先週末の雨で残雪が消えた妻女山山系ですが、今週末はまた雨で大荒れになる予報です。南信では雪だとか。冬ごもりの虫達が這い出てくる3月初旬の啓蟄(けいちつ)もまだですし、これから三寒四温で少しずつ春が近づいてくるのです。
「大蛇や 恐れながらと 穴を出る」 小林一茶
「啓蟄の 蟻が早引く 地虫かな」 高浜虚子
「啓蟄の 虫ににぎりの 粒が降る」林風
雪解けの水たまりで喜々として水浴びをするのはエナガ(左)。句碑の陰に隠れて観察しました。水溜りの上でホバリングして飛び込むものもいて、なかなか見飽きませんでした。そこへやってきたヤマガラ(中)。平安時代から飼育されていた鳥で、おみくじを引く鳥でも知られます。奥多摩などでは餌付けして手に載せた樹の実を食べに来るのが観光化されていますが、バターピーナッツとか塩味のついたものは絶対にやってはいけません。私はどんな野生動物にも餌付け自体をしませんが。
ちょっと寄り道して落葉松林の蕗を見に行こうとすると何かの視線を感じました。見上げるとニホンカモシカ(右)。久しぶりに邂逅したシロです。その向こうには娘のブランカもいました。最近は面倒なのでシロ二世と呼んでいますが。
二匹は別々の方向へ歩いて行きました。この落葉松林がシロの母親の代も集合場所でした。双子の兄のクロ二世は、独立したようです。そして、シロが下って行ったので先回りして行くといました。いやあすっかり熟女です。しかもお腹を見ると妊娠しているようです。前回、2011年に双子を出産。2014年3月の写真を見ると、妊娠しています。この年に一頭出産。そして、今年2016年にまた妊娠。お腹の大きさから見ると、また双子かも知れません。
ニホンカモシカの双子は珍しいそうですが、彼女の母親のマダムもシロとクロの双子を産んだので、これは遺伝子ですかね。もしまた双子だったら楽しいですね。5月か6月には生まれるはずです。ただこのお腹の大きさだと出産はもう少し早いかもしれません。それにしてもシロは多産系ですね。
左は2011年3月10日のシロ。右は今回のもの。毛の色が違いますが、左は冬毛から夏毛に変わったもの。毎年、啓蟄を過ぎた頃にある日一気に冬毛が抜け落ちます。写真のものも冬毛だけの時はもっと黒いので、既に夏毛も生えてきていることが分かります。シロは2011年に比べてもグラマーになりましたね。今回も双子でしょうか。右は横を向いていますが、これは私が話しかけているのを耳をそばだてて聞いているのです。
色々話しかけながら撮影していると、またこちらに向きました。話しかけていないとすぐに興味を失って歩きさってしまうのです。「あんたどこかで見た顔だわね」とでも思っているのでしょうか。「はいはい、あなたの事はちっちゃかった子供時代から知ってますよ」と。彼女の母親のマダムも、子供の頃に見て知っていますが、非常に表情豊かで妖艶な雌で、マダムと名付けたのです。といっても命名は個体識別のために便宜上しているもので、餌付けはもちろん過干渉は絶対にしません。
話すネタも尽きると彼女はゆっくりと去って行きました(左)。左はリョウメンシダ、右はヤブソテツ(中)。どちらも冬のニホンカモシカの食料になります。蕗の薹も食べますが、同じものを食べつくすということは決してしません。採食歩行をしながら実に多様なものを食べます。右はマダムとシロとクロが以前塒(ねぐら)にしていた谷。妻女山の上杉謙信槍尻ノ泉のすぐ上の谷です。すぐ下を上信越自動車道が通っています。世代交代した後に塒を山の奥に移しました。
後日、また会えるかなと彼女が通りそうな斎場山の尾根へ。御陵願平にある猪のヌタ場へ(左)。6m×4mぐらいある大きなものです。先日100キロの雄が仕留められましたが、その2年ほど前に140キロの雄が捕獲されたことがあり、その個体が鼻で掘ったものです。周囲には泥浴びの後で体を擦り付けた木がたくさん見られます(中)。そこから西へ土口将軍塚古墳へ(右)。古代科野国の古墳であり、川中島の戦いでは上杉軍が布陣した尾根です。長尾根といいます。
長尾根から北の川中島の眺め。左に戸隠連峰と右に飯縄山。眼下には千曲川。橋は岩野橋。この辺りの流れは、江戸時代後期の戌の満水の後に松代藩が大改修をしたために戦国時代とは流路が全く違います。黄土色の河原も、4月中旬を過ぎると桃の花や葉の花、林檎の花で桃源郷になるのです。
西方の北アルプス。「春は名のみの風の寒さや」早春賦。左に蓮華岳、右奥に針ノ木岳、中央に爺ヶ岳、右に鹿島槍ヶ岳。手前の里山、右に三つ前の記事で書いた大彦命の墳墓と伝わる川柳将軍塚古墳があります。
右に目をやると白馬三山。右手前は茶臼山。妻女山山系と共に、私がフィールドワークの定点観測をしている山系です。両山系とも登山道以外でも目をつぶっても歩けるほどに熟知している山です。古代からの歴史と豊かな自然の生態系が体験できます。春には松代夢空間主催の妻女山山系のハイキングツアーのインタープリターをします。長野県シニア大学長野学部、松本学部での里山講座も好評でしたが、できれば若い人にも、この北信濃の里山の素晴らしさを知って欲しいので、大学や短大、高校などでの講座をやってみたいと思っています。これから色々アプローチしていきますが、興味を持たれた方は、ぜひお気軽にご相談ください。
★Youtubeスライドショー
◉冬のニホンカモシカは何を食べている?(妻女山里山通信)
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。陣馬平への行き方や写真も載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左上のメッセージを送るからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
