『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』(2008年/本木克英監督)を見た。
物語は、「人魚の一族である妖怪"濡れ女"(寺島しのぶ)は海人(萩原聖人)に恋をして人間となり、子供も授かって幸せに暮らしていたのだが、長く不漁が続いた際に化け物扱いをされ、鬼道衆を名乗る村人達により洞窟に封印されてしまった。1000年後、妖怪ぬらりひょん(緒形拳)の策略で、復讐のために鬼道衆の末裔の人間達を襲い始める。"かごめかごめを聞いた人は手に鱗が現れ、48時間以内に死んでしまう"という呪いをかけられた比良本楓(北乃きい)は、偶然知り合った怪奇現象研究所の所長と名乗るビビビのねずみ男(大泉洋)に助けを乞う。ゲゲゲの森を訪ねた2人だったが、頼られた鬼太郎(ウエンツ瑛士)は、いつもと違い、どうにも乗り気がしないのだった」という内容。
何とも力の抜けたヤル気のない鬼太郎が描かれていたのだが、「いつも人間達のために頑張って妖怪と戦っているのに、人間はろくに感謝もしないし、僕達のことをすぐに忘れてしまうじゃないですか」(確かそんな台詞)と、楓の命の危機にもさほど関心を示さない。
その代わりに猫娘(田中麗奈)、砂かけ婆(室井滋)、子なき爺(間寛平)が随分と頑張っていたが、鬼太郎はさとり(上地雄輔)との戦いの中、「この偽善者め」と罵られたこともあり、"人を助けるのに理由などいらない"と気がつく。
さすが、正義の味方だ。
(^_^)
オープニングでは、鬼太郎が母・岩子の墓から出てきて、目玉おやじ(田の中勇/声)として再生した父と共に家の中に這っていくというナカナカに興味深い様子が映し出されていたが、主題歌が熊倉一夫ではなかったのは、やはり残念に思えたのだった。
(^_^;)
目玉おやじが洗眼薬のアイボンを使って、「あー、いい気持ちじゃ」という場面があったりもして、面白かった。
物語は、「人魚の一族である妖怪"濡れ女"(寺島しのぶ)は海人(萩原聖人)に恋をして人間となり、子供も授かって幸せに暮らしていたのだが、長く不漁が続いた際に化け物扱いをされ、鬼道衆を名乗る村人達により洞窟に封印されてしまった。1000年後、妖怪ぬらりひょん(緒形拳)の策略で、復讐のために鬼道衆の末裔の人間達を襲い始める。"かごめかごめを聞いた人は手に鱗が現れ、48時間以内に死んでしまう"という呪いをかけられた比良本楓(北乃きい)は、偶然知り合った怪奇現象研究所の所長と名乗るビビビのねずみ男(大泉洋)に助けを乞う。ゲゲゲの森を訪ねた2人だったが、頼られた鬼太郎(ウエンツ瑛士)は、いつもと違い、どうにも乗り気がしないのだった」という内容。
何とも力の抜けたヤル気のない鬼太郎が描かれていたのだが、「いつも人間達のために頑張って妖怪と戦っているのに、人間はろくに感謝もしないし、僕達のことをすぐに忘れてしまうじゃないですか」(確かそんな台詞)と、楓の命の危機にもさほど関心を示さない。
その代わりに猫娘(田中麗奈)、砂かけ婆(室井滋)、子なき爺(間寛平)が随分と頑張っていたが、鬼太郎はさとり(上地雄輔)との戦いの中、「この偽善者め」と罵られたこともあり、"人を助けるのに理由などいらない"と気がつく。
さすが、正義の味方だ。
(^_^)
オープニングでは、鬼太郎が母・岩子の墓から出てきて、目玉おやじ(田の中勇/声)として再生した父と共に家の中に這っていくというナカナカに興味深い様子が映し出されていたが、主題歌が熊倉一夫ではなかったのは、やはり残念に思えたのだった。
(^_^;)
目玉おやじが洗眼薬のアイボンを使って、「あー、いい気持ちじゃ」という場面があったりもして、面白かった。