鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あの日から、6年1ヶ月

2017-04-11 16:07:27 | 思いつくまま

    

               (午前9時20分頃)

  天気予報通り午後から雨となりました。それも本格的な雨降り、土砂降りです。丁度午後1時からの入学式に出かけようとしていた時にポツポツと降りはじめました。式典中は雨の音がうるさいくらいのでした。

                 

 

  きょうから新一年生が登校することになりました。ランドセルに黄色い交通安全のカバーを付けている子どもたちは何人くらいいたかな。15人以上はいたかな。大半はお母さんに手をつながれての登校でしたが、2,3人はお父さんとの登校でした。

                

  でも中にまだ幼さの残る中学生のお兄ちゃんとしっかりと手をつないで登校する新一年生の弟のツーショット、とってもよかったですね。仲睦まじい兄弟の証というか、そういうものが周りに漂っていて、とってもいい雰囲気でした。なんかこころが暖かくなります。

  

  朝方はちょっと寒かったけど下着類は防寒用の下着で武装し、軽いネックウオーマーも使いました。 何にしても子どもたちには交通事故にあうことなく、すくすくと元気に育ってほしいですね。

  

  例によって9時20分前後に河原に行きます。この頃は分流を覗くときはゆっくりと静かに低姿勢で覗き込むようにしています。いつものように早足で行くと折角私を待っていてくれた“サギ”や“カモ”達がびっくりして逃げていくからです。

 

 上空ではカラスとトンビの空中戦が展開されていました。もちろんカラスの方が勇ましく優勢です。

                

  きょうは分流が見えるところまで行く前に、上流側から左岸沿いにサギが飛んでくるのが見えました。これはついている、と喜びます。向こうから歓迎のシーンを提供してくれようとしているのですから。ありがたいことです。

 

                        

  ただ、そのサギが分流に降り立とうとしたときに、本流の方ではカワウが1羽とカモが3羽下流に向けて飛び立っていくところでした。カワウもカモも本流の大岩の上で待っていてくれたら、一度に3種類の鳥が見られたのに・・・・、ちょっと残念でした。

 

 飛び立ったのですが、分流の入り口で止まりました。

               

  このサギに感謝です。

 

あの日から丸6年が経ちました。先月かな仙台市はこういう冊子を作りました。①「東日本大震災 仙台復興のあゆみ」と ②「仙台の復興」です。

   

  いまふと2冊の冊子を見比べたところ、なんじゃこれは?となりました。 ①「東日本大震災 仙台復興のあゆみ」という73ページの冊子は「仙台市まちづくり政策局震災復興室」となっていますが、②「仙台の復興」という10ページのダイジェスト版のような冊子は「仙台市復興事業局震災復興室」となっていました。でもよくよくみると発行年月が違っていました。①は平成29年3月発行で、②は平成27年3月発行です。2年間の間に「復興事業局」が「まちづくり政策局」に変わったということでしょう。ちゃんと見ているようでいて実はきわめていい加減、あやふやなまま理解しているということになります。こういうことはこれからますます増えていくことでしょう、気を付けないと。

  仙台市は県内で一番先に?あの大震災から復興をなし遂げました。仮設住宅もなくなり、復興公営住宅をきちんと整備しました。ここまで来るのも大変だったことでしょう。ご苦労様、お疲れ様と言いたいです。

 

        (H23年3月11日 荒浜小学校上空から南西方向)

  そういうこともあり、仙台市長は7月の市長選挙に立候補しないと先週ですか、公言しました。2期8年で市長の座を退くということです。一応復旧復興を成し遂げたので、今後のことは新しい市長にかじ取りを担ってほしいということでしょうか。

 

               (津波に襲われる若林区藤田地区)

 その意味では丁度いい頃合いだったのかもしれません。誰が市長選挙に立候補し、どういう人が当選するのか、そしてどういうかじ取りをするつもりなのか、7月の選挙から目が離せません。

折しも世間では女子フィギュアスケートの浅田真央選手が引退を表明して全国をびっくりさせています。彼女はこれまで本当に日本の期待を一身に受けて見事に応えてきてくれました。ものすごいうプレッシャーがあったでしょうに、期待を裏切らず笑顔で達成してきました。よくやりました、ご苦労様としかいいようがありません。 夢と希望と喜びをいっぱい与えてくれました。

    

話しが飛んでしまいます。「仙台復興のあゆみ」の表紙裏と1ページ目に復興ソング『希望の道』が載っています。何ということでしょう、この歌は平成24年度に作られていたのです。しかも児童生徒たちによって。完成は25年度ですが、作詞したのは当時の小学6年生なのです。

             

 http://www.sendai-c.ed.jp/~soudanka/H25/project/song/index.html

お恥ずかしい。知りませんでした。申し訳ないことです。改めて歌詞を読んでいくとあの日のことがありありと浮かんできます。 『 夜空 見上げて 思い出す   あの日の星の かがやきを ・・・』 『雪のまう日に 思い出す   あの日の夜の 冷たさを ・・・』

 

             

 そして 『前をしっかり 見つめながら    歩き続けよう 希望の道を 希望の道を』で終わります。

     

 改めて仙台市の復興データを見てみましょう。

                         

 

  

 

                            

 

              


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