「大蛇や 恐れながらと 穴を出る」 小林一茶
「啓蟄の 蟻が早引く 地虫かな」 高浜虚子
「啓蟄の 虫ににぎりの 粒が降る」林風
雪解けの水たまりで喜々として水浴びをするのはエナガ(左)。句碑の陰に隠れて観察しました。水溜りの上でホバリングして飛び込むものもいて、なかなか見飽きませんでした。そこへやってきたヤマガラ(中)。平安時代から飼育されていた鳥で、おみくじを引く鳥でも知られます。奥多摩などでは餌付けして手に載せた樹の実を食べに来るのが観光化されていますが、バターピーナッツとか塩味のついたものは絶対にやってはいけません。私はどんな野生動物にも餌付け自体をしませんが。
ちょっと寄り道して落葉松林の蕗を見に行こうとすると何かの視線を感じました。見上げるとニホンカモシカ(右)。久しぶりに邂逅したシロです。その向こうには娘のブランカもいました。最近は面倒なのでシロ二世と呼んでいますが。
二匹は別々の方向へ歩いて行きました。この落葉松林がシロの母親の代も集合場所でした。双子の兄のクロ二世は、独立したようです。そして、シロが下って行ったので先回りして行くといました。いやあすっかり熟女です。しかもお腹を見ると妊娠しているようです。前回、2011年に双子を出産。2014年3月の写真を見ると、妊娠しています。この年に一頭出産。そして、今年2016年にまた妊娠。お腹の大きさから見ると、また双子かも知れません。
ニホンカモシカの双子は珍しいそうですが、彼女の母親のマダムもシロとクロの双子を産んだので、これは遺伝子ですかね。もしまた双子だったら楽しいですね。5月か6月には生まれるはずです。ただこのお腹の大きさだと出産はもう少し早いかもしれません。それにしてもシロは多産系ですね。
左は2011年3月10日のシロ。右は今回のもの。毛の色が違いますが、左は冬毛から夏毛に変わったもの。毎年、啓蟄を過ぎた頃にある日一気に冬毛が抜け落ちます。写真のものも冬毛だけの時はもっと黒いので、既に夏毛も生えてきていることが分かります。シロは2011年に比べてもグラマーになりましたね。今回も双子でしょうか。右は横を向いていますが、これは私が話しかけているのを耳をそばだてて聞いているのです。
色々話しかけながら撮影していると、またこちらに向きました。話しかけていないとすぐに興味を失って歩きさってしまうのです。「あんたどこかで見た顔だわね」とでも思っているのでしょうか。「はいはい、あなたの事はちっちゃかった子供時代から知ってますよ」と。彼女の母親のマダムも、子供の頃に見て知っていますが、非常に表情豊かで妖艶な雌で、マダムと名付けたのです。といっても命名は個体識別のために便宜上しているもので、餌付けはもちろん過干渉は絶対にしません。
話すネタも尽きると彼女はゆっくりと去って行きました(左)。左はリョウメンシダ、右はヤブソテツ(中)。どちらも冬のニホンカモシカの食料になります。蕗の薹も食べますが、同じものを食べつくすということは決してしません。採食歩行をしながら実に多様なものを食べます。右はマダムとシロとクロが以前塒(ねぐら)にしていた谷。妻女山の上杉謙信槍尻ノ泉のすぐ上の谷です。すぐ下を上信越自動車道が通っています。世代交代した後に塒を山の奥に移しました。
後日、また会えるかなと彼女が通りそうな斎場山の尾根へ。御陵願平にある猪のヌタ場へ(左)。6m×4mぐらいある大きなものです。先日100キロの雄が仕留められましたが、その2年ほど前に140キロの雄が捕獲されたことがあり、その個体が鼻で掘ったものです。周囲には泥浴びの後で体を擦り付けた木がたくさん見られます(中)。そこから西へ土口将軍塚古墳へ(右)。古代科野国の古墳であり、川中島の戦いでは上杉軍が布陣した尾根です。長尾根といいます。
長尾根から北の川中島の眺め。左に戸隠連峰と右に飯縄山。眼下には千曲川。橋は岩野橋。この辺りの流れは、江戸時代後期の戌の満水の後に松代藩が大改修をしたために戦国時代とは流路が全く違います。黄土色の河原も、4月中旬を過ぎると桃の花や葉の花、林檎の花で桃源郷になるのです。
西方の北アルプス。「春は名のみの風の寒さや」早春賦。左に蓮華岳、右奥に針ノ木岳、中央に爺ヶ岳、右に鹿島槍ヶ岳。手前の里山、右に三つ前の記事で書いた大彦命の墳墓と伝わる川柳将軍塚古墳があります。
右に目をやると白馬三山。右手前は茶臼山。妻女山山系と共に、私がフィールドワークの定点観測をしている山系です。両山系とも登山道以外でも目をつぶっても歩けるほどに熟知している山です。古代からの歴史と豊かな自然の生態系が体験できます。春には松代夢空間主催の妻女山山系のハイキングツアーのインタープリターをします。長野県シニア大学長野学部、松本学部での里山講座も好評でしたが、できれば若い人にも、この北信濃の里山の素晴らしさを知って欲しいので、大学や短大、高校などでの講座をやってみたいと思っています。これから色々アプローチしていきますが、興味を持たれた方は、ぜひお気軽にご相談ください。
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◉冬のニホンカモシカは何を食べている?(妻女山里山通信)
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。陣馬平への行き方や写真も載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左上のメッセージを送るからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。