら目の前の施設や建物を見ていると、
まさにそこに話の光景がありありと甦って来ます。

これこそが産業遺産の再生だと感じました。

建造物を奇麗に立て替えても、
そこにストーリーや体験談がなければ、
それはもの言わぬ廃墟と同じです。
逆に、どんなに瓦礫の状態でも、
底に語りという魂が吹き込まれると、
生き生きと再生して来るのを感じます。

せっかくここまで残しているのだから、
是非とも、こういった非見学エリアのツアーを、
これからもどんどん行なって行くのがいいと痛切に感じました。

端島音頭

2012-07-23 06:29:19 | 軍艦島
かつて軍艦島で、盆踊りの時にかけられていた端島音頭。



音楽とは不思議なもので、
その時代にどんなに最先端だった音楽も、
10年も経てば古めかしく懐かし音に変化します。
そして同時に、その時代の空気感をがっちりと封じ込められるのも、
また音楽の持つ特殊な効果です。
幼少の頃聞いた音楽をふと耳にすると、
突然その時のことを、匂いや色と一緒に鮮明に思い出します。

この音源は軍艦島が閉山の時に、
それを記念して労働組合が録音したソノシートですが、
作られたのは戦後すぐの事だったようで、
島民の方々は端島音頭でよく踊ったそうです。

池島炭鉱
写真は軍艦島資料館より。

テロップは全てソノシートのジャケットに書かれたもの。
2番3段のテロップは
「今日もおひさん 笑顔でのぞきゃ」ですが、
歌を聴くと
「今日もおひさん 笑顔でのぼりゃ」ですね。

また3番に登場する「九階建て」は、
島内最大の建物、65号棟のことか、
または大正時代に建てられた日給社宅のことか、
どちらも軍艦島「自慢」の建物だとは思いますが、
閉山時から一代前の労働組合の組合長さんにうかがったところ、
これは日給社宅のことだそうです。

アパートを自慢したくだりがあったり、
銀恋を思わせる映画館のデートの歌詞があったりと、
地方の小さな島の歌とは思えない内容ではあるものの、
それらを特殊な感覚ではなく、
どっぷりと昭和の感覚で受け止めていた、
島の人達の生活感覚がかいま見れる曲だと思います。

池島炭鉱

なお、B面は『軽音楽 端島音頭』というタイトルで、
メロ入りインストバージョンが収録されています。


ワンダーJAPAN TV 軍艦島スペシャル CF

2012-07-08 03:18:59 | 軍艦島
以前の記事でもお伝えした、
ワンダーJAPAN TV のオンエアが近くなりました。

BSにご加入の方は是非ご覧下さい。
スカパー!(Bs241)の無料枠でのオンエアです。



それまで世の中に無かった事に挑戦するということは、
とても大変で勇気のいる事だと思いますが、
軍艦島という島は、その多くが、
新しいことへの挑戦で作られて来た島です。
そしてその多くが、島内にとどまらず、
20世紀の日本の多くの分野に於いて、
道しるべとなってきたものでもありました。
そんな飽くなき挑戦の魂の力が、
今も軍艦島には色濃く残っています。
早すぎた未来都市<軍艦島>を、
是非ご堪能ください。

詳しい内容はこちら→ワンダーJAPAN TV 軍艦島スペシャル on air


ワンダーJAPAN TV 軍艦島スペシャル on air

2012-06-27 03:24:49 | 軍艦島
先日ロケで行った軍艦島の番組オンエアが決まりました。
7/14 (土) と 7/22 (日) の15:00~16:00
BSスカパー!の無料放送枠です。
詳細はこちら→MONDO TV presents ワンダー JAPAN TV 軍艦島 special

軍艦島

話は軍艦島に最も近い浜、高浜海岸から始まります。
テーマは、既にオープロジェクトの作品でも何度もお話している、
「早すぎた未来都市」





軍艦島

近年注目を集めるヘリテージ・ツーリズムを主催する、
NPO法人 Jヘリテージの前畑理事長とともに、
島内の様々な場所を巡りながら、
軍艦島がいかに先取りの島だったかを解き明かして行きます。

