電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

『コーヒーハウス物語』を読む

2007年01月18日 07時05分46秒 | 読書
洋泉社から出ていた、ハンス=ヨアヒム・シュルツェ著(加藤博子訳)『コーヒーハウス物語』を読みました。本書は、「バッハさん、コーヒーはいかが?」という副題を持つことからわかるように、J.S.バッハの時代のコーヒーに関する歴史上の蘊蓄と、「コーヒー・カンタータ」に関する洒脱な紹介です。装幀もコーヒー色の紙を使ったもので、一瞬日焼けして古くなった稀覯本かと思ってしまいました。

17世紀にはヨーロッパに伝えられていたアラビアの飲物「コーヒー」は、18世紀初頭のドイツではだいぶ不道徳な飲物だったらしいのです。伝統あるビールを飲まず、流行のコーヒーなどを飲む習慣は、由緒正しいドイツの宮廷から市民の間へも広がっていきます。コーヒーハウスには給仕してくれる女性が侍り、不道徳な場所だったとのこと、今で言えば「女性がアルコール類を提供し高額の料金を請求する」飲食店を想像すればよいのでしょうか。18世紀最後の年、ベートーヴェン30歳の1800年には、だいぶいかがわしさは減少し、趣味の良いコーヒーハウスの庭園で音楽のコンサートが開かれたりしているようです。

コーヒーが市民権を得るようになるまでの、かれこれ100年間の中間ごろに、「コーヒー・カンタータ」が作曲されたことがわかります。台本を作ったのはバッハの「家庭作詞家」ピカンダーことクリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィ。作曲したのはもちろんヨハン・セバスチャン・バッハであり、発表の場は音楽の練習を目的に集まっていた音楽愛好家の団体、コレギウム・ムジクムです。コーヒーハウスで発表されたとすれば、このユーモラスな世俗カンタータの意味は一段と楽しいものに感じられます。聴衆の騒がしさの嘆きなどは、現代の演奏会ではとても信じられません。当時は、公衆の前で女性が歌うことは許されておらず、男性が裏声で歌ったとのことですから、例えばエリー・アメリングがリースヒェンを歌うのを聞いたら、バッハさんは何と言ったでしょうか。

カントルの役割をおおむね忠実に勤めたとはいえ、バッハ氏の場合はもっぱら音楽面に力が注がれ、聖トーマス学校に寄宿生活を送る若い野郎どもを監督するなど、その他の消耗する雑務はあまり熱心ではなかったような。洒脱な解説ではありますが、内容はけっこうリアルです。

コンパクトな本ではありますが、碩学の蘊蓄をかたむけたユーモラスな記述に、思わず頬の筋肉がゆるみます。実はすでに絶版になっている本書は、訳者の御厚意で読むことができたもの。もう一度かるく目を通して、興味深いところの抜き書きをしてから、返送することといたします。
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