またひとつ出ましたね、便利な言葉が。 もう国会においてはことばは意味を持ちません。言葉に力はありません。全く軽いものになってしまいました。鴻毛そのものですね。 言葉はその人自身というか本体を期せずして表します。 弁護士だそうですが、極右思想の持ち主にして復古主義者の面目躍如です。稲田朋美(次期)国防大臣。 こんな輩を政治家に取り立て、エリート街道を歩ませているデンデン宰相もさすがです、人を見る目が確かです。さすが世界に誇るデンデン宰相です、私に言わせれば一番ふさわしいのは戦前戦中回帰で、”国防婦人会の会長”こそが適任じゃないでしょうか。白い割烹着を着て、「欲しがりません勝つまでは」と書いた手ぬぐいを額に巻いて、右手には竹ぼうきを持ち、左手にはメガフォン、下駄を履いて町内を走り回る姿が一番似合っているのではないでしょうか。発言で責任を問われたら、「私の記憶違いでした」で言い逃れしましょう。何しろ国会議員が手本を示してくれたのですから、堂々と使えます。「記憶違い」便利な言葉になりそうです。
その前に呆れて聞いていた言葉があります。籠池理事長の思想を幼稚園児たちに言わせたことばです。
「大人の人たちが他の国々に負けぬよう、北方領土、竹島、尖閣諸島を守り、日本を悪者として扱っている中国、韓国が心あらため、歴史教科書で嘘を教えないようお願いいたします。安倍首相がんばれ! 安倍首相がんばれ! 安保法制、国会通過、よかったです!」
(午前10時30分頃)
昨夜からのみぞれ交じりの雨、朝方も止みませんでした。辛かったですね、耳と手先の冷え込みには。体は背中とお腹にホッカイロを貼ったし、レインコートも着たので寒くはなかったのですが。 でも子どもたちはとっても元気ですので、こちらも元気をもらえます。元気をもらう代わりに、大きな声であいさつしています。大きな声を出すと何かしら体も暖かくなりそうに思うのですが。
去る10日に中学校の卒業式に出ました。そして卒業生が歌った歌2曲をざっと紹介しました。 「夢見たものは」 と 「群青」 です。 そしたら13日の朝日新聞の「声」欄にこういう投書が載っていました。25歳の東京都の中学校の先生からです。
(久しぶりに分流にもカモが居ました。)
「同僚の音楽の先生から「群青」という合唱曲を紹介された。福島第一原発事故のため避難先の仮校舎で授業を続けていた南相馬市立小高(おだか)中学校の先生が、震災2年後の卒業式のために作曲した。 歌詞は、友達を津波で失い、さらに避難でも多くの友と離れなければならなかった生徒たちが折にふれて口にしたことばを集めて構成したそうだ。」
知りませんでした、全く。お恥ずかしい限りです。ネットで検索したら全くその通りでした。だからなんですね、あの歌詞が胸に沁み込んでくるのは、共感できるのは。
因みに 「群青」というのは、小高中学校の校歌に「群青」という言葉があること、小高中の野球クラブの「小高群青クラブ」、小高中の文化祭の「群青祭」といった小高中を象徴する言葉であることから命名したそうです。
ああ あの町で生まれて 君と出会い たくさんの思い抱いて
一緒に時間(とき)を過ごしたね 今 旅立つ日
見える景色は違っても 遠い場所で 君も同じ空
きっと見上げているはず
「またね」と 手を振るけど 明日も会えるのか
遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない
という歌詞で始まり、
きっと また会おう あの町で会おう 僕らの約束は
消えはしない 群青の絆
また 会おう 群青の町で・・・
で終わります。
きれいじゃないですか!