一般見学コースを訪れ、
鉱業所の跡地に、かつての炭鉱マンの息吹を感じます。





軍艦島

第二見学所から第三見学所へ行く途中にある、
国内初の海底水道の取込口では、
実際に現場へ降りて、飽くなき挑戦の跡を実感。





軍艦島

勿論住宅棟も、
画像の国内初の鉄筋アパートをはじめ、様々な所を取材。
少しでも色々な場所をご覧になって頂くため、
出来る限り多くの場所に撮影クルーを案内したのですが、
番組の時間の都合上、相当カットされたのは残念です。





軍艦島

30号棟に残るかつての賃金支払所。
島民にとってはとても嬉しい場所だったに違いないと思います。





軍艦島

軍艦島を世界遺産にする会の理事長、
坂本道徳氏にもインタビュー。
島で暮らした思い出から現在の活動、
そして常に提唱なさってる、
<未来を考える島-軍艦島>を語って頂いています。





軍艦島

前畑理事長はアパートに残された、
ペットをお願いする子供の書き置きがある部屋を訪れ、
島を去らなければならなかった人々の気持ちに言及。
<先人の気持ちを繋ぐヘリテージング>を実践する、
前畑理事長ならではのお話だと思います。





軍艦島

こうしてロケは無事終了。

ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、
島内の案内は既にオープロジェクト制作の、
『とっておきの軍艦島ガイド』で行なっているので、
どうしても話がだぶってしまうところもありますが、
ご容赦頂ければと思います。

ご覧になる皆さんがお考えになる軍艦島をお伝え出来たか、
はなはだ疑問が残るばかりですが、
軍艦島がいかに先取りの島だったかは、
よくわかる番組に仕上げて頂いています。
『軍艦島ガイド』では収録できなかった場所も、
多数収録されていますので、
是非ご覧になって頂ければと思います。

軍艦島近況リポート

2012-06-15 20:17:04 | 軍艦島
先日ワンダーJAPAN TVのロケで軍艦島に行って来ました。
崩壊の進む軍艦島を、リポートしようと思います。

軍艦島
画像はクリックで拡大します

小中学校の基礎。
ご存知の方も多いと思いますが、端島小中学校の基礎は、
海水の浸食によって剥き出しの状態になっています。
更に近づいてみると、柱の真ん中に亀裂が入って、
空洞状態になっている柱も見られます。
このまま放置しとくと、本当に学校の校舎が崩れてしまうかもしれませんね。





軍艦島
画像はクリックで拡大します

31号棟の堤防側の通路が、完全に陥没しています。
31号棟はかつて郵便局の床が抜け落ち、
地下の共同浴場が壊滅してしまいましたが、
今度は、建物の外と堤防の間の道路が陥没です。
しかし、そのあとには明治時代の堤防跡が、
しっかりと残っているのがわかります。
恐るべし、明治の土木技術!

よく見ると、中央に丸い穴、
更にその下に長方形の穴が空いているのが見えますが、
下の四角い穴は明治時代の水はけ用の穴かもしれませんね。





軍艦島
画像はクリックで拡大します

61号棟地下の共同浴場の天井にある、
デッキグラスを使った採光施設ですが、
周囲を固めていたコンクリが崩れて、
穴が大きく空いてしまっています。
特徴的な光景だったので、とても残念です。





軍艦島
画像はクリックで拡大します

端島病院の手術準備室にあった給湯施設も、
画像のように崩落してしまいました。
手術室の無影灯も、
照明灯が散乱して、もはや無影灯だったかどうかも、
わからない様相になってきています。





軍艦島
画像はクリックで拡大します

かつて扉の閉まっていた新65号棟地下のLPG倉庫。
今回訪れると、扉が開いていたので中を拝見。
ダルマと呼ばれたプロパンガスは既に1個もありませんでした。
大きなダクトは、換気を良くする為の施設でしょうか。
画像は65号棟中庭の小さな窓からのぞいたLPG倉庫跡です。





軍艦島
画像はクリックで拡大します

いろいろと崩壊が進む軍艦島ですが、朗報もあります。
悠久の時を越えて、端島神社の扁額が復活しました。
「島神社」の部分は、
今は亡き軍艦島の民間研究の第一人者、
小島隆行氏と以前に訪れた際に、小島氏が発見したのですが、
今回時間があったので、残りの「端」を探したところ、
神殿の近くに裏返しになっているのを発見。
さっそく下の部分と組み合わせてみると見事合体しました。





