国家戦略特区においても、また、TPPにおいても議論されているのは「規制緩和」です。
規制は、経済活動を阻害し、既得権を守っている側面もある。
だから、その規制を取り払い自由な経済活動を促すことで、国際競争力を強化し、強い日本をとりもどそう。
こうした論調が見受けられます。
私は、政治には、国、あるいは、地域における社会生活、集団生活に秩序を与える役割があると考えています。
ところが、経済的側面から、規制が経済活動を阻害するものととらえ、政治が、政治本来の持つ制度や政策により規制して国民生活を守るという役割を手放そうとしている時代に入っていると言えます。
私たちは、政治が自ら、その役割を手放そうとしているこの時代をどうとらえればいいのでしょうか。
【規制の政治的意義】
8月17日のレポートで報告しましたが、国家戦略特区における一番の大きな論点は、規制を経済活動における「障壁」ととらえ、取り払うことにより、経済活動をより活発にしていこうという考え方にあると考えます。
確かに、現在の日本におけるさまざまな規制が、効率的で効果的な政策執行において、支障をきたす部分がでてきているのは否めません。
しかし、「規制」は、効率的で効果的な政策執行を阻害するため、既得権を守るために作られてきたわけではなく、国民の基本的人権を守るため、最低の費用で最大の効果を得るためにつくられてきたものでもあります。
「規制」を無くして、国民の基本的人権を守り、最低の費用で最大の効果を得ることはできるでしょうか。
また、規制が、「既得権」となり、経済活動を阻害している部分もあるでしょう。
だからと言って、その「規制」を単にとりはずすことで、その「既得権」は、国民にとって適正で公平な権利として普遍化されるでしょうか?「既得権」が「新たに誰かが得る権利」にはならないでしょうか?
◆規制と雇用問題を例に
たとえば、国家戦略特区におけるワーキンググループや、有識者等によるヒアリングで取り上げられている規制緩和の一つに雇用や人材の問題(p5参照)があり、下記のような議論が行われています。
○解雇規制の緩和・合理化
○有期雇用契約の自由化
○労働時間規制の適用除外
○労働時間規制の見直し(労働時間の上限規制緩和、休息に関する規制強化など)
○労働者の権利の一部放棄の容認
○積極的な移民政策の推進(医療、介護、農業の分野など)
企業は労働力を流動化させることで、競争力を強化できるかもしれませんが、労働環境は悪化し、国民生活は不安定になります。
規制により、雇用者の労働権が守られているわけで、必ずしも全ての雇用に関る規制を取り払えばといいというわけではありません。
それが、8月17日の報告でも指摘した、規制本来の政策目的ということです。
そして、問題は、規制の緩和とセットで議論されるべき、政策目的についての議論が行われていないというところにあります。
◆規制と土地利用などを例に
同じくワーキンググループでは、土地利用などの規制において、下記のような発言(議事録P10参照)もみられます。
*国家戦略特区ワーキンググループ有識者等からの「集中ヒアリング」議事録概要(P5・P9)より
(P5~P6)「日本の既得権は全てせこい。すごくせこいので崩しにくい・・」「都市の有効利用とか都市居住の促進となれば、私が今言った既得権集団を迂回しなければならない。もちろん法制審議会とかに言ったら絶対潰れる。私は保証する。だって、国会議員が立法すると非民主主義的だと言っている人たちなのだから、そんなものは潰れる。だから、それは無視してやるしかないと思う。」
(P10)「平時であれば絶対に法制審をスキップすることはできない。なぜできたかといったら、火事場だったからである。つまり、今も火事場だという認識をつくる必要がある。だから、平常のルーチンはスキップさせてもらいますと、これはとても重要だと思う。」
そして、
(P11)「権利の市場価値がゼロになれば捨てるだけの話。それは放っておくしかない。放っておいてどうするかというと、誰も使っていないものは有効に使える人間がいればただでやればいいのである。今は市場価値ゼロなのだから。」
と言った発言も行われています。
・火事場を作ってでも取り払いたい規制とは
こうした議論から、ある種の規制が、土地利用を妨げている現状のあることがわかります。
一方で、法治国家日本におけるこれまでの手続きを、「火事場」をつくることによってでも、飛び越えたいという力があること。
また、同じ場において、そうした規制緩和の向こうには、ある種の「権利」を求める力があるということに私たちは気付く必要があります。
規制緩和により、「既得権」は、公平に適正に執行されず、別の既得権につながる可能性も否めないということです。
【役割を放棄し始めた政治】
初めの言葉に戻りたいと思います。
政治には、国、あるいは、地域における社会生活、集団生活に秩序を与える役割があるととらえています。
ところが、今、政治が、政治本来の持つ役割を放棄しようとしている時代に入っています。
その力を、自由な経済活動にゆだねようとしています。
・TPPの場合
TPPでは、ISD条項により、外国企業が国を訴える権利を認めています。
国と国との条約でありながら、企業が国と対等に、あるいは、それ以上の力をもって国と対峙する。今、日本は自ら進んで企業から訴えられる状況にその身を置こうとしています。
TPP加盟により、国は、企業の下とも言える状況になりはしないでしょうか。
・国家戦略特区の場合
私がTPPの前倒し?下準備?既成事実化?と位置づけている国家戦略特区では、規制緩和のメニューを専門家等からヒアリングしています。
日本国憲法により守られてきた国民の基本的人権を守る責務は、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員にあります。
国は、法律を作り、条例を作り、規制を作って、その国民の基本的人権を守ってきました。
ところが、今、その国が、守ってきた規制を、有識者等と呼ばれる方たちの「経済的側面」からの議論により、取り払おうとしています。
そして、その規制が取り払われた後、私たち国民の基本的人権にかかわる部分をどうするかといった議論が行われていないところに疑問を感じています。
私たち国民は、国にその権限を負託していたと長い間とらえてきましたが、その負託されている政府が、自らその役割を企業にゆだねようとしているのが、今、日本の置かれている状況ではないでしょうか。
国が、国民から負託された権限を自ら手放そうとしているなら、私たちはその主権のゆくえをしっかりと見極める必要があります。