友人といっていいのだろうか。幼なじみ。
厄年以来一回会っただけ。
がん。
入院している事も知らなかった。
子供はまだ中学生くらいか。
地元の同級生たちへの電話連絡に追われる。
悲しみはない。
軽い脱力だけ。(20年前だったら立っていられなかっただろう)
若すぎるがないとは言えない。明日の自分だって同じかもしれない。
すでに死を自分のこととして理解する年齢になったということか。
一晩経てば悲しみと実感が湧いてくるかと思ったが、いつもの朝と少しも変らない。
ただ、大変な事があったという情報が頭に残るだけ。
通夜と葬式における自分の存在を思い、急な出費を嘆く。
彼の家族の事を思いやる事もない。子供もかわいそうだけど、両親はもっと気の毒だな。でも、私がすることはなにもないのだ。
葬儀も盛況だった。
涙が出るとは思っていなかった。
涙が出たとたん笑い声が聞こえたが、きっと雰囲気に呑まれての幻聴だろう。
御棺の中に彼の姿を見て、その皮膚の色からやっと確認する。
出棺で手を合わせていると肩を揉まれた。
私は一番後ろにいて、背後は植え込みだ。
おそらく自覚する以上に神経が興奮していて錯覚を起したのだろう。
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