軍艦島
画像はクリックで拡大します

最後は中ノ島です。
画像は旧竪坑跡の穴ですが、
今回、穴内の水が少なかったのと光の角度が良かったので、
穴の奥がはっきりと見えました。
確かに明治時代の竪坑らしく、
人工的に掘削された矩形の穴が見えます。
これまでは手彫り感の残る上部しか見えなかったので、
竪坑跡かどうか疑問が残るところでしたが、
これではっきりと竪坑跡とわかりますね。

以上、2012年、軍艦島近況リポートでした。

『謎の男~小山薫堂ひらめきの系譜~』を視聴

2012-01-19 02:22:40 | 軍艦島
去る1/15にBS-TBSで放送された、
長崎放送制作番組『謎の男~小山薫堂ひらめきの系譜~』
の視聴リポートです。

まずは、番組の概要を、画像付きでお伝えします。
※天草へは行った事がないので、画像もありません。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

番組は、
まずシナリオライター小山薫堂氏のルーツを探す旅から始まる。
果たして自分は何者なのか?
そして幾度となく夢に見る現実と同じ長崎の風景は何を意味するのか?

薫堂氏は最初に、天草にある小山家の祖先の墓地をお参りする。
番組のタイトル『謎の男』とは、薫堂氏の高祖父であり、
幕末期、様々な偉業を成し遂げながらも、
その名が表舞台に出る事は殆どない小山秀。

小山家はもともと天草の豪商だった。
天草はそれほど産業とかが栄えた豊かな土地ではなかったが、
舟大工が沢山いて造船が盛んな町、
と同時に天草の石をつかった石工が多い町だった。

そして薫堂氏のご実家には、小山秀の墓石がある。
荒れ果てていたのを見かねたお父様が、
このままでは消えてなくなると思い、持ち帰ったそうだ。
この墓石は、何を物語っているのか?
高祖父の小山秀に想いを巡らせながら手を合わせる薫堂氏。

<CM>

長崎市にやって来た薫堂氏。
まずは出島などで小山秀の長崎での足跡を辿る。
場面変わって、九州大学の藤原先生、そして建築家の中村氏、
ともに小山秀の業績を高く評されてるお二人が、
小山秀について熱く語る。



薫堂氏はこのお2人の案内で、大浦天主堂を見学。

大浦天主堂
大浦天主堂

大浦天主堂は、
1865年にプチジャン神父の指導のもと、
小山秀が棟梁となって完成した、
現存する国内最古の教会堂。

幕末の日本にはなかった教会堂のリブ・ボールドの天井を、
竹の編み上げで造りあげた天井裏を映像で見せる。
これは今まで見た事がなかったので感動!
また初代天主堂のファザードには曲線が使われているが、
舟大工の技術があった小山秀だからこそ出来た、と絶賛。

<信徒発見>でその名を知られるプチジャン神父の書簡には、
天主堂の建築で、修正を入れるたびに追加請求をする、
小山秀への愚痴が綴られているが、その最期に、
金の亡者である小山秀に依頼した自分が悪い、と締めくくっている。
小山秀という人物が、
当時どのように思われていたかが分かる貴重な文献。



次に薫堂氏と2人はグラバー園を訪れる。
グラバー邸は、
1863年にグラバーが設計、小山秀が施工して出来た、
現存する国内最古の木造西洋住宅。
グラバー邸では藤原先生が
舟大工技術によってなし得たアーチ状の曲木や、
中央のキーストーン風の意匠など、
見様見真似の西洋建築の面白さを解説。

グラバー邸
グラバー邸

台所のシーンでは、何の説明もなくいきなり薫堂氏が
「コンニャク煉瓦ですね」というあたり、長崎放送ならでは。

グラバー邸/台所
グラバー邸/台所の蒟蒻煉瓦

グラバー園では、小山秀の建築であるリンガー邸などを見学し、
今に残る小山秀の痕跡を見ながら、小山秀の人物像に想いを馳せる。



薫堂氏は長崎市役所に寄贈された
小山秀の遺品(設計用具/非公開)を見ると同時に、
市役所には小山秀の写真がコピー1枚しかないことを知る。
これだけの偉業を成し遂げた人物なのに、
なぜ歴史にその姿を留めていないのか。

<CM>

舞台は高島へ移り、
日本の近代化に大きく貢献した石炭産業をとりあげる。
グラバーと懇意になった小山秀は、
当時グラバーが手がけた炭鉱(高島炭鉱)へも出資。

薫堂氏と中村氏は高島へ渡り、まず石炭資料館を見学。
中村氏は、壁の年表を見ながら、
本来名前があってしかるべきはずの小山秀の記述が一切ないことを指摘。

その後、グラバー別邸へ移動し、
別邸が建っていた頃の時代に想いを馳せる。

グラバー別邸跡
グラバー別邸跡



しかし明治3年、
グラバー商会の倒産で小山秀も負債を背負う事に。
この高島炭鉱の負債を解消するため、
隣の端島炭鉱の開発に着手する。
と、あっさり初期端島炭鉱の開発の話へ。

薫堂氏は中村氏と共に、見学路から端島を見学。
島内での話は、天川までは触れなかったものの、
天草石で造られた擁壁に集中した。
中村氏は、コンクリートで覆われた堤防の中には、
今も天草石の堤防が眠っている、と解説。

軍艦島の堤防
軍艦島の堤防

薫堂氏は、自分の高祖父である小山秀が、
軍艦島の開発に種を蒔く仕事をしていたことに感動。
メディアを通して、様々な種蒔きをしている自分に重ねているようだった。

明治8年、小山家の全財産10万両を投じて端島を開発。
しかし台風の猛威で、僅か一年で失敗。
無一文になった小山秀は天草へ戻る。

<CM>

薫堂氏は再び天草へ戻り、小山家の菩提樹、浄専寺の住職に、
破産した小山家のその後を聞くと、
破産を一族全員で受け入れ、
小山家はいつ知れず没落していった、とのこと。



その後、三角西港の築堤を手がけ、いずれは鉄道を引く夢も抱いていた。
この時の記念写真にも小山秀は写っていない。

そんな小山秀が最期に手がけたのは、
子供という種を育む場所、大浦第三高等小学校の校舎だった。

小山秀は、歴史は一人が創るものではなく、
一人一人が創るものだと思っていたんではないだろうか、
そして自分もそう思っている、
と薫堂氏は語り番組はおわる。

最期にエンドロールで、
時代に逆らいながら生きた男は、時代に消えた英雄だった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

というのが番組のおおよその内容でした。

番組の中では、この他に、小山秀には直接関係ない、
薫堂氏の個人的な活動の様子を2、3収録していましたが、
それらは割愛しました。

まず、タイトルが『謎の男』というのがいいですね。
しかも副題無し。

オープロジェクト制作のDVD
『とっておきの軍艦島ガイド』のラストで少し触れた、
小山秀の問題、つまり
大浦天主堂やグラバー邸を造った小山秀が、
端島炭鉱初期の開発を手がけた小山秀と同一人物か?
という疑問は、この番組を見る限りあっさり解決しています。

同じ名前なのに何故そう思ったかというと、
今迄見た(数少ない)資料に、
グラバー邸・大浦天主堂・高島炭鉱を手がけた小山秀は、
端島炭鉱の開発も手がけた本人、
という記述を見た事がなかったからです。

またグラバー園を訪れた時に、
学芸員の方がおっしゃっていた、
小山秀という名前は、天草では多く存在した名前、
という話も相まって、
同姓同名の別人物かもしれないと疑問を抱きました。
※たぶんオープロジェクト黒沢だけだと思いますが…

しかし、
長崎の歴史に登場する小山秀が一人だとすれば、
九州大学の藤原先生、そして建築家の中村氏がいう様に、
もっと取り上げられて欲しい人物だと思います。

余談ですが、
番組中の端島開発の解説では、
明治元年に既に開発に1回着手していたことや、
明治8年の端島炭鉱への関わりは2回目で、
請負の形で引き継いだ事業だったこと等には一切触れていません。
また番組に使われた明治時代の地図は、
三菱史料館所蔵の明治中期の地図ということで、
島の北東に既に第一竪坑らしきものが書き込まれた図でしたが、
第一竪坑の開削は明治20年なので、
小山秀が端島に関わった時は、
まだ第一竪坑はありませんでした。

また、高島石炭史料館の年表に小山秀の名が無い、
ということでしたが、
確かに年表にはありませんが、
別の場所に単独枠で解説されています。

高島石炭資料館/小山秀の解説
高島石炭資料館/小山秀の解説

ご覧になってお分かりの様に、
ここにも端島炭鉱との関わりには触れていません。


謎の男、小山秀のドキュメンタリーが on air

2012-01-14 20:07:04 | 軍艦島
昨年発売させて頂いたDVD
『とっておきの軍艦島ガイド』の一番最期の章で触れた、
謎の男、小山秀(小山秀之進)のドキュメンタリーが、
BS-TBSでオンエアされます。

BS-TBS / 2012年1月15日 (日) / 14:00~14:54
『謎の男 ~小山薫堂ひらめきの系譜~』


勿論制作は長崎放送で、
昨年末に既に長崎放送ではオンエアされたものですが、
今回はBSでのオンエアということで、
BSさえあれば見る事ができます。

大浦天主堂やグラバー邸の建築に携わった小山秀は、
果たして軍艦島の黎明期にも関わっていた本人なのか、
その謎が解き明かされるかもしれません。
※長崎の方はもうご覧になってるので、内容はおわかりと思います。

それにしても小山秀のドキュメンタリーを作るとは
さすが長崎放送!
とても他の地域のテレビ局では無理ですね。


さよなら、柿田さん

2011-01-18 22:05:12 | 軍艦島


軍艦島写真家の柿田清英氏が、
16日、肺炎でお亡くなりになりました。

柿田氏のサイト『軍艦島』はこちら

高島炭鉱で閉山まで、その後池島炭鉱でも閉山までお仕事をされ、
その後、軍艦島の撮影に全力を傾けた方です。
写真集『崩れゆく記憶 端島炭鉱閉山18年目の記録』は
ご存知の方も多いかと思いますが、
その後もDVDによるスライド写真集シリーズを発表する等、
精力的に端島を伝えておられた矢先の訃報に、
言葉がありません。

柿田氏は寡黙な方でしたが、
サイト『軍艦島オデッセイ』の掲示板には何度も書き込みを頂き、
そこから伝わる内に秘めた暖かいお人柄が思い起こされます。

柿田氏にお会いしたのは昨年の夏の中ノ島が最後でしたが、
水中スクーターで海の向こうから近づいて来るのを見た時は驚きました。
画像はその時の柿田氏です。
その後島内散策をご一緒しましたが、
島の高台にある植樹された桜の木ある公園広場を、
何枚も何枚も撮影されていました。
中ノ島に残る人のいた息吹を見つけては、
「たまらんなぁ~」とため息を漏らしていたのが思い出されます。

来る2月に都庁で行なわれる、長崎市主催の写真展では、
柿田氏にもご参加頂こうと思っていた矢先でしたが、
かなわぬ夢となってしまいました。

なお葬儀はご家族で既に執り行われました。
ご家族のご希望で、弔問はすべておことわりしているとのことです。





故人のご冥福をお祈り致します。




合掌

【4/12クローズアップ現代秘話】軍艦島と大橋さん、『1972青春軍艦島新装版』について

2010-04-10 04:04:25 | 軍艦島
4/12(月)19:30よりNHK総合で放送される
クローズアップ現代にて、
軍艦島や産業遺産をとりあげます。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/yotei/

廃祭り2010で競演したJ-heritage(http://j-heritage.org/)さんや
産業遺産や廃墟をテーマにされているたくさんの方々が
写真や出演のカタチで関わっています。
それは見て頂くとして、
僕らオープロジェクトは写真家である大橋弘さんの
37年ぶりの上陸のアシスタント兼アテンド役を努めました。
番組の前にちょっと裏話的な部分も少しお話ししましょう

もともと、大橋さんとの出会いは5~6年ぐらい前になりますかね。
国立の邪宗門という喫茶店で取材させて頂きました。
その時見せて頂いた操業当時の写真に感動して
なんとか本にしましょうよと熱い気持ちをぶつけました。
「そんなに軍艦島って魅力的なの?」
むしろ、大橋さんが僕らの気持ちに驚いてた気がします。

この時、邪宗門のマスターがふと僕らの話に割り込んできたのです。
実はマスターが戦中の慰問の過程で端島に訪れていたのだそうです。
大道芸だったと記憶してますが、その辺はちょっと曖昧(汗)。
とにかく立派な劇場だったと懐かしく語ってくれました。
端島に関わる人との出会いって、
何故か不思議な磁場を感じます。
大橋さんもきっと感じるところがあったんでしょう。
2006年に『1972青春軍艦島』を出版された事はご存知の通りです。
残念ながら邪宗門のマスターは永眠され、
2008年末をもって閉店してしまいました。
奇跡のような一瞬を感謝いたします。


大橋さんとはその後もいろいろ飲み会の席等でご一緒させて
頂きましたが、その度、いまの軍艦島を一緒に見ましょうよと
誘ってもきました。
そんな折です。クローズアップ現代の取材の話を聞いたのは。
大橋さんとしてはオープロジェクトと一緒に行きたいという
ありがたい事をおっしゃって頂いたので、
特別にアシスタント兼アテンドという形で昨年末軍艦島上陸に
同行させて頂きました。


きっと、複雑な想いもあったと思うのです。
かつて自分が住んだ30号棟の姿に何を思ったのか?
それはきっとNHKのカメラも捉えてると思います。


3日間の取材可能日でしたが、ずっと天候には恵まれませんでした。
冬の海はなかなかいう事を聞いてくれません。
大橋さんと長崎を満喫できたことだけで十分かなと。
半ば諦めかけた最終日、奇跡のように晴れ渡り
たっぷり軍艦島を堪能できました。


やはり大橋さんは写真家です。
廃墟という被写体にすっかり魅せられていました。
もちろん長崎市の監督の元であり、
立入エリアは大きく制限されましたが
僕らの知ってる限りのポイントを大橋さんに
指南したつもりです。


そして、長年追いかけてきた苔に通じるポイントを
端島で見つけていました。
地下の明りとりのガラスも
大橋さんにとっては苔そのものなのです。

そんな大橋さんの写真は是非、
『1972青春軍艦島新装版』をご覧下さい。
あの日の条件を良く知ってるので、
これがプロの力なんだって思い知らされました。
いい色合いに仕上ってるんですよね。


さて、5/1のイベントでは大橋さんの写真集未収録の写真
をたっぷりお見せ出来るかと思います。
http://www.o-project.jp/EVNT_GunkanjimaTalk.htm
そして僕らもビデオにて収録しておりますので
今回の上陸レポートたっぷりお見せしましょう。
正直、時間足りないくらいですけどね。
是非、おいでくださいませ。

大橋弘サイト
http://www.ohashihiroshi.com/


記事&写真:オープロジェクト西田信之

JNN系情報番組『サカスさん』で軍艦島登場!

2009-08-11 13:01:29 | 軍艦島
JNN系情報番組『サカスさん』の明日のオンエアで、
軍艦島が登場します。

発売中のオープロジェク制作DVD、
『軍艦島オデッセイ -廿世紀未来島を歩く-』の
帯にコメントを頂いたタレントの千秋さんが、
先日、軍艦島念願の上陸を果たされたそうで、
そのリポートを交えた内容だと思います。

みなさん、録画してみましょー!

8月12日 (水) 1:53~2:49

▼千秋さん 関連ブログページ
http://ameblo.jp/chiaki-777/

▼サカスさん オフィシャルサイト
http://www.tbs.co.jp/sacas-san/


軍艦島上陸記

2009-06-20 00:21:41 | 軍艦島
今年の4月22日に一般公開された、
端島炭鉱、通称軍艦島の上陸記です。
この記事をご覧になって、軍艦島をご存知ない方は、
オープロジェクト運営の軍艦島サイト
軍艦島オデッセイ↓』をご覧下さい。


軍艦島への上陸には、現在2つの船が就航しています。
ひとつは長崎港周辺の観光クルージングを行なっているやまさ海運
そしてもう一つは軍艦島を世界遺産にする会が運営する上陸ツアーです。

いずれも料金は4,000円前後で、サイトから申し込みが出来ます。
やまさ海運さんの上陸ツアーは、船が大きいので、
予約が取りやすいというメリットがあり、
世界遺産にする会の上陸ツアーは、
もと島民でもある坂本理事長による、
軍艦島の現在・過去・未来を通した、
とってもいいお話が聞けます。

今回の上陸記は、
軍艦島を世界遺産にする会主催のツアーに、
参加した時の様子です。



遺産の会主催のツアーは、
普段は長崎港と高島の連絡船を行なっている、
竹島丸で出発します。




長崎港から約45分、軍艦島が見えてきます。
操業時にも使われていたドルフィン桟橋を改装し、
現在の上陸桟橋に転用しています。




操業時は島から可動式の吊り橋がかかり、
それを渡って入島していましたが、
現在は固定の橋が設置されています。
タラップが網状になっていたり、
おもりの鉄管が円筒形をしていたりするのは、
時化の時にこの場所を襲う強烈な波浪対策です。



島内に入ると、目の前にそびえ立つ岩礁が、
まっさきに目に入って来ます。
頂上には、島民の命を繋いだ貯水タンクが見えます。
そして、岩礁の周りを沢山の石で固定した、
擁壁の存在感に圧倒されます。



広場として作られた見学所は全部で3カ所。
第一見学所からは炭鉱施設跡ごしに、
小中学校や高級職員アパートが見えます。
かつて沢山の子供たちで賑わった学校、
そして、掘り出された石炭が黒々と積まれていた貯炭場ですが、
今は風と波の音しか聞こえません。



第二見学所から見えるのは、
炭鉱施設が最も残っている場所です。
画像右端に見える足のついた施設は、
地下1,000m以上もの作業場へ入る、入坑桟橋の出入口です。
入坑する時は、帰って来れないかもしれないと命をかけ、
出坑する時は、今日も帰って来れたと安堵する、
炭鉱マンにとってもっとも命を実感する場所だったと思います。



第二見学所をこえてしばらく進むと、
国内発の施行と言われる海底水道の島内への取込口が見えます。
はるか昔は船着場として使われていたそうですが、
老朽化し、その後水道の取込口に転用されたそうです。




堤防沿いに進むとほどなくして南部の広場へ出ます。
手前には南部で唯一残っている鉱業所に施設「仕上工場」が、
そしてその奥に、
国内最古の鉄筋アパート「30号棟」が見えます。




かつて石炭が必要な時代に、炭鉱が造られ、
そして沢山の人が生活をしていた軍艦島。
しかし石炭の必要がなくなり、人は島を去り、
島は棄てられてしまった。
これは軍艦島だけの話ではなく、
例えば地方都市においてのドーナツ化現象など、
いまでも国内で起きている問題でもあります。
軍艦島は日本の未来の姿を教えてくれるモニュメントだ、
とは世界遺産にする会理事長の坂本の、
ガイドコメントです。



ワンダーJAPAN誌12号(2009年6月17日発売)には、
軍艦島上陸の詳細リポートが掲載されています。
是非ご覧になってください。


軍艦島上陸ツアー情報

2009-05-12 03:57:31 | 軍艦島
近畿日本ツーリストさんの、
<長崎発着 日帰り軍艦島 上陸ツアー 第二弾>
が発表されました。

◆設定日◆

だいたい6月、7月の金~日のようです。

◆コース◆

長崎港(集合8:55:チャーター船に乗船)

◎高島島内見学
(北渓井坑、グラバー別邸跡、石炭資料館)
※高島から軍艦島を眺めます

◎軍艦島上陸

長崎港(13:00) 出島ワーフ(自由昼食)

出島(終了15:30頃)

本日 5/13 [水] の18:00から受付開始のようです。

▼詳細はこちら
近畿日本ツーリスト 軍艦島ツアーインフォメーションデスク

軍艦島オデッセイ 特別版 放送開始

2009-05-04 00:44:11 | 軍艦島
CSチャンネル/モンド21にて、
昨年オープロジェクトで発表した軍艦島DVD、
Eエディション
軍艦島オデッセイ 特別版
の放送が始まります。

この特別版はDVD『軍艦島オデッセイ』を再編集し、
廃墟となった島内のウォークスルー映像を大幅に追加したものです。
CS限定ですので、
スカパーのご加入の方やケーブルテレビのご契約の方は
是非ご覧下さい。

初回放送:5/6 [水] 23:00 - 24:00

詳しくは MONDO21 サイトページをご覧下さい。
http://www.mondo21.net/gunkanjima


週刊フライデー 掲載

2009-04-28 13:19:56 | 軍艦島


今週発売中の週刊フライデーに、
オープロジェクト全面サポートの記事が掲載されています。

フライデー誌の記者の方とかなり長くお話をしましたが、
元島民の方の気持ちをとても気遣う言葉をおっしゃたり、
また島のことをよく調べられていました。
これまでフライデーはパパラッチ雑誌としての印象しかありませんでしたが、
しっかりした編集方針で作られていることを感じました。
さすが講談社ですね。

ご興味のある方はどうぞ。